机を作った。
娘の入学に合わせて、学習机を作った。
材料に、楠を使った。
その楠は、祖父の木だった。
家を建てるときに、楠を切る必要があった。
祖父は、その楠を木材にして、保存していた。
祖母によると、祖父は楠を使って、箪笥か何かを作ろうとしていたのだそう。
しかし、その楠で箪笥が作られる前に、祖父は死んだ。
祖父が保存していた楠の木材は、50年間、誰にも使われることなく、倉庫に残されていた。
祖母の家に行くと、祖母はよく祖父の楠の話をした。
娘の入学が近づいてきてから、学習机の話題が出たとき、なぜかわからないけれど、祖父の楠のことが頭に浮かんだ。
祖父の楠で学習机を作ろうと思った。
知り合いの工務店さんに話をしてみると、快く引き受けてくれた。
しかし、いざ木材を見てみると、木材がねじれていたり、ところどころ腐れていたりして、使える木材は少なかった。
削り直して、加工をして、使えるところを切り出して、余すところなく全ての木材を使って、なんとか1台の机が完成した。
完成した机は、いわゆる子どもが喜ぶような学習机ではなかった。
娘の反応を、工務店さんも私も、皆心配していた。
しかし、完成した机を見た娘は、すごく喜んでいた。
「世界で一つの机だ!」と言いながら、天板の裏に、今日の日付と自分の名前をマジックで書いていた。
楠の話は、祖父からは聞いたことはない。
娘は祖父と会ったこともない。
これが、どういうことなのか、どういう感覚なのか、いまいちうまく言語化できないのだけれど、なにかしらの祖父の思い(祖先の思いの方がしっくりくるかもしれない)を後の世代につなぐことができたように感じ、なんだかなんとも言えない充実感を得た。
こういうことをやっていきたいなあと思う。
こういうことに触れていたいなあと思う。
臨床心理学の領域にいると、どちらかというと辛い体験を聞くことの方が多いのだけれど、このような話を聞くこともある。
その幸せを一緒に感じながら噛み締めることで、自身の「生」を改めて肯定できる。
そんなことをやっていくような、カウンセラーでありたい。
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