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『恋は光』 にコロサレル!

やはり好きな原作の実写化っていうのは気が乗らないもので、どーせ観て文句を言うくらいなら最初から観ないほうがいいじゃないかとか思ってしまうものです。
思い出はそっと閉まっておいた方がね。
今作も実写化する事はもちろん知っていて、でも「どーせ有名なキャスト集めただけでしょ」って切り捨ててたんですよね。
しかし大好きな映画評論家の中井圭さんが激推ししていて、Twitterのスペースで監督の小林啓一と対談してるのを聞いてしまって、どーしても映画館で観たい欲にかられてすぐに駆け込みました!
ということで今回はこの映画について原作も交えながら書きたいと思います。

※「小林啓一の辣腕全開!」以下、映画・原作併せてかなりのネタバレが含まれています。
また上記の中井さんと小林監督のスペースでのお話も少しでもPRになればと含ませて頂いております。
未見の方は特にご注意ください!

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監督・小林啓一と原作者・秋★枝

小林 啓一
1972年2月18日、千葉県出身。テレビ東京「ASAYAN」の番組ディレクターを経て、ミニモニ、DA PUMP、DREAMS COME TURE等のPV、ライブ映像、CMを手掛ける。2011年、初長編映画『ももいろそらを』を脚本・監督。同作品が第24回東京国際映画祭ある視点部門にて作品賞を授賞。サンダンス映画祭、ロッテルダム映画祭他、多数の映画祭に招待を受け、第50回ヒホン国際映画祭では日本映画として初のグランプリを受賞。続く長編『ぼんとリンちゃん』(14)では第55回日本映画監督協会新人賞や第18回上海国際映画祭アジアン・ニュー・タレントアワード優秀撮影監督賞他を受賞。その後、『逆光の頃』(17)、『殺さない彼と死なない彼女』(19)とコンスタントに話題作を手掛けている。
ー映画公式HPより抜粋

秋★枝
4月29日生まれ、山口県出身。主な作品は『煩悩寺』『Wizard’s Soul〜恋の聖戦〜』『恋愛視角化現象』『恋愛ソフィスティケート』『恋は光』『俺の彼女が×××を期待していて正直困る』『起きてください、草壁さん』など。
ー集英社オンラインより抜粋

映画興行の難しさについて。

興行的にはスペースで小林監督も話していたようですが、めちゃくちゃ厳しいようです。
公開3日間で観客動員1万人に届かず興収も1,500万くらいですかね。
夏の新作ラッシュでまだ2週目にしてスクリーン数も激減。
個人的にひとつ思う事がありましてこれ上映館をざっと見ていたんですけど、ほとんどがTOHOシネマズで、それ以外もイオンシネマなどほぼ全国的にシネコンで上映してるんですよね。
まー今をときめく若手俳優が出演しているからなんですかね。
これがけっこうミスマッチなんじゃないかなーと感じました。
個人的にシネコンて“シネコンで観るべき映画”以外であんまり行きたくないんですよね。やっぱりどーしてもミニシアターにくる客層と全然違うじゃないですか。映画が好きで良く映画館に足を運ぶ友達と話していても、これはあるあるなんだと思います。
もちろん映像とか音響に特化した作品、最近だと『トップガン マーヴェリック』とか『エルヴィス』とかは絶対シネコンで観たいですよ。シネコンが悪いわけでは当然ありません。
つまりマッチングの問題。
こーいう恋の物語とか、それこそ小林監督が描いてきたような繊細な脚本の物語はやっぱりミニシアターで観たいんです!
クラスの1軍が大声出してワイワイやってるシネコンじゃなくて、隣の人が少し動いただけでソワソワしちゃうような人が集まるミニシアターで観たいんですよ。
全体の興行の事を考えたら、もちろんシネコンのようにたくさん観客の入る場所も必要。
でもそーいう所にはなかなか足を運ばない、シネフィルのような人たちを味方につける事もまた大切なのではないかなーとシネコンからの帰り道に少し考えていました。


小林啓一の辣腕全開!

『殺さない彼と死なない彼女』の素晴らしい実写化が記憶に新しい小林監督。
岡山の大学に通う(スペース談:原作では松山だったけどコロナ禍で撮影ができなかったため岡山に変更)主人公の西条(神尾楓珠)は他人が恋をすると体から発する光が見える。そんな彼の前に現れる東雲(平祐奈)。彼女が気になる西条は幼馴染の北代(西野七瀬)に相談する。そしてそこに他人の彼氏を奪う事を生き甲斐にする宿木(馬場ふみか)も入り混じって恋のお話が動き出す、といったお話です。
まー簡単にキャラクターを説明すると、西条と東雲はいわゆる変人です。言葉遣いとかも変わっている浮世離れしたキャラクター。
北代と宿木は普通の大学生。(スペース談:「宿木は青学生をイメージした」。)
この2人の非現実的なキャラクターと2人の現実的なキャラクター4人の会話劇で作品のほとんどは進んでいくので、普通は乱雑になって混乱しちゃうかなーとか思うんですけど、そこは小林監督の見事なバランス感覚。
絶妙に、いやむしろ美しいまでに成立していて、どんどん物語に引きこまれていきます。

