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【自伝小説】第1話 幼少時代(2) |最南端の空手フリムン伝説|著:田福雄市@石垣島

RAIN

その日は突然やってきた。

その日、仕事は休みであったが、働き者だった父は残った仕事を片付けたいと、祖母が止めるのも聞かずに一人で職場へ向かったのだという。

生憎その日は雨だった。

仕方なく雨ガッパに身を包み、木材を切断する仕事に没頭していた父。そんな作業中、運悪くその雨ガッパが機械に挟まり、そのまま巻き込まれてしまったという。休日のため周囲には誰も居らず、助けも呼べずただ悪戯に時間だけが過ぎていった。

そして、父は帰らぬ人となった。

あの日、もし出勤していなかったら。
あの日、もし雨が降っていなかったら。
あの日、もし近くに誰か居てくれていたら。

そんな数々のタラレバが、より家族を悲しみのどん底に引きずり込んだ。
知らせを聞いた祖母は半狂乱となった。
突然大切な息子を失ったのだ。きっと胸が張り裂けるような気持ちだったに違いない。

死因は圧迫死だった。

傷ひとつなかった父の亡骸は、まるで眠っているかのようであったという。
泣き崩れ、泣き崩れ、泣き崩れたあとに祖母はこう叫んだという。

「起きなさい!」「いつまで寝ているの!」「みんな来ているから早く起きなさい!」

時に怒ったような表情になるものの、直ぐに現実に引き戻され、再び泣き崩れるを繰り返した。その日、雨が止むことはなかった。

数日後、遺骨をお墓に入れる際も外は雨だった。祖母と母の悲しみようは尋常ではなかったという。余りにも泣き止まない二人を見て、事の次第を理解できていなかった少年は二人を慰め続けた。

「泣かんよ~」「ねぇ~泣かんでよ~」と背中を摩りながら二人を励まし続けるその姿が、雨音と共に更に悲しみを増幅させた。少年がまだ2歳の頃の話しである。

※父親の眠るお墓にてくつろぐ少年(アクビすなっ)と、孫に囲まれ御満悦な祖母

選択

その日も、突然やってきた。

夫の死から2年、少年が4歳の時に母親が再婚。相手は沖縄本島の米軍基地に駐留していたアメリカ兵であった。その再婚相手が兵役を終え帰国するので、祖父母に預けていた少年を引き取りに来たのだ。

突然の事に祖母は泣き崩れ、必死に抵抗した。「お願い」「息子を亡くしたうえにこの子まで失ったらもう生きていけない」「お願い」と必死に哀願する祖母。

その姿に、母親も根負けしそうになったが、腹を痛めた我が子を簡単に手放す訳にはいかなかった。「ここは本人に決めさせましょう」「もう4歳なんだから」と反撃に打って出た。

こうして少年は、僅か4歳にして人生初の岐路に立たされる事となった。

「ここ石垣島で、祖父母と一緒に住み続けるか?」
「はたまた、実の母親と地球の裏側へ移住するのか?」

子どもには余りにも重過ぎる二者択一だったが、祖母と母の両の手を交互に見つめながら、少年は大きく深呼吸し、そして間髪入れず一直線に突き進んだ。

少年を力いっぱい抱きしめる事を許されたのは……「祖母」だった。

こうして母親と決別し、島に残る事を自らの意思で決めた少年。その時の選択が正しかったかどうかは、成長した現在の彼を見れば一目瞭然である。

※当時、これが母親と撮った最後の写真となった

争奪戦

横になっている時は互いにそっぽを向き、起きている時は礼儀正しく下をうつ向く。少年はそんな祖母のオッパイが大好きだった。毎晩、歳の近い叔母と祖母のオッパイを奪い合い、左右別々の方向から引っぱり合った。そんなルーティーンが1年365日も続くのだ。

