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【通信販売・私論】欲しい商品を買うのか、欲しくなってしまった商品を買うのか?

私は通信販売で商品を売る仕事をしてきたわけですが、売り方を考える時の大前提として私は次のように考えていました。
「商品を売るのではなく、消費者が欲しくなるようにする」

なんのこっちゃ?と感じる方もいると思いますので、今回はそのあたりについて振り返りながら深掘りしてみたいと思います。

欲しくなるということ

私も日常では一消費者として生きています。
何か不便を感じたときに、これが欲しいなあとか、何かで情報を得て、これ買いたいなあ、といった思いを抱きます。そうした記憶や欲求が積み重なり、本当に必要なのかといった自分なりの検証を重ねて、時に同じような商品が他にもないか、もっと安く買えないか、といったことも考えます。そしてネットで探したり、お店にいって実物を見にいったりして、店員さんだったり、家族や友人だったり、もちろん自分自身とも相談するといったプロセスを経た後に、購入するという行動に至ります。

専門用語でいう、AIDMAの法則だったり、最近ではAISASの法則というやつです。

一方で購買行動にはもうひとつ大きなパターンがあります。

それは「衝動買い」というものです。

偶々目にした商品をみて、ふと湧き上がった欲しいという衝動が理性を圧倒し、その場で買ってしまうという行動です。
よく考えずに、衝動というか本能のままに購入してしまうことから、ネガティブに考える方も多いですが、しかしヒトの行動としては非常によくあるものだと思います。
時間つぶしに偶然入ったお店で、元々欲しいと思っていた商品でもないのに、見てしまった瞬間にどうしても欲しくなって買ってしまった。私自身も実は結構あります。こうして買った商品というのは、家に帰ってよくよく考えてみると「やっぱり要らなかったかな」なんて後悔することもありますが、逆に「やっぱり買ってきて良かった」「これは運命だった」なんて思うえる程に思い入れのある大切な物となることもあります。

熟慮して買う、衝動的に買う、これらはどちらが良くてどちらが悪いというものではなく、購入の行動としてヒトには両方あるよね、という認識で私はいます。

通信販売で買うということ

では通信販売で買うといった場合はどうでしょうか?
従来からある新聞広告や折込チラシ、TVショッピングというのは、基本的には「衝動買い」を前提にした販売手法だと私は考えています。そして私だけでなく、通販業界で大きな業績を残した先人の起業家や経営者も、その著書やインタビュー記事で同様のことを語っていましたので、私だけの持論ということでもないようです。

そもそも人が新聞を読むのは、そこに出ている通販広告を読むためではありません。あくまでも記事を読むためです。TVもそうです。もっとも最近ではTVショッピング専門チャンネルもありますから、あながちそうとも言い切れなくはなっていますが、だとしても、この商品を買うぞ、という目的で見ているというよりも、番組そのものを楽しんだり、情報番組として見ていたり、ただ流しているというケースが多いと思われるので、結果として衝動買い要素は強いと考えています。

衝動買いはネガティブなニュアンスの言葉でもありますから、異論はあると思います。しかし実際に通信販売で商品を売る側の立場としては、その前提を持っておくことが大事だと考えます。なぜなら前提が異なっていると、そのあとの企画立案で大きな勘違いを生むことになるからです。

買うつもりもなく、たまたま目にしていた媒体で偶然に目に入ってしまったものが気になり、広告を読んだり、見ているうちに、なんだか急に欲しくなってしまい、つい電話して買ってしまう。というのが元々の通信販売での購入パターンです。

先述のAISASの法則はネットが一般的となった時代に生まれた考え方です。気になる、欲しいと思ったらまずネットで調べる、そして比較検討を重ねて熟慮して購入するパターン。これは従来の通信販売の購入パターンではなく、一般的な店舗での「目的買い」のパターンに相当します。ネット広告ではディスプレイ広告という手法もあります。確かにこれは目的買いを対象にするというよりも、一般的なTV広告や新聞広告に近い手法だと思われます。リターゲティングを組み込むなどもありますが、私の認識では直接受注を得られるレスポンス広告としてはあまり効果的ではない気が致します。

ただここで言いたいのは、一口に通信販売と言っても、従来型の紙・電波の通販と最近のECとでは、買手の購入パターンは異なることを認識しておくことが大事であろうと思うのです。

そしてこの違いを認識して前提にすることが、企画の勘違いをなくし、その精度を高めることになると考えているわけです。

衝動買いの心理を考える

私は従来型の通信販売を仕事にしていました。なのでその考え方をベースに深掘りします。前提は異なるとはいえ、目的買いのECであったとしても商品の見せ方、説明の仕方という細かいテクニックの部分では共通する要素があるからです。

新聞を例にとると、まずは読者は記事を読むために新聞を開いています。記事を読み、頁をめくりながら、ふとした瞬間にその広告が目に入ります。しかし実際にはほとんどの読者は目に入っただけで、中身を認識してくれません。「広告か」と認識して次のページにいってしまう。だからこの一瞬、おそらくコンマ何秒の刹那に「おっ?なんだ??」と感じてもらわなければなりません。キャッチコピーの言葉、写真やイラストのインパクトが大事です。ただその時点では商品への興味があるわけではありません。あるのはただインパクトのみ!
そしてほぼ同時に、「なんだ…広告か」といって頁がめくられることになります。

しかし「おっ?なんだ??」と思った人の何分の1かの人が、「ちょっと!これ何よ!」と思ってくれるのです。そして広告の他の言葉、サブキャッチやリードに目を移してくれます。ここの刹那でまた先ほどのような選別が行なわれ、その何分の1か人が本文を読んでくれる。その繰り返しで最終的に「欲しくなっちゃった」人が購入のアクションを取ってくれることになります。
私はこの時の読み手の心理を「欲しい」ではなく「欲しくなっちゃった」と表現していました。「欲しい」には主体的な意思、選択が感じられますが、「欲しくなっちゃった」は、主体的というよりも本能的にというか心の欲するがままに、というニュアンスを感じています。
「ちょっと何を言っているのか分からない…。」という人は、言葉尻というよりも、その「心の欲するがままに」の心理を感じ取って頂ければと思います。

では、「心の欲するがままに、欲しくなっちゃった」と感じてもらうためにどのような工夫が必要か。これは商品やその商品の目的、ターゲット層によって異なるわけですが、共通してい言えることは、

「これ、私のことだ」

と、読み手が感じられる内容になっていることだと思っています。

「私のことを言っている」「私のことを分かってくれている」。
それはその人の悩みや不安、不便に共感してくれる内容だったり、その人が感じている「良い」と思っていることと同じことを「良い」と感じさせてくれるような内容が書かれている。

この場合の表現というのは、売り手の売りたいことではなく、読み手の「そうよ、それなのよ」という共感性が大事なんだと私は考えています。

衝動買いの訴求ですが、商品との出会いも「縁」です。その縁がきっかけにその人の生活が豊かになったり、何かの満足につながったのだとすれば、私はとても価値のあることだと思います。
さらに言えば、その価値が売り手の会社への信頼へとつながっていくことで、リピーターとなりその会社のファンとなってくれることになります。

通信販売に関わる人の参考になれば幸いです。


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