まろ

韓国史劇に散りばめられた哲学っぽい要素が大好きです。

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最近の記事

自分を破滅させられるのは、自分だけだ。

タイトルは、今日ちょうど最終回を迎えた「善徳女王」の中での、ある人の言葉。 最終回ということでいろんな登場人物の最後の見せ場があるんだけれども、 最も泣かせる場面はまた全然別なんだけれども、 数々の名シーンの中で一番記憶に残った言葉がこれだ。 なぜか? それはきっと、めんどくさいものを抱える自分にしっくりくるからだと思う。 私は所謂メンヘラである。それも、ガチもんの。 正しくはメンヘラ「だった」と言いたいところだけど。 最初にそれっぽい症状が出てからもう10年

    • 先輩は偉い。

      私は普段、先輩に対しては必ず敬語を使うようにしている。 時々その場の雰囲気でタメ口をきいたりすることはあるけれど、基本的には仲良くなっても敬語を使う。 人によってはよそよそしく感じるとか、「堅いね」って言われることもあるけれど、今のところ特にこの姿勢を崩すつもりはない。 なぜなら先輩という存在に対して敬意を抱いているからだ。 何故か? 先輩は、自分がこれから歩く道を作ってくれている存在だからだ。 今から自分もその後ろ、もしくは隣を歩くけれど、その場所に先に来て道を

      • 今日の常識は、昨日の非常識。

        今時、大義名分なんて言ってみたところで「何だそれ」で終わる。 だけど昔は、それが常識だった。そんな時代は確かにあった。 当時を生きる、ある男はこんなことを言っていた。 璽主は常に大義と共にあられました。 でも、今となってはどうでもいいことです。 卑しい私を取り立ててくださったから。 名誉を得て、家族も豊かに暮らせました。 国ではなく璽主が、そうしてくださいました。 でも今になって分かりました。 私は、その程度の器なのです。 ちなみに大義とは辞書曰く、人として守るべ

        • 上に立つ人が持つべきもの。

          人間生きていれば往々にして、人の上に立つ時が来る。 それが好きだという人もいれば、あまり好きではないという人もいるだろう。 昨今はリーダーシップが云々といった論や話も身の回りに溢れている。 昔は上に立つ人と言えばほんの一握りの、選ばれた存在だったのかもしれない。でも今は、誰もがその存在になり得る時代だ。 人の上に立つ人には、それなりの理由がある。 選ばれたにせよ、自ら選んだにせよ、役割が与えられる。 それはいったい何だろう。 ある時、「善徳女王」でトンマン王女が

        自分を破滅させられるのは、自分だけだ。

          学ぶ理由は。

          「人は何故、学ぶのだろう?」 「今やっている勉強が、いったい何の役に立つんだろう?」 そんな疑問を抱いたこと、数知れず。 誰に聞いても、あまり納得いく答えは手に入れられなかった。 だけどそれがつい最近、「善徳女王」を見ている時に、突然見つかった。 作中である時、こんな話が出てきた。 世の中を横に区切った時、人は支配する者と支配される者に分かれる。 私たちは支配する者たち、だけど民は皆支配される者たち。 民は何がどう起こるかを知らないし、知ろうともしない。 誰かが自

          学ぶ理由は。

          noteを始めようと思ったきっかけ。

          きっかけと言うほど大それたものじゃなくて、本当にふと考えついたことの結果だった。 深夜に突然「個のビジネスモデル図解」なるものが気になって、じゃあ朝起きたら自分もやってみよっかなって思い立って、そうしてお昼間に書き出してみた。 もちろんまだ学生、ビジネスのことなんてしっかり考え始めたのはつい最近。まだまだひよっこだ。 それでもひとまず描いてみて、Twitterだとか、大学でチームとして携わっているWebサイトだとか、そういう枠を書いている中に、肩を並べるようにして描いた

          noteを始めようと思ったきっかけ。