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【自伝小説】第4話 高校編(5)|最南端の空手フリムン伝説|著:田福雄市@石垣島

ブロークン·ハート

そんなフリムンが酒とタバコを覚え始めた高2の春の事である。

高1の時には一度も会ったことの無かった、ある女生徒が目の前の席に座った。

あのトンボ先生の授業、生物の時間である。

背中越しにチラ見えするその横顔に、ドキッとしたのを今でも覚えているという。

その日から彼は、彼女と会える唯一の時間、生物の授業が待ち遠しくて仕方がなくなった。

もちろん、生物なんて1ミクロンも興味はなかった。

(ご、ごめんなさい…)

そんなある日、遂にその彼女と話す機会を得た。

いつも以上に饒舌となったフリムンだったが、そんな彼のくっだらない話しに彼女は笑い転げた。

(な、なんていい子なんだ♡)

笑った時のえくぼがキュートなその笑顔に、彼は一発で恋に落ちた。

それからトンボ先生の目を盗んでは、授業そっちのけで彼女にちょっかいを出すようになり、彼女を笑わせることが彼の生き甲斐となった。

「よしっ、近い内に申し込もう」

フリムンは、情熱的かつ冷静に計画を練った。

しかし、時すでに遅かった。

何と彼が申し込む前日に、先に友人に申し込まれていたのだ。

そして事もあろうか、その日から二人は付き合い始めたのである。

フリムンの恋は、何も始まらないうちに静かに幕を閉じた。(チーン)

その日から、酒の飲めなかった彼は「やけ酒」の代わりに「やけタバコ」を吹かしまくった。

ちなみにこの「申し込む」というワードに“クエスチョン”を掲げる若者は多いだろう。

今では死語となっているので当然である。

申し込むとは、今でいう「告る」という意味である。

あの時代は、その申し込み合戦が校内のあちこちで“ぼっ発”していた。

あの高視聴率を叩き出した、とんねるずの「ねるとん紅鯨団」が放映される遥か以前の話しである。

傷心中のフリムンと、何も知らずに笑い転げる彼女。なんとも残酷な図である(涙)

ジュンタッタ

フリムンとは中学時代からの大親友である、ジュンタッタにまつわるお話しである。

ジュンタッタの家には当時からビデオデッキ(しかもVHSより高画質のベータ)があり、彼の自宅は自然と少年たちの憩いの場となっていた。

互いにジャッキーフリークのフリムンとジュンタッタは、中学校入学時から直ぐに意気投合。

毎日のように自転車でジュンタッタの自宅へ通い、録画した金曜ロードショーの「酔拳」を見ながら技を磨き合った。

そんなジュンタッタの役目は勿論やられ役。

いつもジャッキーの敵役である鉄心役をやらされフリムンに倒されていたが、それでも嫌な顔ひとつ見せず、ニコニコと率先してそれを演じてくれた。

そんな優しい性格なだけに、自然と彼は同級生の人気者となった。

そんな彼の家で起こった、俄かに信じられないような本当の話しをお届けしたい。

紅の豚

フリムンを含め、彼の友達は皆ヤンチャな奴ばかりだった。そんな奴らが集まるのだから、事件には事欠かない。

その日たまたまフリムンは不在だったが、現場に居合わせたメンバーには一生忘れられないある事件が起きた。

農家をしていた彼の家の庭には、家畜用の豚が放し飼いにされていた。

そんな治外法権な場所で遊んでいる時、仲間内の誰かが豚の鳴き声にイチャモンを付け出した。

「ブヒブヒうるせぇんだよテメェ!」

そして事もあろうか、豚のケツにタイキックをブチかましたのである。

「ベッチーーーーーーン!!」

「ブッヒーーーーーーン!!」

次の瞬間、豚が突然キレ出した。

そして蹴った方はもちろん、隣りで笑っていた奴らも、怒り狂った豚に全員ロックオンされてしまった。

例え家畜であっても、怒り心頭となった動物は破壊力抜群だ。

次の瞬間、パニックに陥るガキ共を追い掛け回し、その場を一瞬で戦場に変えた。

足の速い奴や、頭を使って直ぐに塀の上によじ登った賢い奴は事なきを得たが、足の遅い奴に限って頭も弱く、ただただ走り続け疲弊していった。

そして追い付かれた奴らは次々とケツを噛まれ、ズボンは血まみれとなった。

これぞ正しく「紅の豚」である。

それでも泣きながら走り続けるものだから、中々前に進まず現場はカオス状態。

ただただ塀の側を黙々と走り続けるその姿に、助かったメンバーは笑いが止まらなくなった。

「あ、アカン!www」

「た、頼むから早く塀に登ってくれっ!www」

「ハッヒーン!ハッヒーン!wwww」

程なく彼らの腹筋は…完全に崩壊した。

今でも酒の席でこの話しが出ると、軽く5時間は盛り上がるという。

その場に居合わせる事ができなかったフリムンの後悔の念は、未だ引きずられているのは言うまでもない。

今から40年ほど前の、嘘のような本当の話しである(笑)

