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哲学、音楽、読書メモ。

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最近の記事

波立裕矢"THE ANTHEM FROM SUSHI LAND"評

 2024年3月17日放送、音楽学者・白石美雪が現代音楽を紹介するNHK FMの番組『現代の音楽』波立裕矢回、"THE ANTHEM FROM SUSHI LAND"を聴く。板倉康明指揮、東京フィルハーモニー交響楽団。  断続的に演奏する神経質な音色の打楽器の上で、弦楽器、ピアノ、管楽器それぞれが持ち寄った素材が、マーラーやワーグナーの作品からの引用を織り込みつつ少しずつ膨らんでいく。  複雑に重なる引用も、原曲からそれぞれ僅かにずらされて繋がっていく。背景を作る呟くような

    • ジョン・ケージの音楽活動

      前回の記事ではジョン・ケージの作曲技法史に触れなかったので、重複する内容もあるがケージの活動を年代ごとに追ったものを載せておく。  ジョン・ケージ(John Cage, 1912-1992)はアメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス出身の作曲家である。  ケージの活動は、一般的な意見に従えば、音楽への偶然性の導入において、またそれ以上に伝統への反抗において彼が急進的な役割を果たしたという点で革命的なものであったと評価されている。噪音と楽音の区別を廃して音素材を拡大し、ま

      • ジョン・ケージ論(7)

        音楽作品を規定するもの (前)  音楽においては、和声によって境界(3)が形成されていた。不協和音や属七和音といった和声上の緊張は、主和音への到達に向けて準備され、解決される*1 。  和声進行によって時間に奥行きが発生する。音楽における和声法は、絵画における遠近法のように機能する。そしてシェーンベルクが十二音技法を用いて作曲をはじめたとき、この時間の支配が、境界(3)が解体されたのである*2。しかしリオタールはそれに加えて境界(1)の解体に言及する。  ケージの言う

        • ジョン・ケージ論(6)

          ポストモダンの藝術論 (前)  ケージと同時代を生き、ケージについてもたびたび言及している哲学者リオタールは、ここまで見てきたような作品概念の危機を、十九世紀的な藝術の特権的な機構からの逸脱として、すなわちポストモダンの現象として捉えている。理性と合理性によってさまざまな言説を選別し、藝術という言語ゲームにおける規則に合致するもののみを抽出し、そうでないものを排除する藝術の機構は、その根拠を失い、それまで抑圧され排除されてきた無機構的なもの、機構からの逸脱が注目されるよう

        波立裕矢"THE ANTHEM FROM SUSHI LAND"評

          ジョン・ケージ論(5)

          作品概念の危機 (前)  ここまで概観してきたケージの作曲活動を経て、従来の音楽藝術における「作品」というもののありかたが、著しく変容を蒙っていることがわかる。そもそも藝術作品の概念は、二十世紀において、従来の藝術作品とは異なったありかたを示す作品が作られるようになったことで、哲学的な考察の対象となったのであった。作品としてのそれ自体のありかたを否定するような藝術作品が現れ、いわば「作品概念の危機」に陥ったことで、作品概念は哲学的検討の対象とされるようになったのである。作

          ジョン・ケージ論(5)

          ジョン・ケージ論(4)

          『4分33秒』以降 (前)  無心と融通無礙という立場は『4分33秒』以外の作品にも見られる。『カリヨンのための音楽第1番』(1952)は『易の音楽』における厳格な記譜法の反省として、音価を記さない曖昧な記譜法を採用した作品である。カリヨンという楽器の性質上、音の持続時間をコントロールできないため、楽譜には音高と打鍵のタイミングだけが記されている。カリヨンには統一された規格もなく楽器ごとの差異が大きいため、また重量のある鐘をワイヤーで鍵盤に繋いでおり、演奏者が打鍵する際の

          ジョン・ケージ論(4)

          ジョン・ケージ論(3)

          易経から禅へ (前)  初期の作品から沈黙を素材として用いてきたケージだが、『4分33秒』に至って沈黙は作曲者による操作の対象ではなく、作曲者の意図を離れた音として扱われている。そして同時期のレクチャーを参照すると、ケージの関心がキリスト教神秘主義やヒンドゥー藝術理論における無や平穏から、禅仏教における無心と融通無礙へ移っていることが窺える。ケージが初めて禅について言及したのは、1951年の「何かについてのレクチャー」であった。  ケージがこのレクチャーを書いたのは、彼

          ジョン・ケージ論(3)

          ジョン・ケージ論(2)

