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建築を聴く 海のギャラリー

0.足の耳をそばだてる

 高知県の西南端に位置する黒潮に洗われるまち土佐清水。
 ここに建築家林雅子の設計した浜辺の建築「海のギャラリー」(以下当館)が所在する。郷土の画家黒原和男によって収集された多くの貝殻や珊瑚を収蔵展示する当館
は、そのコンセプトに対応する佇まいで来館者を迎える。今回はその建築を歩いた足が聴いた建築の声を言葉にしてみたい。


1.シャコガイに包まれる

 入場すると正面に衝立のような珊瑚のショーケースに出迎えられる。チケットを購入しそれをかわして入ると、薄暗い深い青の壁に囲われた通路があらわれる。
 貝殻の入ったカプセルが2つ、通路の中央に配置され、上階からくる光に包まれている。両サイドには珊瑚を配し、淡い照明によって陰影混じりに展示される。

 天井から光をそそぐ開口部にはガラスを張って、そこに貝殻を川の流れのように配列している。

 光はさらに上方、屋根の最も高いところに切られた溝によって取り込まれた外光である。
 この屋根はシャコガイをモチーフにし、折り紙のような襞をもっている。するとあの外光は貝殻の合わせ目にあたり、少し開いているのは出入水管を突き出すための隙間かと思われる、つまり生きた貝というわけだ。

2.海音になり貝をあらう

 深い青を基調とした1階を通り抜け、振り返ると階段があり、2階が少し覗く。そのフロアの明るさによって押し上げられるように階段を上る。

 末広がりになる明るい2階空間が見え始めるとき、呼吸にかかる負担が軽くなるように思われた。それは1階部分の色調と光量の低さによって息を詰めていたことに気付かされるのでもあった。
 これは企画展によって知ったが、この階段の上端は2階フロアと接していないのだという。たしかによく見ると地階フロアから斜めに突き出したコンクリートは2階フロアに支えられてはいないのが確認できる。

3.包まれた海

 この建築体験は、疑いなく設計によって企てられたものだ。いや、実際はしらない。しかしそこには明瞭なイメージを来館者に与えるはずであるし、何より私がそう体験したということによって確信される。コンセプトの見える建築、と言えばいいだろうか。
 1階は海底である。来場者を薄暗く深い青の壁また上階から降る外光がそのイメージを形成する。ただし、1階にいるあいだはこれを明瞭には感じていなかった。それが2階フロアに差し渡された階段によって明らかとなる。
 広く明るい空間、はじめ覗けていたのが屋根の頂端であったのが、上るごとに視界の端へと明らかになる末広がりの空間として、2階フロアに広さを印象づけている。この演出は、息を吹き返す水面性として意識され、それによって先程までいたのが「海底」であったと後追いで了解される。そのための息詰まる空間であったということだ。2階の壁面も青く塗装されるが外光のゆえかそれもかなり薄く感じられる。2階中央には下階で裏返しに見上げられた貝の配列があり、その下はあの薄暗いフロアが透かして覗かれる。左右には標本的に配された貝類が、学名と採集地とともに配され、突き当りまで行くと、折り返し空間の床はガラス張りになっている。僅かな空間ながら、このガラスというのも透過と反射をもつことによって水面性を意識させる。私なんかは渋沢孝輔の「水晶狂い」を彷彿とし、硬質な水晶が「結晶のかたちを変える」のも断崖と海の際、波に洗われる地点で光を触媒に介して成されていたことを思い起こさせる。
 引き返す先の突き当りには一つの扉があり、それはここへ入った扉に似て、出口を予感させる。そこから当館を出ていくと、階段が地上へと差し延べられている。地上に降り立つと、奇妙な体験をしたという心象のうちに振り返ることを要求される。その外力に従って翻ってみると、目の前にはシェルの形をした屋根が見上げられるのである。
 夢のような体験をしたと思ったが、それは、ああ、この海のギャラリーという貝が静かに眠り続ける夢に誘われたのだと了解する。それには展示された貝殻に付された採集地のことも過る。幻想と現実のふたつを継ぎ合せる、それは決して大きくはないこの展示館の内包する海という途方もない広がりをもつ巨大な夢だったのである。

林雅子資料スペース

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