臨床心理士 箪笥【from Container Counseling Spot】

元気があれば、何でもできる。 臨床心理士です。 主に子どもや親へのカウンセリングを…

臨床心理士 箪笥【from Container Counseling Spot】

元気があれば、何でもできる。 臨床心理士です。 主に子どもや親へのカウンセリングをしています。

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たんすの本棚〜マガジンラインナップ〜

マガジンについてテーマ別に連載の形式でマガジンを作成しています。 いくつかのマガジンを同時並行で連載しておりますが、クライエントとカウンセラーのやりとりが登場するものに関しては、有料での公開としています。 やりとりの流れを公開することに対しては、クライエントの方々に了承いただいており、また個人が特定できないようにかなりの加工を施してはいます。 ただ、やはり不特定多数の人がいつでもアクセスできる状況というのは避けたいという思いがあり、有料での公開としています。 無料のマガジ

    • 現代の子どもたちが求めているもの

      現代の社会におけるつながりとは、どういうものなのだろう。 春、新たな出会いがある。 特に、若い人たちと話すと、新たな気づきがある。 最近驚いたのは、「地元」や「地域」という感覚の薄さである。 生まれた時からスマホやSNSがある世代の子たちが、もう新入社員として配属になってくる。 そんな彼らの話を聞いていると、地元や地域でつながる、ということより、趣味でつながる、ということを自然におこなっているように感じる。 彼らが地元や地域とつながれない、というわけではない。

      • 箱庭を制作した後のやりとり

        箱庭は、言葉では表現できないことが表れると言われる。 だから、それを無理やり言葉にすることは、あまり好ましいことではないのかもしれないけれど、実際の臨床では、箱庭を作ってもらった後に、箱庭について話してもらうことが多い。 でも、話してもらった際には、うまくいく時とうまくいかない時があり、それは、クライエントとセラピストの間の関係性による部分も大きいように思う。 うまくいかない時は、 箱庭について詳しく聞こうとしても、 「いえ、ただ置きたくて置いただけです」 「かわいいか

        • 何も変わっていないけれど、明日もなんとか生きていける

          人間の悩みというのはほとんどすべて人間関係の悩みである、というようなことを、アドラー先生が言っていたような気がするけれど、たしかにそうだよなあと思うことがある。 そして、その人間の悩みのほとんどすべてを占める人間関係の悩みというのは、ほとんどの場合、解決することはない。 上司が嫌なやつだったとして、その上司をいいやつにすることなんてできない。 隣の席の先輩の声の周波数が、どうしても耐えられないとして、その先輩の声の周波数を変えることなんてできない。 犬猿の仲の先輩同士

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        たんすの本棚〜マガジンラインナップ〜

        マガジン

        • 「普通」の人のための箱庭療法の説明書【事例編】
          10本
          ¥2,000
        • なぜかいつも『片思い』してしまう人へ
          8本
        • 臨床心理士による放課後等デイサービスへのコンサルテーション
          12本
        • 「発達障害」と診断された人のための「発達障害」の説明書
          15本
        • 親との関係をよくしたい人のための「愛着理論」の説明書
          5本
        • 知能検査を受けた人のためのIQの説明書
          10本
          ¥2,000

        記事

          とらわれのことが少し気にならなくなる

          頭を空っぽにするための方法を考えることがある。 頭が空っぽになりさえすれば、物事のほとんどはうまくいくような気がしている。 ほとんど全ての人は、何かにとらわれている。 そのとらわれている何かとは、目の前の仕事かもしれないし、子育てかもしれないし、介護かもしれないし、どうしても癇に障るあの人かもしれない。 あるいは、過去の親との関わりかもしれないし、友人や恋人に裏切られたトラウマかもしれないし、どうしても拭いされない記憶かもしれない。 あるいは、未来への漠然とした不安

          とらわれのことが少し気にならなくなる

          説明しようとしてズレる

          歩くのが好き。 なぜ好きなのかというのを説明しようとして、少し躊躇する。 いつもの感覚。 カウンセリングで、子どもたちとかけがえのない時間を過ごす。 それは、自分にとって、価値があると信じることができるし、子どもたちにとっても、価値があると信じることができるものである。 子どもたちと自分との間では、そこまででしかない。 それで終わり。 なのだけれど、子どもたちがクライエントの場合には、「それで終わり」ということはない。 子どもたちは、自分だけの力でカウンセリン

          「あなたには価値がある」ということを伝えるだけ

          世の中には、自分と合わない人なんて、いくらでもいる。 自分と合わない人とやりとりをすると、やっぱり傷つくことなんかがあったりして、落ち込んだりもする。 「あの人はなんでこんなことを言うんだろう」と考えたりすることもあるけれど、それは、その人のことで頭がいっぱいになってしまって落ち着かない自分が、ただ自分が落ちつくための理由を探しているだけであって、本当にその人に寄り添って、その人の背景を考えようとするようなムーブではない。 もし、本当にその人に寄り添うような気持ちで、「