          易経と偶然性 (前)  ケージが作曲手法に偶然性を導入するため使用したのは易経であった。易経は儒教の基本経典である経書の筆頭に挙げられる書で、世界の本質的な原理を解明し予測するための占筮を体系化したものである。世界は陰と陽の対立によって成立しているが、これらは単に排斥しあうものではなく、互いに相手によって存在している。対立しながらも相手に依存している陰と陽の関係を対待という。易は、対待関係の中でさまざまに変化していく陰陽の現われとして世界を解釈する試みである。それゆえ易経

          ジョン・ケージ論(2)

          ジョン・ケージ論(1)

          キリスト教神秘主義とヒンドゥーの藝術理論 (前)  最初期のケージは音列による音の自動的な選択や、表情記号の排除、リズム上の制約などの操作によって、作曲者の嗜好や恣意性といった主観から切り離された、無機質な構築物という印象の強い作品を作曲していた。  1940年代後半以降になると、インドの思想や藝術理論を学び、それを作曲に応用するようになる。インドの美学にケージが触れたきっかけは、セイロン出身でインドの文化や藝術思想を西洋に紹介したアーナンダ・クーマラスワミーの著作『自

          ジョン・ケージ論(1)

          ジョン・ケージ論(はじめに)

           二十世紀は藝術にとって激動の時代だった。十九世紀以前と比べれば遥かに目まぐるしい速度で多様な藝術運動が展開し、藝術における作品の概念が哲学的な考察の対象となった。  音楽におけるそのもっとも顕著な事例は、ジョン・ケージ(1912-1992)の1952年の作品、『4分33秒』だろう。演奏の開始から終了までの4分33秒間、演奏者が一切の音を鳴らさない作品である。  ケージの活動が革命的だったのは、音楽に偶然性の要素を徹底して導入したこと、さらに言えば西洋クラシック音楽の伝統

          ジョン・ケージ論(はじめに)

          プログラムノート: バッハ『音楽の捧げ物』トリオソナタ

          Johann Sebastian Bach Musikalisches Opfer, Trio Sonata, BWV 1079 (Flute, Violin and Basso Continuo)  1747年、息子カール・フィリップ・エマヌエル・バッハが奉職していたプロイセン王フリードリヒ2世を訪ねたヨハン・ゼバスティアン・バッハは、王から与えられたハ短調の主題を基に、即興の三声フーガを演奏した。王から課された腕試しに応えたバッハであったが、「では次は六声で」との要求に

          プログラムノート: バッハ『音楽の捧げ物』トリオソナタ

          プログラムノート: モーツァルト『フルート四重奏曲第一番』

          Wolfgang Amadeus Mozart Flute Quartet No. 1, K.285 (Flute, Violin, Viola and Violoncello)  1777年、職を求めてパリへ向かう途上、マンハイムを訪れた21歳のモーツァルトは、宮廷オーケストラのフルート奏者ヴェンドリンクからドゥジャンという裕福な医師を紹介される。アマチュアフルート奏者でもあったドゥジャンは、高額の報酬を提示し、フルートのための協奏曲と四重奏曲の作曲を依頼した。これに応え

          プログラムノート: モーツァルト『フルート四重奏曲第一番』

          プログラムノート: レーガー『セレナーデ』

          Max Reger, Serenade, Op.141a (Flute, Violin and Viola)  憂鬱な表情と批評家連への容赦ない反論。巨体でオルガンを演奏し、酒と煙草をこよなく愛したマックス・レーガー。難解と言われる作曲家である。  1890年代から、43歳で急死した1916年まで、わずか20年ほどの活動期間の中で、レーガーは音楽史に独自の地位を占める作品を多く作曲している。バッハ、ベートーヴェン、ブラームスに連なるクラシック音楽の後継者を自負するレーガーは

          プログラムノート: レーガー『セレナーデ』

          プログラムノート: ベートーヴェン『セレナード』

          Ludwig van Beethoven Serenade, Op. 25 (Flute, Violin and Viola)  ベートーヴェンは深刻な男だと思われがちだ。シュティーラーによる肖像画に描かれた姿も、髪を振り乱し険しい顔つきで『ミサ・ソレムニス』の作曲に取り組んでいる。  シンプルな動機から緻密に展開される楽想、厳格な対位法、壮大な編成――それが見事にまとめ上げられた立派な作品は枚挙に暇がない。この一点において彼はもちろん古典派の大成者である。  しかし彼は

          プログラムノート: ベートーヴェン『セレナード』