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すくいあげられ、すくわれる

はじめに…

これは愚痴記事です。
気持ちを整えるため文字に起こしました。
長い長い、ただの愚痴です。

感情は凪。
少し風が強いかなという日があっても、
少し雨がちらついても、
殴りつけるような雨風は滅多にない。
振り返るとここ5〜6年ほど、
本当に「凪」だったように思う。
穏やかな日々とは違うのだけど、
大きく感情が乱れることがなくなった。
離婚協議期間が非常にしんどくて、
自分の心を殺すような生活を送っていたので、
心が定まった瞬間に、
ふっと、
感情が凪いたのを感じた。


一見強くなったようだが、
感情が固くなったと言う方が近い。
涙を流すこともほとんどない。
「ラーゲリより愛を込めて」を観て号泣できたのは嬉しかった。
わたしの喜怒「哀」ちゃんは生きていた。


先日、
非常に悔しい思いをすることがあり、
「怒」くんと「哀」ちゃんが跳び出した。
呼ばれて跳び出てじゃじゃじゃじゃーんっ!!クラスの勢いだった。
数日経って今は落ち着いているので、
この日を忘れぬように文章にする。


わたしは小学生バレーボールチームの監督をしている。
強豪と呼ばれるようなチームではなく、
B級大会に参加する程度のチームだ。

A級は全国大会まで繋がる地区予選を含む大会にでること、
B級は当日完結の大会である。

そもそもわたしはバレーボールの素人だ。
学生時代に部活動をしていたわけでもないし、
ママさんバレーをしているわけでもない。
授業と、
休憩時間に友達と遊ぶ程度の経験者だ。
何故そんな人間が監督を名乗るようになったのか。
色んな事が絡まっていて説明を省いて言うと、
自分の子供がお世話になっていた監督が入院されたから。
癌治療での入院だったため復帰の目処も立たず、
その間の子どもを任されたのだった。
任された理由も、
わたしがいつも練習に立ち会っていたから。
多くの保護者は送迎で来る程度だったが、
わたしは練習中ずっといた。
おそらく理由はそれだけなのだ。
監督が復帰されるまでと心を決め、
指導者資格もとり監督代理を務めた。
しかし監督の復帰は叶わず亡くなられたので、
子どもたちを宙ぶらりんにさせるわけにもいかないので、
そのまま監督を務めることに決めた。


ここから少しややこしい話になりますが聞いてほしいので書き連ねます。


我が子は地元のAチームに所属。
そこにはSというコーチがいる。
小学校の体育館が卒団式・入学式のある1ヶ月間使用できなくなるため、
その期間の練習場所としてSコーチの知り合いのBチームにお世話になっていた。
Bチームにいるのが先に述べた亡くなられた監督のことである。
Sコーチの技術指導は良いと思っていたが、
何分性格に難があった。
また仕事の関係で平日の練習はほとんど来られなかったり、
仕事が変わったあとにはほとんど来ることができなくなり保護者任せになることが多々あった。
リーダー不在のチームは不安定になる。
ましてや小学生。
どれほどやる気があってもリーダー不在は影響が大きい。
Sコーチに任せることに疑念を持った。


わたしの子どもが最終学年に上がる頃、
Aチームのメンバーは我が子含め2名になった。
それまで部員3名と少なかったBチームに、
数名入団することになった。
そこで、
もしよかったら一緒に試合に出ないかと打診したところ快諾してもらえた。
そこからはAチームの練習に加えて、
Bチームの練習も参加するようになり、
そして先に述べたように監督になるまでの経緯に繫がる。


Sコーチはというと、
わたしが監督として活動するようになった時、
Bチームの子に興味はなかったが、
Aチームの子がいるからという理由でBチームの練習にも時々顔を出すようになった。
練習に来ては、
わたしには指導できない技術面でのサポートをしてくれた。
ありがたいと思っている。
始めの頃はわたしのやり方に口は出さず、
サポートと言う形だったのだ。
けれど次第に口を出すようになり、
どっちが監督なのか、
周囲も、
わたし自身もわからなくなっていた。
もう監督やってくれよって思った。
でも決まって言うのは
「監督(わたしのこと)に任せるよ」と。
責任を負わされることからは逃げる。
自分はこう思うけど、
決めるのは監督だよって言う。
自分は仕事があるから。(わたしもだよ)
自分はボランティアだから。(わたしもだよ)



知ってる。
分かってる。
決めたのはわたしだ。
わたしはあんたと違う。
逃げ出すものか。


そんな状態で、
監督として今年8年目。
周囲からようやく監督として認識されるようになった。
技術指導も以前よりはできるようになった。
コーチに関しては、
練習に来ても来なくてもどちらでも良かった。
というか何も期待をしていない。
だから来るも来ないも把握していない。
それくらいに自由な状態でいる。
来ないときは来ない。
仕事柄冬場は忙しくまったく来ない。
まったく来ないのに、
2ヶ月ぶりくらいにヒョコッと現れて、
30分ほど練習を見たあと、
「全然成長してなくてガッカリした」と爆弾を投げつける。
子供にだ。
こういうことをサラッとぶち込んでくる。


