天才の苦悩

私は、まれに「天才」と称されることがある。
それは、私が生まれ持っている幾つかの先天性があるからだった。

その先天性のおかげで幼き頃から「天才」と称され、自身もその言葉を真に受けて暗示にかけられてしまっていた。「きっと自分には何か秘めた力が眠っているはず」などと。実にバカだ。いや、天才だ。

私の生まれ持った先天性、それは「左利き」で「B型」ということである。日常的に右脳を使い、柔軟な発想を持ち、感受性豊か、芸能芸術に秀でている。「左利き」というだけでも”才能がある”と根拠も無い勘違いだが、さらに”変わり者”の「B型」という希少性のコンボにより「天才」の完成である。
何しろ左利きは日本人全体の10%だし、B型も日本人では20%ほどだから、日本人では100人中2人しかいないことになる。よくよく考えれば「希少=天才」ではないのだが…。

今でも初見の方にこの先天性の話をすると「天才」と言われることも少なくないのだが、しばらく付き合ったら凡人ということがわかるのだからわかった時点で「天才じゃなかったね」と訂正して欲しい。

結局、その先天性があるからといって必ずしも偉人にはならないのが世の非情である。それらの特異性を持っていない人物だって東大に入ったり大物芸能人になったりしている。最終的には育った環境による。

もし私が万が一「天才」的な能力を持っていたとしてもそれを引き出すための環境というものには恵まれなかったし、何かに秀でるためには少なからず努力は必要だろうし、努力しなければ自身の「才」には気づく事ができない。そこを見出してから初めて「天才」に成れる。
そんなことを大人になってやっとこ気づくなんて実にバカだ。
いや今のうちに気づけたのならやはり天才かも?

ともかく、人生の序盤に「天才」という怪しい呪いをかけられてしまったため「オレは天才だからいくらでも巻き返せる」などと考えるようになり、幾つかをサボって過ごしてきた勘違い凡人は、高校生以降大いに苦労することになるのであった。

暗示って怖いね。

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