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『楽天IR戦記』 第6章 東日本大震災と直後の株主総会

(当面無料公開します)

3月11日

 2011年3月11日、午後2 時40分頃。私は社長室の前にいました。ある投資家へ社長名でレターを出すことになり、サインをもらう予定で待機していました。3月11日は三木谷さんの誕生日で、社長室の周囲は珍しくゆったりとした雰囲気でした。数分後、秘書の方から入室OKのサインをもらって社長室に入ると、テーブルにはお祝いの品の上質そうな中国茶器がありました。
「三木谷さん、お誕生日おめでとうございます。先日お話した投資家へのレターです。サインをください」
 「はいはい」 

 机から万年筆を取り出してこられ、サインをしようとした瞬間です。ドドドドドッと縦に揺れた後、大きく横に揺れ始めました。テーブルの上にある中国茶器がカチャカチャ音を立てます。ドアがバーンと開き、社長室長が入ってきて「大丈夫ですか⁉」と叫びながら茶器を押さえます。壁際に置いてあったモニターを兼ねた50インチクラスのテレビが、ぐらん、ぐらんと前後に大きく揺れて倒れそうになり、私は怖さで一瞬立ちつくしてしまいました。
「危ないよ! テーブルの下に入って!」
  三木谷さんに言われてテーブルの下に入って揺れが収まるのを待ちました。揺れが収まると、三木谷さんはすぐにテレビを付けて、震源地を確認しました。宮城県沖であることがわかると、仙台にある支社や楽天イーグルスのスタジアムとの連絡、サーバーの無事の確認など、思いつく限りの指示を社長室長に出しました。窓からはお台場で煙が上がっているのが見えました。私はしばらく茫然としていましたが、指示が出尽くすのを待ち、レターをもう一度差し出し、サインをもらいました。部屋を出るとき、三木谷さんが阪神淡路大震災で叔父夫婦を亡くされたことを思い出しました。

 東日本大震災のその日、私は都内で働く他の多くの人と同様に帰宅難民になり、会社の近くに住む同僚の家に泊まることになりました。この日は金曜でしたが、日曜にはCFOの髙山さんが米国投資家訪問のため出張に出発する予定でした。最初は予定どおり出発するのだと言っていましたが、翌日には出張を取り止めることになりました。 月曜午前は普通に出社したものの、その後、社員の半数は自宅待機することになりました。髙山さんが米国で会う予定だった投資家、私が東京で会う予定だった投資家にミーティングの中止を伝えました。
 株式市場は大荒れです。3月11日、地震発生から場が閉まるまでの十数分間の間、急落の後の急回復で1万円台を維持したように見えました。証券会社では、ものすごい横揺れの中、机にしがみつきながら注文を出すトレーダーの猛者が何人もいたそうです。しかし、原発事故が明らかになった15日には日本の未来に暗雲が立ち込め、日経平均は8000円台前半まで下落しました。国家の機能停止までには至らないことが判明し多少回復しましたが、非常事態であることには変わりありません。

 送られた想い

 世界中からお見舞いの声が届きました。幸いにも楽天グループの社員に犠牲者はなく、建物などの物理的な被害も限定的でしたが、海外の機関投資家からは、安否を気遣う言葉と、被害に遭われた日本国民へのお悔やみの言葉がメールや電話で伝えられました。ニューヨーク、ボストン、サンフランシスコ、ロンドン、エジンバラ、シンガポール、香港。投資家たちから、古くからの友人として、心のこもったお言葉をいただきました。彼らは職務上、投資先の安否確認の必要があるはずですが、私が会社の被害状況を言うと、そんなことは後回しとばかりにさえぎり、私自身と私の家族の無事を尋ねてきます。
 無事と答えると安心され、日本の状況に対しお悔やみの意を表される「My condolences」という英語を様々な言い回しで何度となく頂戴しました。それに対して「Thank you」としか返せない自分を歯がゆく思ったほどでした。しかし、日が経つにつれ、海外投資家は、直接の被害が少ないのは良かったが、間接的な被害がどの程度あるのかを気にするようになってきたようでした。

 もちろん社内では、楽天グループの社員が無事で被害が限定的だから良かったとは決して思っておらず、運命共同体である楽天市場の出店者や楽天トラベルなどの契約施設の中には大きな被害を受けたところがあるのを三木谷さんも社員も心配していました。何より、楽天イーグルスの本拠地がある東北地方では多くのファンの方が被災されているのです。物流が分断されてモノがあっても届けられない状態です。
 人道的な意味でも、経済的な意味でも、被害を調査するために、直後から毎週の予算会議は震災の影響を報告する会議に変わりました。同時に、被災者への支援を議論する場でもあり、同規模の災害が東京で起こることを想定したあらゆる対策を講じて報告する場にもなりました。サーバーの場所については何度も議論が重ねられました。