Sコーチの気に食わないところは他にもある。
お気に入りの子とそうじゃない子との対応の差がわかりやすい。
お気に入りの子は、
コーチが言うには「やる気のある子」らしいが、
それは単に懐かれているからというだけ。
そう、子供に人気がある。
気さくに話す人だから、
割とすぐに子どもが懐くのだ。
それはいいとは思う。
けれど誰もが懐くわけではない。
決して心を開かない子だって必ずいる。
ちょっと何考えてるか読みづらい子もいる。
そういう子には声をかけることがほとんどなく、
やる気が見えなかったら怒るのだ。
まともに教えない。
お気に入りの子には丁寧に教える。
差別が見て取れるのだ。


ポジションのことで揉めたことがある。
2年前にセッターをした子はわたしが選んだ子。
「向いてない」とその子の親に言ったらしい。
その子の親を激怒させた過去がある。



そして先日、
またもセッターのことで爆弾を投げてきた。
今年度セッターをしているYが捻挫をし、
実質卒団までに復帰ができなくなったのだ。
ただ、
これまでも病欠したりケガをしやすい子だったので、
もう一人Fをセッターに育てていた。
先週末の試合でも慣れないポジションで頑張ってもらった。
その試合のあった夜9時頃コーチから着信。
「次の試合でTをセッターにしてみてくれないか」という。
Tとはポジション・センターのキャプテン。
は?と思った。
一応話を聞いてみると、
Tがセッターをしてみたいと言ったらしい。
さらにはFの親が、
Fが慣れないポジションでプレッシャーを感じているので別のポジションにしてほしいと言っていた、という。
寝耳に水の話だ。
さらに言葉は続いた。
「Y(正セッター)はもう仕方ないじゃん。」
「最後くらい好きなポジションでプレイさせてあげたらどうかなって。」
「まぁ最終判断は監督が決めてくれていいんだけど。」
この電話を切った後、
わたしの中にいた「怒」くんと「哀」ちゃんが屋根をぶち破って飛び出てきた。
なんとも言えない感情がこみ上げてきた。
怒り?
悲しみ?
悔しさ?
情けなさ?
これまで自分が積んできたと思っていたものが、
ほんの少し自信に変わってきていたことがぶっ壊された気がした。
読者さんには、
(え?そんなにか?)
と思われるかもしれないが。


まず正セッターが復帰できないことが仕方ないとはなんだ?
いつわたしが、どうしようって言ったんだ?
だからFにセッターとして頑張ってもらっている。
そこでTがやってみたいと言ったから何だというのだ?
なぜその意見だけ聞き入れなきゃいけない?
Fの親が何か言ったらしいが、
そもそもF自身から話を聞いたか?
最後くらいってなんだ?
正セッターがいないからって試合捨ててないんですけど?
やりたいことって他の子には聞いた?
Tはあんたのお気に入りだからじゃないのか?
Fはあんたに懐かなかったもんなぁ?



何がなんだかわからず軽くパニックになった。



いつも自分は子供たちを見ているのに、
コーチなんかよりずっと一緒にいたのに、
Tの気持ちも、
Fの気持ちも、
親の思いも、
わたしはコーチから聞くことになるのか?
わたしは信用なんかこれっぽっちもされていなかったのか?
我武者羅に走り抜けてきたのに、
ただの独りよがりなだけだったのか?


我が子には心配かけまいと、
風呂場に籠もって声を押し殺して泣いた。
こんなにも感情が溢れたのは離婚調停中以来ではないだろうか。
でも我が家は広くないので、
距離的には1部屋分くらいしか離れていない。
すると、
奥からナハトムジークが流れてきた。
我が子が察してかけてくれたようだ。
優しいなぁ、おい。
っていうかさ、
ナハトムジークって!!
今この状況でナハトムジークって!!

ゴミみたいなもんでしょう
勝手に積んできたんでしょう
いつの日か崩れても誰のせいでもないよ

歩くのが疲れたの?
むしろ正常でしょう
すべて無駄に思えても君は正しいんだよ

― ナハトムジーク ― Mrs.GREEN APPLE

勝手にやってきた。
自分が選んで勝手にやってきた。
今起こっていることは誰のせいでもない。
なんか怒られてるみたいだ。
でも間違ってないって言ってもらえた。
この瞬間思わず笑ってしまった。
子供の優しさと、(ナハトムジークはただの偶然)
歌詞のシンクロ具合が、
なぜか笑えてしまった。
お陰で物凄くスピーディに切り替えができた。


このnoteで言いたかったのはココなんだけど、
グチの量が圧倒的に多くなってしまった。
ほぼグチでした。


その後どうなったかというと、
事実確認を行い、
Fはセッターをしたいと言っていた。
これで心は定まった。
次の試合でセッターを変える気はない。
電話の後からこれまでコーチとは会っていない。
冬場なので練習には来ない。
顔を合わせるには明後日の試合の時だ。
決戦は日曜日。


わたしは負けない。


我が子とミセスに感謝を込めて。


最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

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