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生きる意味なんて

義理の父が亡くなりました。
60代半ばでの死。
早過ぎるし、急だった。


昨年の夏前に肺がんが見つかり、抗がん剤治療を行ってきました。
でも全く効かなかった。
副作用で体がしんどくなるばかり。

11月に余命宣告を受けました。

「新年を迎えれたら御の字です」
先生からその言葉を聞いた瞬間、義父も私も何を言っているのか理解できませんでした。
しばらくして義父は「自分はもう、ダメってことですか?」と先生に聞き直しました。

全身の力が抜ける瞬間っていうのを、初めて見ました。生気が抜けた、と言いましょうか。

余命宣告を受けてから緩和ケア病棟に移りました。
でも腰の痛み、気持ち悪さ、食事が取れない、嘔吐の連続。そんな状態が続いていて、見るに耐えない状態でした。

なんとか新年を迎えることができました。
でもその1週間後、義父は息を引き取りました。


正直なことを言うと、痛みや苦痛から解放されて良かったなと思いました。
やっと楽になってくれたと安心しました。
これで良かったんだ。
そう前向きに考えるしかない。

亡くなってから1週間後に今回の投稿を書いていますが、まだまだ心の整理がつかないです。
胸のあたりに何か詰まった感じです。


もっとやりたいことがあっただろうし、長く生きたかっただろう。
そういうことを考え出すと不憫で仕方ない気持ちになる。
生きてきた意味って何だったのか?

ちょうど最近、のりさんと言う方の詩の中で、その通りだなと思った言葉があります。


「死が訪れるまで 生を全うする」

※のりさん、勝手に掲載してすみません!
嫌でしたら削除しますので教えてください!


まさにその通りだと思いました。
どんな形であれ死が訪れるまで、ただ生きるだけのことなんだと。

だから義父も生を全うしてきたから、それで良いんだと思えます。
生きてきた意味があるとか無いとか、そんなことはどうでもいい。

義父、今までありがとうございました。


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