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苦労は買いたくないです

苦労は買ってでもしておこう。
こんな言葉があります。主に若い人に向けて使われることが多い言葉だと思われます。
この言葉そのものは意味のある言葉だとも思いますが、私はあまり好きな言葉ではないです。特に社長の立場では使わないようにしていましたし、むしろ売ってしまおうと思っているという話です。

苦労を買いたいですか?

まず前提として言いますと、私は苦労を「買いたい」とは思わない性質です。
苦労はしないに越したことはないと思っています。
意識低い系だから、というよりもこんな性質だから意識低い系と自虐しているわけですが。

自分のことはひとまずおいておいて、
若い人(もちろん年長者でも)が自らこの言葉に意義を感じて、
主体的に苦労を買いまくって経験を積むことはよいことだと思います。
むしろ最大限に尊敬します。
そこで得た経験は自らをきっと成長させてくれるでしょうし、
主体的な姿勢はきっと周囲からの信頼を得ることにも繋がるはずです。
大いに買って欲しいと思います。

しかしこれは本人が主体的に取り組むからこそ意味があります。
果たして年長者から言われて効果があるのでしょうか?
ましてや勤務する会社の社長が、
そこの若手社員に、
「若いうちは苦労は買ってでもしておくものだぞ!」
なんて言ったら、
単なる精神論の命令でしかないよなあ、と思います。

もし私が若手社員だったら、
間違いなく「買ってでもした」フリをします。
身に付く事と言えば、フリをするスキルが上がっていくだけという自信があるくらいです。
仮に主体的に買ってでもしようと思っていたとしても、
社長から命令された瞬間、逆にやる気をなくすことにも自信があります。

やらされている。
命令されたからやっている。

というのは、やらした方のやってる感は高まります。
ちゃんと自分の指示に従っているな、
自分の指示を部下は忠実に守っているな、
という上司としての自己認知が得られた気がするからです。

しかし
やらされている方は
やらされている、という認識になってしまう。
主体的にやろうとしていたことでも
命令されたとたん、自分の主体性が奪われてしまったとがっかりしてしまう。

精神論の命令って
結局誰も得をしないなあ、
なんて私は思っているわけです。

苦労は買わせない

そんなわけなので、
私はできるだけ若い人に対して
「苦労は買ってでもしておけ」
とは言わないようにしてきました。

もちろん社長として、或いは年長者として若い人に対して
「多少は苦労もしておいた方がいいだろうな」
と思う場面もないわけではありません。
そんな時は
苦労としてではなく、その意義や価値を伝えるよう心がけました。
辛いことを乗り越えようという訴求よりも
楽しく取り組めそうと思える観点を一緒に探してみるような感じです。

例えばそれはゲームを攻略していくような観点とか、
バンドで曲を完成させていくような譬えに置き換えてみたりとか、
美味しいお店を探すプロセスと重ね合わせてみたりとか。
そんなやり取りをコーチング的に引き出すようにしてきました。

誰にでも好きな事、夢中になることはあります。
だから、それが何かを聞き出して、
取り組んでほしい「苦労」を、
夢中になれる「楽しさ」に変換できると、
意外に楽しくなってくることが多々あったのです。

そもそも私自身、
通販のデータの分析や企画立案を、趣味の競馬の予想と当たった外れたと重ね合わせられたことで、
天職であると自覚できた体験があります。
企画を考えるというのは、趣味のバンド活動でアレンジを煮詰めていく過程と同じだな、
なんて考えるとむちゃくちゃワクワクできたりもしました。
もし上司に、数字をもっとちゃんと見ろとか、企画をあてるためにもっと努力しろと言われていたら、
通販を天職だと思えることはなかったと思っています。

この方法がすべて上手くいったわけではないですが、
社長の立場で若い人に
「苦労は買ってでもするべきだからしろ!」
なんてお説教をするよりもましだったと思っていますし、
自分としてもその方が自然体で楽しめたと感じています。

苦労は売れるか?

これは私自身の感じ方なのですが、
苦労は自らが進んで「買う」よりも、
できれば欲しい人に「売ってしまおう」という意識もアリだと思ってます。

私が「苦労」としか感じない苦手なこと、嫌なこともあるわけです。
例えば私はいいおっさんが言うことではない自覚を持って言いますが、
人見知りです。
初対面の人と話すのは本当に苦手なのです。
苦労を買ってでもよかったという思いよりも、
高い買い物をしたわりに得たものもあまりなかったという思いの方が強い。
苦手意識がより強まって、それは今でも変わっていません。

でも中には初対面の人と話すのが大好きな人もいるんです。
そのタイプの人は、初対面の人と話す機会をいつも求めています。
だから私はそんなタイプの人にそのチャンスを「売って」しまうのです。
何かつながりが出来てからなら、私は話すことが苦ではなくなるので、
そのきっかけが出来たら、後は自分で進めることができます。
私の「苦労」という場を「楽しい」と感じる人は欲しているのです。
もちろん、実際にお金のやり取りで売買をしているわけではないですが。

一方で私は文章を書いたり、ストーリーを構成したり展開したり、というのが大好物です。
しかしこれらが大の苦手という人もいるわけです。
私は大好物なので、その人から「買って」でもその機会を欲しているのです。

売買というよりは物々交換なわけですが、
これはウインウインの関係でもあります。
そしてお互いに尊敬し合える関係にもなります。

こんな関係を持てる仲間を多く作っていくというのが
私なりの「苦労」への向き合い方でした。

苦労はしないに越したことはない

苦労をするのが好きな人もいます。
それ自体は別にいいと思うのですが、
するなら、自ら主体的に取り組んで欲しいです
そしてできれば苦労はしないに越したことはないというのが私の考え方です。
楽しい、ワクワクする、と思える方がよい結果に繋がりやすいとも思っています。

社長の仕事としては、
若い人に苦労を買わせずに、楽しく感じることを買ってもらうというマネジメントもあるのではと思います。

そして
誰かの苦労は、誰かの楽しみであるなら、
苦労の何かを、
楽しいと感じるターゲット見つけ出し、
楽しいと感じられる価値として提供するという
苦労と楽しさの流通として考えてみるのもありなのではと思います。
そう考えた方が私は楽しいし、
こう考えた方が楽しいと思う人たちと仕事をできたら、
社長もみんなも
ラクができるなあと思います。

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