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「ビギナーズラック」は神様の撒き餌か(カメラが一向に上達しないので、妄想してみた)

物事に最初にトライした時に良い結果であることを「ビギナーズラック」と言いますよね?
これって、なんで起きるんだろう?って、人間を半世紀してきて、改めて思うにいたりました、そんな話です。

私の趣味のカメラの話。
コロナ禍初期の2020年秋に、小学生の修学旅行以来の奈良に旅をした。
その1年前に始めた一眼レフとともに。
せっかくだから鹿を美しく撮ろうと早朝から奈良公園でスタンバイ。
何処が撮影スポットなのかもわからないまま、カメラを持った人の居る場所へ向かう。コロナ禍の早朝にもかかわらず「鹿活」のカメラマンはまあまあいらっしゃる。
6時過ぎに白んでくる空、水分を含んだ土から立ち上るモヤ。
朝モヤなんてつかみどころのないものの撮り方もわからない中で、夢中でシャッターを切る。その時撮れたのがこちら。

早朝の奈良公園
早朝の奈良公園

自分で言うのもなんだが、あの日のあの美しい奈良の朝を、うまく切り取れたように思う。
使った機材は、Canonの入門機にサードパーティの望遠ズームをひっつけたもので、カメ活にいそしんでいる周囲の御仁たちに見られたら恥ずかしいほどの装備だ。
しかし、さすがMake it possible with Canonだ!
立ち込めるモヤまできっちり表現している。
なんなら実物よりファンタジックに仕上がっている気すらする。(大してレタッチはしてない)

すっかり気を良くする

この写真に気をよくした私は、その年以降、
翌年の2021年秋、
2022年にはついに夏と秋、
2023年にはついに、春2回と夏2回と秋2回という、
「馬鹿のすること」言われても否定できない日数と費用を奈良につぎ込んだ。そこまで繰り返しても、2020年秋の写真に及ぶものがとれない。

鹿撮影には圧倒的に慣れてきたはず。

最初の年の、右も左もわからない、奈良公園の全貌すらわからない状態で
「とりあえず吉城川へ」と、川べりで何時間もひたすらカメラを抱えてしゃがんでいた頃とは違い、(その姿が目立ち過ぎたのか、2年連続NHKの取材を受けてしまった)日の出の太陽が、若草山の山の端から顔御出す位置と、日の傾きによって、刻々変わる撮影に最適なスポットも頭に入り、
早朝は売っていない鹿せんべいを、前日から仕込むという高等技術(?)も身につけ、奈良公園に一番早く到着するバスの停留所の目の前に宿を取る等、とにかく鹿撮影のハード面(?)に関しては、この上ないほどに短期間で上達したのに、だ。、
そしてついに2023年秋の撮影直前に、初心者機材(キャノンの入門機X9)をかなぐり捨て、ニューマシンにしたのに、だ。

2020年のあの秋以上の写真が撮れていない。

ついにプロに学ぶも

2023の秋に至っては、人の手まで借りる。
奈良の鹿写真家・佐藤和斗先生のレクチャーに大枚をはたいて参加。
(このレクチャーについては下記記事参照のこと)

それなのに、だ!

2020年秋のあの写真以上のものが撮れない。

撒き餌されたのでは・・?

課金しまくっても、まったく上達しない腕を前に、少し立ち止まって見た。
ビギナーズラック以上が撮れてない、のではなく、あれは、なにか神様のいたずらであったのではないか、と。
(無神論者、無宗教です、ちなみに)
私の腕では本来撮れないはずの写真を、最初に撮れたように見せかけて、そのレベルまで修練して上がってくるように、神様に仕組まれてるんじゃないかと??
(無神論者、無宗教です、再度)

物事を始める際「できない」ところからはなかなか続ける気持ちがもたない。
だけど「得意かも」「向いてるかも」と思えば、鍛錬も苦にならない。
その為の撒餌が「ビギナーズラック」なのではないだろうか??
人に楽しみをあたえるために、神様が雲の上から巻き散らかしている・・。。

【余談】「撒き餌レンズ」

話がそれるが、 カメラ界隈の人は御存知「撒き餌レンズ」。
「撒き餌」という名称がほんとにぴったりだと思う。
入門機材とセットレンズ(撮れなくはないが一通りなレンズ)から、
別売のレンズに手を出したくなってる人が、つい買ってしまう価格&クオリティのレンズのことを指す。
Canonについては「EF50mm F1.8」 今でこそ多少値上がったが1万円台中頃で買える。

そして、ボケ感がこの価格ではありえないくらい、「いい感じ」なのだ。
敢えてCanonも、このレンズを低価格に抑えている。
まずは買わせて、そのあと レンズ沼にはめようという魂胆だ。
沼にまかれた、撒き餌・・。 おそろしや、だ。

話は戻る。

大袈裟を言えば人間は、常にいろんなことを「始め」ている。
大人になってもそうだし、子どもの頃なんて毎日何かしか”初めて”に出会っている。その中で「うまく」行くものもあるし、、行かないものもある。
行かないものには興味を失うこともあるだろう、それはきっと撒餌じゃなかったんだ。うまくいかななくたっていい。
「神様の撒き餌」に早く出会って、何かを仕事に、何かを長い趣味にできると幸せな一生が送れるのかもしれない。

私は、長く続けてきた大好きだったゴルフを体の不調でやめることになった。2022年の秋のことだ。
もしかしたら、2020年に神様が撮らせた鹿の写真は、こうして失ってしまう趣味の代わりになるよう、事前に撒いてくれた餌だったのかもしれない。
鹿は神様の使いというしね。(無神論者 念のため)

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