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泥の河、を観た!

制作:1981
監督:小栗康平
撮影:安藤庄平
出演:田村高廣 藤田弓子 加賀まりこ 浅原靖貴

■川べりのメシ屋の子供が主人公。川の船上で暮らす姉弟と仲良くなるが、その家族はお母さんの売春で暮らしていた。戦争がまだ後を引く昭和30年。大阪での話だ。

■2021年現在。戦後76年が過ぎた。この映画の舞台は昭和30年。終戦から10年。まだ戦争の傷跡だらけの時代である。戦争で辛い目に合うのはいつも庶民。戦争から夫が生きて帰ってきても満足な仕事も無く、有っても綱渡り。生活や家族の為に売春をする女性は沢山いただろうし、多くはそれを蔑む。その蔑む者もまた別の意味で体と魂を売る。一部の身分の人間のみは関係ないのだが、ほとんどの人は、自分の体を売るか、魂を売るか、他人を売るか、他人から奪うか、で暮らす。これは意識し考えるべきだろう。この構造は形を変えて現在も変わらないように思う。映画で悩み生きる田村高廣のに象徴される姿は、今の日本にあるのだろうか。

泥の河3 (2)

■映画の冒頭、舗装がされていない道で馬が大きな荷台を運ぶ。私が子供の頃、馬で荷台を運ぶ様子は見たこと無かったが、家の前はまだ舗装されておらず、少し懐かしく思えた。街の外れには倒れかけのような家もまだわずかに残っていたし、そこに暮らす友達もいた。私は戦争とは関係なく育ったが、親は戦争には行ってないが戦中を生きた人だし、学校の先生にも戦争を生き、戦争の話は授業中にしてくれた。戦争にリアリティーはないが、恐ろしく遠い話とも思わないので、この映画の話は僕の心に重くのしかかる感じがした。私よりずいぶん年上の国民の代表が広島でのスピーチを読み飛ばすことなど考えられない。終戦から76年。現在も戦争をしている国は24、内戦している国は21もあるらしい。日本は「平和」で良い、とだけ思っていて良いのだろうか。違うと思う。

■Netflixは「今何故この映画をラインナップしたのだろう」それが知りたい。思うのは、今のテレビや映画とは別の次元の倫理観と想像力で制作や編成をしている、という事なのだろう。

■この映画で記憶に残ったカットは、主人公と姉弟が橋の上から河を見下ろすシーン。子どもにはどんな時代・環境でも伸び伸びと生きて欲しいと思うのだ。ではでは。

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