暗い海の底に差した小さく強い光
こんにちは、まるです。
プロフィールを書きながら見つけたもう一つの奇跡のお話です。(少々重め。ご注意を)
プロフィールを書きながら見つけた愛の話はこちら。
幼少の頃は、引っ込み思案で泣き虫で、幼稚園で意地悪されて泣いて帰ってくるような子どもでした。
小学校入学前に、このままではいじめられっ子になってしまうと心配した母が、マンツーマンで私に口げんか特訓を施しました。
「こう言われたら、どう返す?」「〇〇…△△?」「それではまだ弱い!もっとここを攻めて!」
と言う特訓が繰り広げられたかどうかは覚えていませんが、もともと要素はあったのでしょう、この特訓のおかげで小学校入学前にして「ああ言えばこう言う」の屁理屈口げんかの才能が開花してしまったのです。
さて、立派に口げんかの才能を開花させた私は、あらゆるいじめっ子を言葉でねじ伏せ、怖いものなしになっていました。
ときどき悪口を言われたり、意地悪をされたりしましたが、そんなの、口で攻撃してやれば相手はイチコロです。
その上、勉強も運動もできる。
向かうところ敵なしでした。
♫誰もぼくを止められない。うおおおおうおう。
よっぽど傍若無人に振舞っていたのでしょう、中学二年の初め頃。
一年生の時に仲の良かった10人くらいの友達がやってきて、キレイに折った花柄の便箋に
私の悪いところ、嫌いなところだけをビッシリと書き連ねたお手紙を手渡してくれる、と言う事件が起こりました。
お手紙、きっちり10人分。
手紙のどこを見ても、私の悪口が書いてある。
私の悪いところが、手を替え品を替え切り口を替え、これでもかと書き連ねてある。
その上校舎内を歩いていると、どこからともなく「消えろ!死ね!」と声がかかるようになりました。
手紙をもらったことでショックを受けたと思われるのが悔しかったので、表面上はなんでもないように振舞っていましたが、自尊心とか自己肯定感とかその他もろもろ、粉々に崩れていました。
そこではじめ気がついたのです。
今まで私の周りで楽しそうにしていると思っていた人たちは、楽しんでいるどころかみんな嫌な思いをしていたんだ。
なんだ、全部私の勘違いだった。私一人がわかってなかった。
私という存在は、そこにいるだけで周りを不快にするんだ。私の負のオーラが近づいてきた人を巻き込んで、みんなを不幸にするんだ。
それからは何をするにも、誰かを傷つけていないか、不快にしていないか、が基準になりました。
何をしたら、何を言ったら人を傷つけるのかわからなかったので必要以上に慎重になりました。
できれば誰とも関わりたくなかった。
そうすれば誰かを傷つけることも不快にすることもないから。
残りの中学生活は、とにかく目立たないように気をつけて過ごしました。
誰にも見つからないよう、暗い海の底に沈んでいたかったのです。
長く長く海の底に沈んで、なんの光も見いだせず自分に絶望していたその頃
その暗い海の底から私を引き上げてくれたのは、
卒業間際のサイン帳でした。
当時は卒業の時、サイン帳を回してクラスメートに一言ずつ書いてもらうのが定番でした。数人の友人としか交流のなかった私でしたが、まわりの様子にのせられ同じようにサイン帳を回しました。
するとほとんど会話をしたことのない、ちょっとやんちゃなグループの女の子が
「まるちゃん、サイン帳、私書きたいことあるから、最後に回して!」
と声をかけていきました。
もう、悪い予感しかない。
あの時の記憶が蘇ってきます。
どんなにひどいことを書かれるんだろう。
こんなに気をつけていても、私はダメなのか。
重い気持ちでその子にサイン帳を渡しました。
一日経って「はい、これ」と渡されたサイン帳。
何を書かれていてもいいように
心にいくつもの防御壁を作って開いたそこに書かれていたのは。
「とってもステキな女性、まるちゃん!
あなたはやさしくて、いろんなことができるんだから
もっと自信を持って、輝いて!」
なぜ、彼女がこんなことを書いてくれたのか、いまだにわかりません。
なぜ、彼女だったのか。
3年で初めて同じクラスになって、ほとんど会話らしい会話もしたことがない。
全校生徒1000人をゆうに超えるマンモス校だったから、クラスや部活で一緒にならない限り関わることもなかったのに。
ただ、このサイン帳の彼女の言葉が、この後長く私を支えてくれました。
私を認めてくれる根拠があったのかどうかはわからないけど、少し自分を信じてみる勇気を与えてくれる言葉でした。
このときも、この後も
彼女のこの言葉があったから、自分を諦めることをせずに生きてこれた気がします。
大丈夫、私は自信を持ってもいいんだ。今は自信が持てなくても。
あのとき、彼女のこのサイン帳の言葉がなかったら。
当時も、なぜこの言葉が彼女を通して私のところにやってきたのが不思議でしたが、今思い返してみても、奇跡的なタイミングだったと思います。
私に試練を与えた神様が、彼女を通して少しだけ手を貸してくれたのかもしれない。
そう思っています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?