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The White Lounge 追記


何度も振り返ると、
そういうことだったのか!?と、
違う考えにたどり着くことがあって面白い。


ラウンジと言えば、
ホテルのラウンジだろうか。
旅行、
仕事、
待ち合わせ。
目的の違う人々がいる場所。
そこにアタッシュケースを持ってやってきた。
ケースの中身は「過去の思い出」。
ここからある男性の過去へ遡る。


⚠ 内容については#3〜#4あたりに記載しているので、ここではその内容ありきで進めます。

前編

あとから考えると、
男性の近い過去〜より遠い過去へと順番に遡っていっていたのかと。

「Folktail」
あの頃をふと思い出し懐かしむ瞬間がある。
あの頃は良かったなとか、
あの頃に戻りたいなとか、
あの頃の散々泣いた思い出とか。

回想Scene1


「君を知らない」
別れた恋人への未練。
君のすべてを知った気になっていた。
自分から離れていった君だけど、
思い出の中の君は笑っていて、
君に会いたくなる。

「ダンスホール」
ふたりで踊った記憶を懐かしみ、
またふたりで楽しい時間を過ごしたいと願う。
君への愛を声高らかに叫ぶ歌。

「ツキマシテハ」
自分の言葉で君を傷つけた後悔。
君の言葉が嬉しかったのに。
後悔で押し潰されそうになる。

回想Scene2

「They are」(ラジヲから流れる曲)
君から愛されていたのに、
君の愛を受け取れなかった自分が、
無くして初めて気づく。

「Coffee」
恋と愛の違い。
恋心はいつか冷めてしまう。
愛は育んでいくもの。
君と育んでいきたいと望む。
プロポーズ。

「PARTY」
これからは好きなところばかりじゃなくて、
嫌いなところもでてくるだろうけれど、
生まれ変わっても一緒にいられるように、
一生を懸命に生きると宣誓する。

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「ニュー・マイ・ノーマル」
変わらないことを数える。
過去の楽しかった記憶。
変わっていないことを数える。
あの頃から変わらず何度も繰り返してしまう自分と向き合う。
また恋をして、
でも愛を育めず、
傷つきながらも人の優しさに触れ、
また未来へ向かって進み出す。

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ここで前半終了。


時系列は回想Scene2→回想Scene1なのでは。
「They are」は歌いこそしなかったが、
ラジヲから流れたことに意味があったと。
男性は自分でラジヲを付けて、
曲が流れる。
すぐ後に恋人が表れるところで、
男性の回想に入ったのだと思われる。

ちなみに、
え?They are歌ってくれるの!?と、
ちょっと期待をしてしまったけれど、
残念ながら生声はお預けでした…

あと序曲については、
正直驚きと、
聴き慣れない曲と、
1曲目への気持ちの昂ぶりで、
あんまり内容を覚えておらず。
そして、
2曲目で聴き慣れた「Folktail」で我に返り、
安堵と、
曲調と、
演出と、
そして何より、
「そこにいる」という事実が、
一気に目から涙が溢れてしまうという現象を誘発したのだと思われる。

後編

Scene3

「春愁」
自分とあなたとの関係性は変わってしまった。
あなたと別れて、
何もかもが嫌になって、
一人にしてほしくて、
ひとりになりたくなくて。
同じ様な日を繰り返してしまう。
あなたを知らない明日がくるけど、
どこかで元気でいてくれるならそれでいいか。
そんな風に思ってもらえていたらそれでいい。
それがいい。

「Just a friend」
振り向いてくれない彼女。
1日でもいいから自分の恋人になってくれたらいいのに。
きっと君の好きなその子より、
自分と一緒にいたほうが楽しいと思う。

「Attitude」
自分の想いを表現する。
もっと伝われと願うのに、
やっぱ全部伝えるのって難しい。
格好悪い自分に落ち込むけれど、
夢の中なら格好つけていられる。
自分は強くないけれど、
この世もまだ捨てたもんじゃないと思いたい。

Scene4

「Feeling」
過去をいい思い出にするにはまだ心の傷が疼くけど、
そんな感情も受け入れてしまえばいい。
敏感に感じ取ってしまうことも、
時には気付かないふりしたっていい。
所詮この程度と諦めてしまうのはやめよう。
自分の感情の起伏が忙しないけれど、
それもすべて「わたし」。


Scene5

「ケセラセラ」
自分一人だと思ってない?
結構みんなそれぞれがそう思って踏ん張ってるんだよ。
大丈夫。
なんとかなる。
なんとかなる。
なんとかしてみせる。
だから今日は労って。

「Soranji」
これまで歩んできたあなたの軌跡。
みんなそれぞれが悩みを抱えて生きている。
あなたがその人を尊いと言うように、
あなたもまた尊いのだ。
生きていると色んなことがあるけれど、
生きてさえいてくれれば、
わたしがあなたを見つけることができるから。
どうか。


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「フロリジナル」
今、
自分はひとりだ。
誰かと愛し合ったことも今や過去。
一生添い遂げるつもりでいたって、
絶対なんか有りはしない。
だからって怖がって出会いを避けないで。
過去は過去。
未来に待ってる出会いの糧にするもの。
だからまた前へ。

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全編終了

後半も合わせて振り返ると、
時系列はScene3→Scene2→Scene1ではないかと。
ただ1、2の恋人と、
3の友達は同一人物ではないと思われる。

ただ「Attitude」が歌われた理由がわからない。
あれは大森元貴の曲だ。
何か別の意味合いがあるのではないかと考えれば考えるほど、
やはり大森元貴の曲なのだ。
ここで「?」となる。
今まで見てきたものは、
大森元貴の過去だったのだろうか?

