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【実体験小説】 真夏の訃報 その3 「遺品争奪戦」

先日アップの「真夏の訃報」の第三話です。

若い頃に体験した彼の事故死とそれに続く、リアルで少し、いや、だいぶおかしい出来事を小説風に綴ります。
前回は、事故当日横浜に居なかった私が、警察にアリバイを聞かれたところまで。
今日はその続きです。

冒頭ではありますが、
「この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません」と一応書いておきます。ええ。

刑事とのバトルを終えた私に、まだ更なる難関が控えていようとはこの時まだ知る由もなかった。

横浜の沖縄好きで、知らない人はいないという沖縄居酒屋Sが野毛にあった。
沖縄出身の夫妻と娘が切り盛りする、本場の料理が人気の老舗だ。
お客から、沖縄の言葉で母を意味する「アンマー」と親しみを込めてよばれるおかみさんは、気さくに客に話しかけたり、お客同士をつなげたりし、
「イチャリバチョーデー(一度会ったら兄弟の意)」そのままの沖縄らしい雰囲気もリピーターの尽きない理由の一つであった。
店の手伝いをする娘のМ嬢は、常連客のアイドル的存在で、店に明るさを加えていた。

そこが、Nの行きつけであり、Nのバイク仲間と集まる店でもあった。
入りびたるうちに、Nは三線という沖縄の弦楽器に出会い、この店の常連に師事して
小さなライブを開くほどにはなっていた。
沖縄好きの会社の先輩が居酒屋Sを見つけてきて、常連ばかりで敷居が高そうな店の玄関を
ドキドキしながら開けたあの光景を今でも鮮明に覚えている。
カウンターの隅に二人で座り、噂通りの沖縄料理に感嘆していると、
ニコニコしたアンマーが
「アナタたち今日初めてね?」
社交的な先輩が、この店に来られてよかったと伝えた。
気を良くしたのか、アンマーは続けた
「あのニィニィに三線弾いてもらうともらうといいさぁ」
そうして指差した先の小上がりに居たのがNだった。
照れ隠しに面倒くさそうなそぶりをしたあと、
当時流行っていた夏川りみの「涙そうそう」を危なげなく弾き通した。

沖縄好きと言っても、青い海と料理くらいしか知らない私達は初めて耳にする曲で、私がフラれた女が男を思い出している歌かと問うと、ニカっと笑い
「亡くなったお兄さんを懐かしんで涙を流している曲さぁ」と沖縄人でもないのに語尾を沖縄弁にして返してきた。
それが、Nとの最初の会話だった。

私がバイクの中型免許を取得した直後のことでもあり、
バイク販売店で整備士をしていたNとの距離はそれほど時間がかからずに縮まった。

当然二人でツーリングや沖縄旅に出ることもあるし、
外食ではなく、家で過ごすことも増え、居酒屋Sへ行く回数は減った。
嫌だったと言うわけではない。
私は、相手の友人知人と積極的に交る方ではなかったし
私の友人に紹介したり交えて遊んだりということもなかった。
Nはそれに合わせてくれていたし、不満を言われたことはなかったと思う。
付き合いというものは、それぞれの形があってどれも間違いではいと思うのだが・・。
ただ、外から見たらそれは違ったのかもしれない。

私はNの事を何も知らなかった。私はNの人生の、最後の数センチにしか関わっていなかったから。
彼に関わった人の多さを知らなかった。

Nが死んだとき、私は周囲から浮いていたと言っていい。
あの気さくで誰とでも打ち解け、2日に一度は店に顔を出したNを
沖縄居酒屋Sから引き離した、仲間に打ち解けない女。
バイクに乗るくせに、Nのバイク仲間にも顔を知られていない女。
しかも、Nが死んだ時に、全く姿を見せなかった女。
それが「俺たちのN」の女なのだろうか??という思いがジワジワと広がっていた。

「私は彼女じゃないけど、私の方が、もっとずっと心が結ばれてたし彼女って感じだった!」

直接言われたわけではない。
私が行かない間に居酒屋Sに入りびたり、きっちり常連となっていた先輩からもたらされる情報によると、
М嬢がそのようなニュアンスで語り、常連を含めそういう認識に傾いているようとのこと。
アンマーもたいそうお怒りのようで、
「店に顔も出さないようなのは、彼女でもなんでもない!」と
「うちの娘のほうがずっと親しかった。心で結ばれてた。Nはうちの家族だった」と。

「ちょっと何言ってるかわかんないっす」と言っても、伊達ちゃんにどつかれない、地球上唯一の例だ。言わないけど。
(ちょいちょいお笑いネタを放り込んで申しわけない。サンドイッチマンのネタだ)

ちょっと待てくれい!
奪い合うような男ではないんだ。
背も低い、顔も目を背けなくてよい程度で、
およそ富裕層というものの対極に住まっており、
「金」がつくもので残したとするならば「借金」の可能性の方がはるかに高いような奴だ。
ヤツとの結婚を意識した時、
「専業主婦むりかぁ!一生働くのかぁ私も。チクショウ」
と思った記憶がある。
奪い合ってなんの得もない上に、だいたい、もう死んでるんだぞ!!
そんなに好きなら、生きてるうちに言ってやってくれよぉ、と言えるなら言いたかった。

そう、みんな、みんなNの事が大切だったのだ。
皆悲しみ怒っていた。 なぜ突然命を奪われなければならなかったのかと。
もっとNと一緒に居たかったし、歌いたかった。
楽しませてくれたお礼をしたい人もいたかもしれない。
もっと、Nに何かをしてあげたかった!悲しい、悔しい。
行き場のないその思いの矛先が「訳の分からない女」に向かうのは仕方のないことであったのかもしれない。。