著者(左)と親友のジュンタッタ(右)今でも彼との会話は、いつも中高生時代に遡る。

デス·レース

当時から学校へのバイク通学は禁止されていたが、友人の250ccバイクを借り、昼食のため自宅に戻ったフリムン。

その帰り道で事件は起きた。

一緒に昼食を取っていた友人と、学校までの道のりでいきなりレースが始まったのだ。

著者の旧実家前で屯する友人たち。当時フリムンの家は溜まり場であった。

学校へ向け、産業道路を疾走する友人とフリムン。

元来ビビり屋のフリムンは、時速100km以上出ていた友人のバイクに付いて行くのがやっとであった。

そして迎えた最初のカーブで、彼は恐怖に耐えきれず、思わず急ブレーキを掛けてしまった。

「ドンガラガッシャ―――ン」

「ガガガガガガガガガガガガ」

転倒したバイクとフリムンは、アスファルトに全身を削られながら反対車線まで飛び出し、バイクはそのまま電柱に激突。「くの字」に折れ曲がった。

フリムンの方は、受け身を取った右手首を骨折。後頭部をアスファルトに強打し、そのまま反対車線のど真ん中で停止。放心状態となっていた。

もし対向車が来ていたなら、間違いなく即死であっただろう。

被っていたヘルメットには、恐竜「Tレックス」の爪痕が如き無数の傷あとが刻印されており、もしヘルメットを被っていなければ、大惨事になっていた事を物語っていた。

事故そのものは起こるべくして起こったが、命が助かったのは奇跡と言っても決して過言ではない。

その後、フリムンは救急車で病院に搬送され緊急手術。

そして1週間の安静を言い渡され、そのままドンピシャ1週間の停学を言い渡された。

その当時は、「湘南爆走族」等に代表されるヤンキー漫画の影響で、全国的にスピード狂の少年たちで溢れ返っていた。

例外なく、石垣島でもそのような少年たちにより事故が多発していた。

当時はまだヘルメット着用が義務付けられておらず、事故により障害を負ったり、命を落とす若者もいた。

その後、病院よりバイク事故の報せを受けた祖母は、その場にヘタリ込み、泣き崩れた。

「息子だけでなく、孫まで失ったら…」

過去に我が子を事故で失った祖母。倒れるのも無理はなかった。

それからあのトンボ先生も、授業を受けていた他の生徒をほったらかしにしたままダッシュで病院に駆け付けた。

そしてギプスを巻いたフリムンの姿を見た瞬間、その場にへたり込んだ。

「良かった…生きてて…」

こうして多くの方々に大迷惑を掛けた彼は、自分がした事の罪深さを大いに反省。

その後、今の今まで原付以上のバイクに跨ることは皆無となった。

そして、この世から若者の事故や事故死が無くなるよう、大人になってからは「交通安全協会」に全面協力。

何度か八重山警察署から感謝状を授与されている。

これが、彼にとっての精一杯の罪滅ぼしであった。

数ある感謝状のホンの一部
大破したバイクの弁償代を稼ぐ著者(瓦版より抜粋)

■次号、泣く子も黙る〇〇〇、そしてモテ期!?・・・乞うご期待!

田福雄市(空手家)
1966年、石垣市平久保生まれ、平得育ち。
八重山高校卒業後、本格的に空手人生を歩みはじめる。
長年に渡り、空手関連の活動を中心に地域社会に貢献。
パワーリフティングの分野でも沖縄県優勝をはじめ、
競技者として多数の入賞経験を持つ。
青少年健全育成のボランティア活動等を通して石垣市、社会福祉協議会、警察署、薬物乱用防止協会などからの受賞歴多数。
八重山郡優秀指導者賞、極真会館沖縄県支部優秀選手賞も受賞。
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