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「見えているのに見えないもの」と「見たいものしか見えていない」現象

始めに言っておくと、短くまとめようと思いつつなんだかダラダラ書いてしまい、結果うまくまとめられなかったので、長いまま、端折れるように見出しをつけてみた(だから何?なのだが)

結論から先に言う(ネタバレ)

そもそも、何のネタバレでもないので例え?なのだけれど(;^_^A
こんな長いの読みたくないよ、結局何なの的な人は先にこの結論をみて
さらに、お暇があったら読んでいただけるとなお嬉しいです。
え?もう長い?

言いたかった事:
『見たいものしか見ない人、知りたい情報しか知らない人、があふれる世界になったら、怖いな』

「?」ですね。
気になったらどうぞ次へお進みください。
そして、進んだからとて「?」になるかもしれないので、あしからず。

話の流れで必要なので、ムーミンについて説明しているよ

「ムーミン」に物凄くはまっていた時期があった。高校生の頃~数年間だったと思う。日本のアニメ版ムーミンではなく、小説の方のムーミン。
「アニメと原作何がそんなに違うの?」な方も多々いるだろう。知らなければなおさら。これは、本当に全然違う。

原作は「このモデル明らかに現実にいますよね?」くらい、キャラクターに人間味が表れている。そして話も、ブラックユーモアあり、皮肉あり、なんだか哲学めいている話あり、、、、等々満載。

高校生の頃これを読んで「え?この本、、、、童話??子供が理解できる?図書館の置く場所間違ってない??成人向けにするべきじゃ?」といらぬ心配をしたほどだ。

たぶん「ムーミン谷にムーミン一家がいて、そこに仲間が集まって、いろいろあるけど楽しく仲良く過ごしていますよ」くらいのお話だったら、こんなに惹かれなかった。ひねくれてるし(わたしね)

闇金ウシジマくん「ムーミンくん」編

ただ、そもそもなんでムーミンの話に興味持ったかと言うと、この本を先に読んでいた弟(当時小学生)が面白いから読んでみろ!と珍しくしつこく言っていたから。「は~?ムーミンって、あのムーミンでしょ(なんたる態度)」と申し訳ないが、最初は軽くあしらっていたが、いざ読んでみたら・・・予想外の面白さ。

「ムーミン」というキャラクターがいて、昔からアニメがあったり、なんかグッズがあるよねくらいの知識だった私を殴りたいくらいの衝撃だった。
それにしても、小学生にして小説の方のムーミンにはまり面白がる弟・・・恐るべし。
そりゃウシジマくん(見た目)になるわ(ならない)

なんの話・・・・?

ムーミンがやたらと視界に入っちゃって期

とにかく、そのムーミンブーム(私の中で)の時は、アニメは見ていなかったにも関わらず、原作でハマりまくったので、急にムーミンのグッズが気になりだし(結局そこ)
今までも、サンリオやディズニーまではいかないも、ちょこちょこどこかしらには存在していたはずだけど、興味が無かったので目に留まらなかっただけのムーミングッズが目に留まるようになり、修学旅行先でもムーミングッズを見つけては友達に「ムーミンだよ!!」と今更感丸出しで、買いあさり、白い目で見られた(たぶん、言わないけど)
親戚の家に遊びに行くと、叔母がムーミンのマグカップを使っており
「いつ買ったの?どこで買ったの??(もはや流行り病:まさに)」と聞くも
「?ずっと前から使ってたけど?あ、これムーミンっていうんだ(そこ!?)」と、叔母はたぶん結婚式か何かの、引き出物らしきものでたまたま貰ったカップを使っていただけであった(こだわりなし)

言われてみれば、今まで興味が無かったから「見えてなかった」だけで「見ようとしていなかった」それは、ある日突然興味を持った事から「見える」ようになり「見ようと思わなくても見える」ようになったのだった。

今でも、もちろんムーミンは好きである。ただあの頃のようにキャラクターグッズには興味が持てなくなったせいか、きっとあの頃よりも、いたるところにムーミングッズがあふれているのに、それほど目に入らなくなってきた。
いや実際は「見て」はいる。でも、「見ているだけ」なので、記憶に引っかからないだけなのだ。

「ムーミン」連呼でそろそろゲシュタルトが崩壊してきた期(今)

同じように、全くタイプは違う話になるが、
自分が介護施設で勤めるようになってから、やたらと介護の送迎車が目に留まるようになった。
もちろん、自分が介護の仕事を始めてから、いきなり世の中にそういった車が頻繁に現れるようになった訳ではもちろんなくて、
何年も前から、行く道道に存在していたのだろうが、そういった車の存在も知らなかった頃は、全く意識に入ってこなかったのだ。
これはムーミンの時のように、好き好んで目に入っているわけではなく、見ようと思っていなくても、目に入ってしまうのだ。だからなんだなのだが。

大変に前置きが長くなったが本題へ(これ前置き?!)

人は、無意識に「見たいもの」「知っていて安心するもの」を見てしまい、「見たくないもの」「得体のしれない分からないもの」を見ない事が往々にしてあるのではないだろうか。
それは、または
「知っているものは見えて、知らないものは見えない」
「知りたいことは自然と知る事ができて、知りたくない事は極力知らないようにする」
「好きな人のよいところは見えるけれど悪いところは見えない」
「嫌いな人の悪いところは見えても、よいところは見えない」
「自分にとって都合のよい事は見えていて、都合が悪い事は見ないようにする」
等など

永遠と続きそうだが・・・・・


エリカさまの名言(急に何?)

もはや、令和。10代もしかして20代には「???」な話だが、その昔「別に」が巷で流行った時期があったとかなかったとか・・・・

この説明はあえてしないし関係ないが(話がまた・・・)
しかも、詳しくは名言「別に」は全く関係なかった(ごめんなさい)

かの沢尻エリカさまが出ていた映画「ヘルタースケルター」のキャッチコピーが「見たいものを見せてあげる」であった。
まあ、ちょっと何か違うけど、急に思い出したから、、、ね。
人々の見たいもの、それはどんな世界なのだろうか・・・・はさておき
この映画は好きだった。終わり方もカッコいい(いつか書きたい)

「ほどほど」って難しい。

見たいもしか見ない人、知りたい情報しか知らない人、があふれる世界になったら、世の中はどうなってしまうのだろうか。
世の中の全てを知るのは絶対無理だし(無理でない人もいるのかもしれないが)いろいろな事を気にしすぎたりすると、気を病んでしまう事も大いにある。
自分にとって、不安をあおる情報をある程度シャットダウンする事も必要だと思う。
だけど、垂れ流される「情報」の一部を鵜吞みにして、その裏側をみなかったり、一方的な方面からの情報、見えるものしか信じない、信じれない、知ろうとしない事はとても怖い事だ。

一番怖いのは、それに気づいてない事。
だって、楽だから。自分で考えるより人から「ああしなさい、こうしなさい」と言われて、たとえそれが腑に落ちなくても従っているほうが、楽だから。文句を言いながらも、結局人は楽な方に偏りがちなのだ、と思う。

怖い。

見たいものしか見ない人、知りたい情報しか知らない人

があふれる世界になったら、怖いな。

そう思わない?


あと、ムーミンの話長すぎたね・・・・(今更再び)



さいごまで読んでいただき感謝の気持ちでいっぱいです(o^―^o)!! 貴重なあなたの時間の一部が、よいものとなりますように✨