 投資家の疑問や不安に答えるため、事業への影響を何かしら伝えなければ、と思いました。ですが、証券取引所のガイダンスによると、楽天では適時開示するほどの経済的影響はありません。適時開示でないプレスリリースとして、会社として3億円、三木谷さん個人として10億円の義援金を寄付すること、楽天ポイントやクレジットカード、現金での義援金を一般から受け付けることなどを発表し、それに楽天としての被害は限定的である文面を軽く添える程度としていました。私はこれだけでは今ひとつ投資家の不安を拭えていないと感じましたが、他社を見ても、被害が少ない会社については同様の対応でした。 心配してくれた株主の皆さんを安心させるため、もう少しだけ情報を提供したい、と私は思っていました。

株主総会

 12 月決算の楽天は、3月30日に定時株主総会を予定していました。株主総会の会場の赤坂プリンスホテルでは、余震の発生に備えたリハーサルが繰り返されました。いったん中断して同じ場所で再開するケース、別の場所に避難し、後日「継続会」という名称で続きを行うケース、避難したのち解散するケースの3パターンです。壇上の議長席の足元には、停電に備え、株主の皆さまを避難経路に誘導するための拡声器が置かれていました。
  株主総会は、その性質上、会社法と定款に従い、毎年同じような議事進行で進むものですが、この年は、いつもと違う5分程のアナウンスで本番が始まりました。
 「3月11日に発生した三陸沖を震源とする東北地方太平洋沖地震により、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様、そのご家族の方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます」
 それに続けて、楽天グループの被害として、楽天市場の出店店舗のうち被災した店舗数、物流網が回復していない地域では配送に遅れが生じていること、東北地方の楽天トラベルの契約宿泊施設及び楽天GORAでの契約ゴルフ場のうち被災し営業を停止している軒数、楽天イーグルスでは本拠地の球場が被災しシーズン開始が遅れていること、などが述べられました。義援金などの被災者支援の取組みと復興への祈りを添えて、アナウンスが終了しました。
 通常の株主総会が始まります。 「定款の定めに従い、私が議長を務めさせていただきます」
 いつものセリフです。なぜか、株主総会の時に限っては、三木谷さんは微妙な神戸アクセントで話します。議決権個数と出席株主数を報告し、会社法上の事業報告を行い、質疑応答を経て、議案の採決を行います。 余震の発生もなく、無事に株主総会が終了しました。私は議長席のすぐ後ろに座っていたので、三木谷さんが使うことのなかった拡声器が、足元で邪魔になっていたのがよく見えました。

 株主総会終了後、オフィスに戻り、メールを準備しました。被害に遭った楽天市場の店舗数、楽天トラベルと楽天GORAの契約施設数、楽天イーグルスのシーズン開始の遅延日数、物流網の状況などをまとめ直し、英訳したものです。その内容を大株主と、とりわけ心配してくれた機関投資家の方々に対し、株主総会終了の報告とともにメールしました。ほとんどの方から内容を見て安心したと返事があり、心遣いに応えることができたとホッとしました。

社会的利益と投資家

 2011年5月の第1四半期決算発表では、日本の消費者マインドが4月中旬から急速に改善し、自粛ムードだった旅行もまずまずの予約状況だったことが報告できました。自粛より経済活動を続けて復興に向かう日本人の心境の変化に、外国人投資家も注目しました。  記憶に強く残っているのは、不幸にも実店舗も家も津波に流されてしまった出店者が、楽天市場での事業再建へと歩みはじめた事例でした。私がその話を聞いたのは、震災直後の被災地での救援物資不足の問題が一段落し、「仕事がない」問題が深刻となった時期でした。その店舗は震災以前から楽天市場を通じて全国にファンが大勢いました。「楽天市場があれば、待っているお客さまのために、また店をはじめられる」と前に進むことができたと聞きました。
 このエピソードを、IRミーティングの際に話したところ、投資家から「それは楽天ならではの支援ですね」と好意的に受け止められました。創業時、インターネットの公平性を用いて地方を活性化しようとはじめたサステナブルなビジネスモデルが、そのまま復興の基盤として使われたことが株式市場から見直されたと感じました。

 インターネット上で呼びかけた義援金は、多くの金額が集まっていました。楽天だけでなく、これまで新興企業と見られていた他のインターネット企業も、本業を通じた支援を実行しました。それらの取組みは、インフラとして深く浸透したインターネットの力を強く印象付け、何本ものアナリストレポートとなって世界中に発信されました。

 非常時、世の中全体が社会的な使命を果たそうとする中、株式市場も、経済的利益と社会的利益を両立させる企業を好ましいとする姿勢が見られたのです。

ー 第6章 END ー

写真:2016年の志津川湾(写真AC MeGeMさん)

IR(インベスター・リレーションズ)の経験などに基づいたテーマで記事を書いています。幅広い層のビジネスパーソンにも読んでもらえたら嬉しく思います!