社会人ってなんだろう
今年に社会人デビューする友達が、社会人としては先輩の私に、こう聞いてきた。
「社会人ってどう?」
私は、どう?と聞かれるのがかなり苦手だ。相手の求めている答えを言えないし、そもそも質問の意図がわからない。
上司に「研修はどうだった?」と聞かれて、「疲れました」と返したことさえある。
その場ではうまく答えられないから、こうしてあとからじっくり考えることが多い。
先の友達には、
「人の役に立っている気はする」
「お金がもらえて、自由に使えるのが良い」
と答えた。我ながらテンパっている。
そういえば以前、別の人からも同じことを聞かれて、
「大変さと楽しさが半々かな」
と答えたこともあった。
いつも仕事について考えるとき、念頭にあるのは、
仕事とは社会に価値を提供し対価を得ること
という、どこかでみたような、しかしいろいろな人が別の言葉で語っている、このことだ。
どちらかというと私は他人のために働きたいと思うタイプである。
だから、例えば目の前のお客さんが困っていたら、
自分にできることは何かないか、探してしまう。
結果的に困り事が解消したら、そしてあわよくば喜んでもらえたら、それは価値を提供したということだ。
この瞬間は楽しい。自分が誰かの役に立っている、ということは嬉しい。生きてていいんだ、という気持ちにさえなる。
ただし、困っていることが解消されればの話である。
そこに至るまでに、
相手が真に求めているものは何か?そこに私の知識や技術を駆使するとどんなものを返せるか?それで果たして改善するだろうか?
という過程がある。
これは大変である。苦しい。自分の無力さを知ることが多く、小手先のことで済ませてしまいたくなる。
しかしそれではたいていの場合、価値を提供できない。一時、解決したとしても、信頼を失っていたり、どこかでまた同じ問題が追いかけてきたり、するのだ。
私は月々のお給料で働いているので、直接的な対価を相手からもらうことはない。
だから、相手のことだけを純粋に考えるわけにはいかないときがある。
これも大変である。イライラ、もやもやすることが多い。
大変さのほうが多いようだが、楽しさが大変さを打ち消すパワーのほうが大きいので、体感としては半々くらいだ。
そういえば相手から感謝の言葉をもらうことがある。これも嬉しい。
しかし対価かといわれると、違う気がする。
なぜかはわからない。
だから、考え続けなくてはならない。
私は社会に価値を提供できているのか?
それは誰に、何にとっての価値なのか?
そうして得られる対価とはなんなのか?
これを常に自問自答するのが、社会人なのかもしれない。
もっと経験を積んだら、また違う答えになるのかもしれないけど、どうかな。
*画像はるるてあさんのコウペンちゃんです