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人間は予言者にはなれないから、未来を模索する

上記のツイートを、私は糾弾したいわけではない。決してない。むしろ、このツイートを引用しているツイート群を見てもらうためにある。



最初に私は立場を明確とするために、太字かつ大文字でできるためわかりやすく表記した。以降の文章を「趣旨替え」と認識されたくないからである。

SEALDsは、2015年5月から2016年8月まで活動していた日本の学生により結成された政治団体・学生団体である。
彼らはTwitterなどさまざまな形で政治活動をした。Twitterデモの走りであった。きっと、上記引用したツイートの、さらに引用リツイートには、おびただしい「証拠写真」があるだろう。デジタルスティグマとして、劣化され続けるjpeg画像が、全てを物語る。「政治活動をすると一生ついてまわるのだ」と。

東大などで安保闘争していた人間は、写真におさめられることはあれど、案外簡単に大企業に就職して、昔話の若気のいたりとして、話の種にした。昔は、政治活動なんて武勇伝のひとつとして埋没してしまうくらいのものだった。
 
SEALDsの彼らだって、上の世代の軽い気持ちで政治活動をしたのかもしれない。別に、それでいいはずなのだ。政治活動は、重々しくやらなければいけないものではない。投票することだけが政治活動ではないのだから。官邸に投書することも、好きなものの話をすることも、嫌いなものの話をすることも、全てすべて政治的な活動ということができる。自担の爆エモエピを話す「推し活」だって、アイドルマスターのオタクならそれが「一票の重み」としてかえってくることを多少なりとも感じたことがあるかもしれない。(ゲームユーザーにゲーム内で投票を促し、ボイス実装などが実現するシステムのこと)

だって、アメリカのことを好きということ、韓国のことを嫌いということだって、政治的活動につながっていくのだから。

SEALDsをインターネットで五年以上冷笑し続けた結果、より日本人は政治参画を「しゃらくさい」「めんどくさい」「鬱陶しい」ものとした。
SEALDsを冷笑することで、より日本を政治的に後退させている事実から、目を背けている。ひろゆきの「それってあなたの感想ですよね?」がYouTubeなどをきっかけに広まり、小学生の流行り言葉になっている世界。その中で新しい意見を出せる勇気を、あなたが小学生のときに持っていただろうか? 周りの意見に流されておけばいいや、と思ってしまわないだろうか?

SEALDsのすべてが正しいという話をしているわけではない。政治活動は未来予測を含めた話をしなければならない。しかし、日本の中の世論が、大多数の意見が動くことによって、未来予測は裏返る。希望的観測に過ぎない政策だってあるだろう。きっと自民党がやったものも希望的観測をずるずると引きずったものもある。

民主主義で国会議員を決める国民は、べつにさまざまな学問を修めたスーパーコンピュータではない。未来予測なんて立てられない。間違いだって、デマに踊らされることだって、ある。完全じゃないから、投票を数年毎におこなう。少しずつリカバリーしていくために。だからこそ、政治的な活動自体を「しゃらくさい」と思わせてはいけないのだ。しかもそれを、未来を担う「若者」という属性に対して。

もしかしたら、おじさんおばさんからしたら、甘い蜜すすった残りかすしか若者に与える気がないのかもしれないけれど。
少しでも楽しく漫画や映画をつくることのできる日本を存続させたいのなら、「若者」という弱いものいじめを続けることに意味はない。新作のオタクコンテンツを作っていくのは、「若者」である。

SEALDsを冷笑するあなたは、政治的な活動を、たとえばTwitterでひとつずつ好きなもの嫌いなものを話すことにすらピリピリとなってないだろうか? たとえば、フェミニストともアンチフェミともその好きなもので定義されたあとにまっているのは、反対側からのバッシングだ。
そのひどく退廃的な戦いに、意味はあるのだろうか?

どうかSEALDsという組織を叩いている人たちは、「若者」という総体を叩いていることに気付いて欲しい。神奈川新聞記者という肩書きにねたみそねむのかもしれない、このあたりはわからないけれど。「若者」が政治に参画する機会を遠回しに奪っているのは、インターネットでひたすら「ネタ」にし続ける、あなたたちに他ならない。



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