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【自伝小説】第2話 小学校時代(1) |最南端の空手フリムン伝説|著:田福雄市@石垣島


屋根より高い鯉のぼり

 毎年5月5日(こどもの日)になると思い出すことがある。少年が、まだ低学年の頃の話しである。

※田福ファミリー(祖父母、父、叔父叔母)唯一の集合写真(平久保小学校前)

祖父がなけなしの給料をはたいて買ってきた小さな鯉のぼり。それを門柱に縛り付け、少年に誇らしげに見せていた時の事である。

貧しかった我が家に、まさか鯉のぼりが泳ぐ日が来るとは夢にも思わなかった少年は、心の底から大喜び。祖父の腰に手を回し、歓喜した。

祖父もさぞやご満悦だったことだろう。しかし、それも束の間であった。

突然隣りの家から、キャッキャッ、キャッキヤッとハシャぐ親子の声が聞こえてきた。それもかなり上空の方からだ。

見上げると、隣りの家(鉄筋コンクリート二階建)の屋上から、祖父が買ってきた鯉のぼりの約3倍はあろうかという「巨大鯉のぼり」が優雅に泳いでいる姿が目に飛び込んできた。

高さに換算すると、“イナバ物置10個分”の高さはあった。

ちなみにイナバ物置とは、「100人乗っても大丈夫」のCMでお馴染みの物置の事である。よって上に乗る人間に換算すると、ざっと見積もって1,000人。

驚きの数字である。(いや換算すなっ)

直後、それを目の当たりにした祖父の顔から生気が失われていった。少年は、慌てふためいた。

「じいちゃん、こっちの方がカッコイイよ」
「大きければいいってもんじゃないよ」
「小よく大を制すって言うじゃないか」

何とか祖父の機嫌を取り戻そうと必死に言葉を絞り出すも、何の効果も得られなかった。逆に、「大は小を兼ねる」という言葉を知らなかった事も災いした。

結果、祖父のプライドを悪戯に傷付ける事となった。

その時、少年は心に誓った。「大きくなったらお金持ちになって、絶対に三階建ての家を建ててやる」

その話しを聞いた祖母は喜び勇んだ。そして事ある毎にこう言ってきた。「あんたが三階建ての家を建てるまで元気でいないとね♪」

あれから半世紀近い月日が流れたが、その時の少年の誓いは未だ果たされていない。(い、いや…物価の高騰が…汗)

※末っ子(おっぱいバトルの叔母)といる時は、何故かいつも機嫌が良かった祖父。寡黙な祖父の数少ない笑顔の写真である。(なんか…可愛い♡)

ギネス

こんな事もあった。当時は正月になると、男の子が居る家では手作りの凧が優雅に空を舞っていた。

まだプロペラ機が主役の頃の風物詩であった。

 というのも、少年が住んでいた地区は旧石垣空港(現八重山病院)の直ぐ近くで、少年の自宅から歩いて行ける距離にあった。

その後ジェット機が離発着するようになると、自然とその地区での凧あげは禁止となった。

 ちなみに祖父は凧作りの名人で、当時ビニール凧なるものが一世を風靡し出した時代であったが、それでも手作りの凧に拘っていた。

草刈り用のカマを駆使しながら、額に汗して凧作りに勤しむ祖父の姿が、少年には何故かサムライに見えた。

そうして出来上がった凧は、王道の「八角凧」であった。それもかなりのビッグサイズだ。

きっと鯉のぼりの件をまだ根に持っていたのだろう(笑)。これなら誰にも負けないし、飛距離もハンパなく稼げる。

祖父は勝負に打って出た。

八角は物凄い勢いで空を舞った。凧の糸が悲鳴を上げるほどの勢いだ。

途中で祖父は凧糸を柱に縛り付けた。余りにも遠くまで飛ぶので、延長用の新しい糸を取りに行くためだ。

そして繋ぎ合わせた糸により、その飛距離を更に伸ばし続けた。

糸を引っ張る祖父の腕は、血管を浮き立たせ、はち切れんばかりにパンプアップしていた。少年は思わずこう呟いた。

「じいちゃん…カッコいい…♡」

祖父は手応えを感じていた。あの鯉のぼりの汚名を挽回して、尚余りある手応えを。

しかし、余りの引きの強さに、その力に耐えきれなくなった糸はブチッと音を立て、凧は見えなくなるほど遠くへと飛び去っていった。

次の瞬間、祖父が大声でこう叫んだ。

「後ろに乗れっ」

錆びだらけの古い自転車に跨り、後部座席をトトンと強めに叩いた。少年は間髪入れず、そこに飛び乗った。

「じいちゃん…まさか追いかける気じゃ?」

鳥肌が立った。少年には大冒険の始まりに思えた。

その刹那、自転車はあり得ないスピードで凧の飛んで行った方向へと舵を切った。少年は必死に祖父の腰にしがみ付いた。筋肉質の広い背中が、少年の目の前で躍動していた。

当時、まだ舗装されていないガタガタ道を、古い自転車は悲鳴を上げながら爆走した。それほど車が走っていない時代だったので、ほぼノンブレーキだ。

気分はもう、ジェットコースターだった。

海岸に向かう下り坂でも、祖父は一切ブレーキに手を触れなかった。その不退転の覚悟に、少年は漢の背中を見た気がした。

祖父の八角凧は、なんと真栄里海岸にまで到達していた。とんでもない飛距離だ。

砂浜で凧を見つけた時、祖父はニヤリと口角を吊り上げた。それは凧を見つけた笑みではなく、海岸まで飛んで行った凧の飛距離に対しての笑みだった。

きっと、これはギネス記録だと少年は今でも信じている。恐るべし、最強のランバージャックである。

※羽織袴の上からでも鍛え上げられた肉体が見え隠れする元気な頃の祖父。

続きはこちら!第2話 小学校時代(2)

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この記事を書いた人

田福雄市(空手家)

1966年、石垣市平久保生まれ、平得育ち。
八重山高校卒業後、本格的に空手人生を歩みはじめる。
長年に渡り、空手関連の活動を中心に地域社会に貢献。
パワーリフティングの分野でも沖縄県優勝をはじめ、
競技者として多数の入賞経験を持つ。
青少年健全育成のボランティア活動等を通して石垣市、社会福祉協議会、警察署、薬物乱用防止協会などからの受賞歴多数。
八重山郡優秀指導者賞、極真会館沖縄県支部優秀選手賞も受賞。
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