主を突然失ったNの部屋、家財道具の処分、ガス水道などの手続きなど細かいところまで、全ては沖縄居酒屋Sと、バイク仲間が取り仕切っていた。
膨大な作業が発生する。人が突然死ぬとはそういう事なのだ。

この店が中心となったからこそ、Nにはこちらに身内はないのに、
友人知人、バイク仲間すべてに連絡が行き、関東に土地勘もないNのご両親が上京しても、
宿泊先、食事、移動、親し人との顔合わせまで不自由なく済んだのだ。
仮通夜会場設置と周囲への周知も恙なく行われ、
突然で、且つ遠方で行われる、火葬・葬儀への参列者の集約も彼ら無くしては混乱必至だったろうと思う。

彼の父が
「あいつはこんなにも良い友達がいたんだなぁ。ありがたい事だ」
と涙したそうだ。最後の親孝行だった。

その流れで、Nの荷物の中で何を残すか、残したものを誰が引き取るか
居酒屋メンバーの主導で決まって行った。もちろん両親とも連絡を取ってだが
ほぼ全権委任の状態だった。これまでの貢献を考えれば当然のことだ。
身内でも面倒なことを彼らが引き受けてくれたからこそ、ご両親は遠い故郷で
静かに彼の死に浸ることができたのだから。
NやNのご両親への貢献が半端なさ過ぎて、この頃には、お父さんは、Ⅿ嬢を彼女だと思っていたそうだ。
それは無理もない。彼の死後、昼夜問わずずっと、Nの葬送に関することに携わってくれたのだから。
この時点で私は、テロップに名前もない存在なわけで。

NO貢献! NO遺品!
もっともなことだ。
貢献度もなければ、好感度もサイテーという事前情報があるので
私はNゆかりの居酒屋にも、N宅にも行けずにいた。

共に沖縄まで買いに行った三線も、愛用していたキープグラスも
お揃いで買ったヘルメットも。
「私の手元に置かせてください」その一言を言う場所に行けずにいた。

М嬢と開く一方の貢献格差。Nを喪い悲しむ人々の声。
ついには
「そんな人望がある人間が私と付き合うってこと、ないか?」
と自分の存在を疑問視し始め、

ある日、
「たぶん、わたし、彼女じゃなかったってことで、もういいかも?」
と、聞いても書いても真意が全然つかめない弱音を吐く私を見かねて、
片づけが進んで、間もなくNの部屋を引き払うという日が近づいた頃、
「何か欲しいものがあるなら、今、自分で取りにいかないと、後悔するよ」
と先輩が背中を押してくれた。

仕事後、バイクでNの家まで走った。事故現場は途中にある。
薄くなった血痕が月日の経過を物語っていた。
部屋に着いて、片づけを進めるバイク仲間に事情を話して、
残っているものから遺品を分けてもらうことになった。

沖縄で撮った写真も、一緒に旅行していた時に着てた服も・・。
私があげたお皿も、手紙も、大事にしていた本も、あれもこれも・・。
拾えなかった骨の代わりのように、夢中でかき集める私を静かにみている男がいた。
Kだ。

Nのバイク仲間とは絡むことのない私だったが、Kの事は昔語りによく出てきていたし
写真で顔は見知っていた。親友だと言っていた。
私と出会う前に、もう何十年も共に過ごし、数えきれないほど酒を酌み交わし、
バイクで共に風を切ってきた。野営をして朝まで語りあい、
時には、先にあの世へ走り去った仲間を見送ったこともあったろう。
そんな濃くて長い関係に比べれば、私との時間など一瞬の出来事に過ぎない。
それでも、バイク、居酒屋仲間で唯一、私を「Nとの関わりあいの薄い者」とせずに
居てくれた人物だった。Nの死の直後に初めて会った際にくれた
「最初あなたの事を聞いた時とても意外だったけれど、なぜアイツがあなたを選んだのか、今はわかるよ」
という言葉は、吹き荒れる逆風の中、前へ進む杖となった。

「今はあなたを支えてくれるNの思い出の品たちが、
いずれアナタを苦しめることになるから、あまり多くは持たないほうがいい。」

それを聞いて、ようやく私の手がとまった。

遺品を多く持つ者が、彼の荷物の整理を主導することが、
必ずしもNとの親密度を表すものではなければ、
そうできなかったからと言って、私とNとの事が消えてなくなってしまうものでもない。
Kはそう言っているようにも聞こえた。
手にゆかりの品を何も持たずとも、
Nは俺の大切な仲間で、Nもそう思っていると言うかのように、堂々と立つKを見て、
私は、誰かと競うように、何かに抗うように”N”を集めることを、やめた。

その夜、私は彼の死後初めて大泣きをした。

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最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
こうやって思い返して書いてみると、ほんとキャラの立った登場人物が多かったんですよね。
特にK。 書くと映画のようなキザっぽいセリフだけど、それが自然にでてきて違和感がない人物でした。
濃くて荒くて深い人生経験に裏打ちされた、ほんとにカッコいい男でした。
アンマーもМ嬢も、よく出てくる先輩も、ほんと濃くて。ドラマ作ったらキャラの書き分け楽そうな愛すべき人物たちでした。
ちょっと重くなりましたが、次回「Nの霊見たらエライ大会」はまた、頭のオカシイ私が炸裂するのでお楽しみに。

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