          「あなたには価値がある」ということを伝えるだけ

          感情の同期

          人と接している時に、自分の感情が動く。 その感情は、きっと自分一人の感情ではない。 どうしようもなく怒りが湧いてくる時、それは自分だけの怒りではなく、今まさに目の前で接している人が感じている怒りを請け負っているのかもしれない。 どうしようもなく不安でそわそわする時、それは自分だけの不安ではなく、今まさに目の前で接している人が感じている不安を請け負っているのかもしれない。 その感情の同期は、ネガティブなことだけに起こることじゃない。 どうしようもなく愛しいと思う時、そ

          机を作った

          机を作った。 娘の入学に合わせて、学習机を作った。 材料に、楠を使った。 その楠は、祖父の木だった。 家を建てるときに、楠を切る必要があった。 祖父は、その楠を木材にして、保存していた。 祖母によると、祖父は楠を使って、箪笥か何かを作ろうとしていたのだそう。 しかし、その楠で箪笥が作られる前に、祖父は死んだ。 祖父が保存していた楠の木材は、50年間、誰にも使われることなく、倉庫に残されていた。 祖母の家に行くと、祖母はよく祖父の楠の話をした。 娘の入学が近

          グループ箱庭再考

          砂が入った箱の中に、自由にミニチュアを並べて、自身の内面を表現する「箱庭療法」というカウンセリングの手法がある。 複数回のセッションの中で、クライエントはカウンセラーに見守られながら、いくつかの箱庭を作る。 作った箱庭から、あるいは箱庭を間に挟んでのカウンセラーとのやりとりから、クライエントは様々な気づきを得る。 そういうものである。 一般的に、箱庭療法は、カウンセラーと1対1で行われる。 最近、集団で1つの箱庭を作るグループ箱庭に触れることがあり、改めてその可能性

          いつも何かに追われている人へ

          いつも、何かに追われながら生きているような気がしている。 何かに追われながら、とりあえずあの場所まで到達すれば、何かが得られるような気がして、必死で走る。 目指していた場所まで到達してみると、一旦はホッとするのだけれど、またすぐに何かに追われる。 目指した場所に到達した喜びを噛み締めることはほとんどできないまま、ずっと追われていた何かがどこかに消えたことにただ一瞬だけホッとして、また新たに現れた何かに追われて走る日々が始まる。 たまに、こうやって立ち止まって、文章を打

          頭がごちゃついている状態

          頭の中がごちゃついていることがある。 ごちゃついていることがある、というより、だいたいごちゃついている。 頭の中が整理されていると、ただそれだけで、自分が進みたい方向に自然に進めるような気がする。 世の中には自分以外にも、頭の中がごちゃついている人は、結構いるんじゃないかなあという気もする。 今はなんとなく、頭の中がごちゃついているとき、「自分は今頭がごちゃついているなあ」ということを意識できている気がするけれど、子どもの頃には、というよりつい最近まで、自分の頭の中が

          重きをおくということ

          何事にも重きを置かない生き方をしたいと考えることがあります。 何事にも重きを置かないなんて、 そんなことはおそらくはできません。 「何事にも重きを置かない!」 と意識している時点で、 それはもうそこに重きを置いています。 カミュ『異邦人』の主人公ムルソーは、 共に一夜を過ごした女性から 「私のことを愛しているか」 と聞かれて、 「おそらく愛してはいないと思う」 と答えます。 そして、その女性から 「私と結婚したいか」 と聞かれて、 「どっちでもい

          冒険

          何が起きるかわからないことにワクワクする。 前提を根本から覆すような問いが生まれたときにワクワクする。 自分の理解の範疇を超えるものが目の前に現れたときにワクワクする。 それらは「安心」とか「安全」という概念とは少し離れたところにあるかもしれない。 「安心」とか、「安全」とか、「安定」に、ワクワクすることはない。 よくわからない場所に行くこと、未開の地に行くこと、そこにワクワクがある。 それは、「安心」というよりも「不安」に近いものなのかもしれない。 「冒険」に

          自己主張ができる場

          「自己主張ができないやつはバカだ」みたいな、アメリカナイズされたことを言う人がいるのだけれど、やっぱり自己主張できない場というのはある。 何も言葉を発することができないような空気というのはあると思う。 かと思えば、自分でも驚くほどめちゃくちゃ自己主張してしまっているなあと感じる場もある。 何も言葉を発することができないような空気の中、「自己主張ができないやつはバカだ」というアメリカナイズされた主張が頭をよぎって、無理に自己主張をしてみたこともある。 けれどそういう時に

          守破離の裏側

          世の中には、いろいろなルールとか型があって、初学者の頃は、それにどういう意味があるのかよくわからないまま、ただそのルールや型に沿って、師匠がやっているのを見よう見まねでやってみたりする。 やっていくうちに、だんだんそれらしくはなってくるのだけれど、そのルールとか型に縛られすぎている自分にも気づいたりして、壁にぶち当たる時がくる。 そうして、そのルールや型の意味を改めて考えてみたり、試しにそれを破ってみたりなんかして、その時の自分の感覚を確かめる。 そのようなプロセスを踏