もう一つスペースで監督が話していたのが、これかなりのカットをめちゃ引きの望遠で撮っているらしいんですよ。言われないと全然気づかなかったと思います。
主要キャストが大人気の面々でみんな時間がなかなか取れないので、リハーサルも本読みもままならないまま(平祐奈だけ少しリハーサルできたみたいですが)ロケ地入りしなければいけなかったために、初日撮影は思うようにいかなかったようです。
頭を悩ませている中で、カメラが回っていない時にキャストが普通に話している雰囲気がとても良い事に気付き、その空気感を出すためにカメラを意識させずに望遠で撮るようにしたというようなお話でした。
機転が利くというか、小林監督の役者がベストを出せる環境を作る事へのアプローチの多彩さに非常に感心してしまいました。

オープニングの宿木のインパクト大のシーンや北代がメガネをかけている時とかけていない時の違いなどなど、本当に細かい所まで随所にこだわりを感じる、まさに小林啓一の辣腕を存分に楽しめる作品です。


北代という最強ヒロイン。

まー原作のファンとしてはこれは完全に北代の物語なんですよ。
たぶん原作でも映画でも主人公は西条なんだと思いますが、私個人としては断然に北代。
北代はずっと小さい時から西条の事が好きなんですけど、西条から見た北代はなんと光ってないんです。恋の光が発せられていない。少なくとも西条から見た北代は恋をしていない事になってしまうんです。

「じゃあ私のこの気持ちはなんなの?」

北代の中にはずーっとこの感情が渦巻いています。
でも北代は嫉妬に狂うヒステリックな人間ではありません。
むしろ西条との距離を測り、東雲の事が気になると言えば仲介したり応援したりもしちゃう。
東雲に「西条さんが好き?」と聞かれれば「そうだ」と素直に答えたり、サバサバしていて一見達観したような性格に見えます。
でもさ、だからって平気なわけではないじゃないですか。
北代は一貫して「西条が幸せならそれが1番。相手は自分じゃなくても良い。」というスタンスを取っているんですけど、相手が自分じゃなくても良いって事は裏を返せば「相手が自分だっで良いじゃん」って心のどこかでは願っているんだと思うんですよ。
そーいう報われない日々を西条と出会ってからずーっと送ってきたんです。

そんな彼女にある日、転機が訪れます。
とある絵をきっかけに西条と北代は大洲央(伊東蒼)という西条と同じく“恋の光”が見える女子高生に出会います。
2人が“恋の光”について央と意見を交換した別れ際に彼女がサラッとこんな事を言い放つのです。

「今まで見た誰よりも北代さんが1番光っていて、お二人ともすっごく似合いだと思いました」

そーなんですよ!
なんと北代、光ってたんです!!
西条には見えていなかった光が、央には見えていました。
全部が報われた瞬間が不意に訪れるんですよ。
「じゃあ私のこの気持ちはなんなの?」
って不安な幾重の夜を過ごしてきた北代の、ずっとずっと胸にしまってきた想いは間違ってなかったんだって肯定される瞬間が訪れるんです。
そして、
「好きだよ、ずっと。ちゃんと、好き。」
この言葉をしっかり西条に伝える北代。
かっこいい。
この場面はほぼ原作通りに映画でも描かれております。
もーね、ただただ最高で号泣です。

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原作とは違う結末と、恋と愛と希望とか。

この後は映画と原作では結末が違っています。
原作では西条は東雲と付き合います。
しかし映画のラストは西条は北代を選びます。
んーこれに関しては凄く難しいです。

西条と北代が付き合う世界線というのは確かに嬉しい。いや嬉しいなんて言葉では表現できないくらいの歓喜!
でも西条が求めていたものっては“恋”だったんだと思うんですよね。恋というものがわからなくて、追い求めて、だからきっと原作では恋の相手として東雲を選んだ。
映画の中で東雲に「北代さんの恋は母性に似ていて、それを知らない西条さんには見えない。」的な事を言われるシーンがあるんですけど、母性というか北代のそれは“愛”なんだと思うんですよ。
最初は“恋”だったのかもしれないけど、その恋がどんどんと育まれていって“愛”になった。
西条は“恋”を求めて、北代は“愛”を求めていたからこそあの時点では結ばれなかった。
そんな風に原作を読んでいて思っていました。

でも映画のラストで西条は北代の事を「希望だ」と言ってたんですよね。希望の光だと。
つまりは西条にとって恋の光の素、原点こそ北代だったんです。彼女は実は太陽のように光ってずっと自分を照らしてくれていた。だからこそ光っているかがわからなかった。
太陽が光を発しているのってもはや当たり前過ぎて気づかないじゃないですか。それと同じように。
このラストシーンを観た時に本当に身体に電流が走りました。
「もーそー来ちゃいますかー!」と心の底から脱帽。
そしてなんという素敵な幕の下ろし方なんだろうって感じたんです。

私は現実的に今すぐには無理でも北代がまたいつか恋の光を発する相手が彼女の前に現れたらいいなーと思っていたけど、小林監督はそのもう一歩上の未来を観客に与えてくれたんだと思います。
タイミングさえ違えばって事は恋愛では良くある事だけど、いやタイミングなんて関係ないんだ。自分にとって大切なものは、どんなに困難でも足掻いてもがいて自分の力で引き寄せないといけないんだ。
北代はちゃんと引き寄せたんだね。

「いやいやそれはやりすぎでしょ!」と言う人もいるかもしれない。
でも私にはそれが美しくて、強力で、明日からもちゃんと生きていっていいんだよっていうメッセージに感じ取れました。


おそらく本日よりさらに劇場数・スクリーン数が少なくなるはず...
でもまだ間に合います。
遅すぎる事なんてないので、ちゃんと自分の元に引き寄せてください。
もしもまだ近くで上映していたら迷わず映画館へ!


映画にコロサレル!

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