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ゆるく生きる

今日(2024/2/27)も後1時間を切りました。確定申告作業の最低限のノルマをこなし、寝床に入ってクールダウンしていたら、いつの間にかこの時間になっていました。このところ、寒波が復活していて、今週末も雪の予報が出ています。本日は、精神科医の和田秀樹先生が推奨している『ゆるく生きる』について考えてみたことを記しておきます。


年齢を重ねたら、ゆるく生きる

今の私は、そこそこゆるく生きている自信があります。少なくとも、ゆるく生きているように周囲に見せる努力をしています。他人にも、自分にも甘く、厳しさを求めないことを心掛けています。

もちろん、日々の生活の中で不快な気持ちになったり、怒りでイライラしたりすることはゼロではありません。SNSと完全に距離を置くこともできないですし、自分の意見を敢然と主張してみたい衝動に駆られることもよくあります。ただ、ダークな気分に支配されている時はぐっと踏み止まって、少なくとも他者に対しては、寛容になるように努めています。

自分自身を完璧に甘やかすのは難しく、自責の念を持ったり、不甲斐なさを憐れんだり、自己嫌悪に陥ったりしてしまいます。和田先生がおっしゃっていることはもっともで、自身の衰えに抗って、かけ離れた理想の姿とのギャップに腹を立てるのはナンセンスです。現実に素直になり、節度をわきまえる、という表現が正しいかもしれません。

楽に生きる為に知恵を使う、は難しい

ただ、楽に生きるのと、怠惰に生きるのとは別問題です。馬鹿正直に、勤勉に、愚直に、を尊しとせず、楽に生きる為に常に頭を働かせ、知恵を使うクセをつけることです。そう考えると、楽に生きるのは、なかなか難しいことに気付きます。苦労知らずで楽に生きているように見える人に、総じて世間の眼は冷たいので、そこに耐える胆力も求められそうです。

私の人生の半分以上は、苦労を厭わない、我慢する、困難に立ち向かう、といったスポ根的な世界にどっぷりと浸ってきましたから、楽して成果を上げることはどうも苦手です。「楽に」を意識すると完全に脱力してしない、思考を停止して、怠惰に成り下がってしまう傾向にあります。それが怖くて、自分を鼓舞するような言動や行動に走ってしまいがちです。そうすると肩に力が入って、寛容さが喪われます。

流され易く、だらしない性格を全開にしない為には、適度な節制とか、無理のない倹約とか、を意識していないと、底無しの沼に落ちて、クズ人間になってしまいそうな恐怖心があります。

ゆるく生きるには訓練がいる

本当の意味で、ゆるく生きるには相当な訓練がいるような気がしています。それでも私は、ゆるく生きる達人を目指したいと考えています。特段意識しなくても、ゆるく生きられるように磨きたいものです。

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