余りにも激しく奪い合うので、時に感情的になりこんな事態に陥ることも。

「言っとくけどうちの母ちゃんだからね、孫のくせに勝手に触んなっ!」
「はぁ?何言ってるば?言っとくけど俺のばあちゃんど、手ぇ離せっ!」
「きぃーーーーーーー!」
「うきぃーーーーーー!」

こうして祖母のおっぱいは通常より5cm~10cmほど延長を余儀なくされ、流石に重力に逆らえなくなってしまっていた。少年がまだ小学生、叔母が中学生の頃の話しである。

※オッパイ争奪戦のライバル(叔母)と少年

覚醒

2歳で父親と死別、その後4歳で母親とも生き別れとなり、物心ついた頃には祖母の傍から片時も離れない気弱な子に育っていた少年。そんな気が小さくて泣き虫だった少年は、程なくいじめっ子たちの標的となり、いつも泣きながら祖母のスカートの中に逃げ込む日々を送っていた。

今でいう引き籠り。否、スカ籠りである。

そんな少年だったが、ある日突然覚醒する。「もうこんな性格イヤだっ」と子どもながらに一念発起。突然、肉体改造やメンタル強化に取り組みだした。

当時はスポ根漫画全盛期で、特に劇作家「梶原一騎」の作品が少年たちの心を鷲掴みにしていた。ボクシングを題材にした「明日のジョー」に始まり、野球狂の親子を題材にした「巨人の星」。そして極めつけは、極真空手創始者マス大山の半生を描いた「空手バカ一代」と、どの作品も他の追随を許さない勢いがあった。

※梶原一騎原作、つのだじろう漫画の空手バカ一代

しかし、この時代の少年はまだ極真空手の存在さえ知らず、何より野球が好きすぎて野球漫画ばかり読み漁っていた。そんなスポ根漫画によく出てくるのが、大リーグ養成ギプスを筆頭にした突拍子もない特訓シーンである。

その中から少年が選んだのは、鉄の野球ボールを握りしめ手首をクイクイさせる運動。前腕を徹底的に鍛えるトレーニング、別名「鉄っクイ」である。

巨人の星の「星飛雄馬」のようなスピードボールを投げたくて仕方のなかった少年は、この「鉄っクイ」が最適だろうと試しにやってみたところ、見る見る前腕が逞しくなっていき、球のスピードも目に見えて増していった。

生まれて初めて取り組んだ筋トレが功を奏した瞬間であった。この成功体験が少年に自信を与え、次のトレーニングへの意欲へと繋がっていった。その繰り返しによる相乗効果で、気が付けば小5で少年野球チームのキャプテンに抜擢される程に変貌。

次第にリーダーとしての素質が開花し、中学に進学する頃には泣き虫少年の面影はどこにもなかった。そんな覚醒前、まるで暗示のように祖母から言われていた言葉がある。

「あなたは他の子たちとは何かが違う」「あなたは特別な才能を持った子だから」と。

こうして徐々に我がことを特別な存在だと信じ込むようになっていった少年。信じる者は覚醒するの典型であった。それから十数年後、少年はスーパーボジティブ芸人の名を欲しいままにする事となる。それもこれも、祖母の良い意味での洗脳のお陰であった。

※学芸会で悪いお爺さんを演じた時のものだが、マジ悪顔である(いや西日のせいや)


続きはこちら!第2話 小学校時代(1)

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この記事を書いた人

田福雄市(空手家)

1966年、石垣市平久保生まれ、平得育ち。
八重山高校卒業後、本格的に空手人生を歩みはじめる。
長年に渡り、空手関連の活動を中心に地域社会に貢献。
パワーリフティングの分野でも沖縄県優勝をはじめ、
競技者として多数の入賞経験を持つ。
青少年健全育成のボランティア活動等を通して石垣市、社会福祉協議会、警察署、薬物乱用防止協会などからの受賞歴多数。
八重山郡優秀指導者賞、極真会館沖縄県支部優秀選手賞も受賞。
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