そして、
「Feeling」はブロードウェイのような舞台が舞台。
そして大森元貴が最後に歌う(ことが多い)曲。
一旦ここで何かが終わったのではないか?

つまり、
序曲からここまでがとあるミュージカル上の設定だったのではないか。

でもさらに不自然な空間がやってくる。
サーカスの団長のような姿の男性が表れる。
ここ会場に一箇所に集められた我々は、
さも夢の中に閉じ込められているかのような感覚に陥る。
少し不安を感じさせるような演出かもしれない。
そして「ケセラセラ」と唱えられる。
いつも華やかに力強く歌われるその曲を、
ステージ上に組まれたサーカスの舞台の中心に、
中心に大森元貴、
向かって左後ろにアコーディオンを抱えた藤澤涼架、
右側にギターの若井滉斗が立つ。
舞台の袖から覗く無数の腕がヒラヒラと動く。
不思議な空間だった。

「ケセラセラ」を歌い終えると、
「お疲れ様でした」と解散していく。
舞台が片付けられる。
あれ?
また何かがここで終わったのではないか?

Feelingで終わったと思っていたのに、
ケセラセラでさらに終わったのだ。

解散していく様子を呆然と眺める大森元貴。
この姿がまた哀しかった。
すごく辛そうだった。
もしかすると、
大森元貴はいつもステージを終えると、
こんな抜け殻のようになってしまうのだろうか。
舞台の設定だとわかっていながらも、
(あぁ、彼が消えてしまう…)
と心配している自分がいた。

そして「Soranji」だ。
Soranjiは、
おそらく、
我々へのメッセージではないだろうか。
彼も、
そして我々も、
傷付き、
癒し、
どうにかここまで生きている。
みな等しく尊いのだ。
だからどうかこれからも生きていてほしい、と。

「フロリジナル」は、
曲調がとても軽やかで、
Soranjiからの曲調の変化がはっきりしている。
これまで白を基調としていた舞台上の演出が非常にカラフルになったのも、
あぁこれがThe White Loungeの本当のエンディングなのだと思わせた。
上にも書いているが、
過去と寄り添って立ち止まっていることはできない。
前に進もうと促す。

曲が終わり、
舞台上から人が捌けていき、
最後に大森元貴がラウンジを後にする時、
一番最初手に持ってきたアタッシュケースを、
一度は持って出ていこうとするが、
立ち止まって、
ラウンジにケースを残し、
身を軽くして去っていった。


今度こそ終わったのか?
もしかしてまだ終わっていないのか?
夢だったのか?
頭が整理をつけられないでいるところで、
舞台袖から出演者が並んで出てきたことで、
初めて「終わった」と理解した。
夢から覚めたような感覚とでも言うのだろうか。
そこでようやく拍手が沸き起こるのだ。
わたしの感覚では、
大森元貴が最後に袖へ捌けていくタイミングで拍手が起こり、
暗闇の中でも拍手が続き、
しばらく後にステージが明るくなって再登場し、
さらに拍手の音を上げるイメージだった。
だからやはり、
夢を見ていたかのように呆然としていたのだろう。


大森元貴は前情報なしで観に来てほしいと言った。
それほどまでに何を阻止したかったのか。
何を我々に伝えたかったのか。
わたしはSoranjiをあそこで歌った事が不思議だったのだけれど、
今改めて考えると大森元貴の言わんとすることが少し分かった気がしたのだ。
Soranjiは、
映画「ラーゲリより愛を込めて」の主題歌で、
映画を観た者にとって、
映画と曲ががっちりリンクしてしまっている節がある。
実際わたしはそうで、
それこそ死物狂いで生きて、
生きることが辛くて辛くて、
それでもどうか生きていてほしいんだと強く悲しく歌われている気がしていた。
でも今回の舞台では、
「死」はテーマに含まれていないと思ったので、
なぜこんなにも重たい曲を?と思ってしまったのだ。
でも歌詞をしっかり読むと、
「はじまり」の曲だったのだと理解した。
そうしたらすごく舞台のイメージが変わり、
あとからさらに感動を覚えたのだ。
擦り付けてしまった解釈を取っ払って、
曲の別の解釈を与えてくれたのではないかと思っている。


そしてキービジュアル。
エッシャーのような不思議な空間が描かれている。
角度を変えると人が表れる。
別の角度では人が消える。
まっすぐ見ようとするとモザイクがかかる。
時計だったり、
階段の裏を逆さまに歩く人だったり。
理解するには一筋縄ではいかない。
この舞台そのものをよく表現されていると思った。


実によく考えられた、
素晴らしい舞台だったと思う。


長くなりましたが、
最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

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