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縮毛の宿命、植毛の釈明

 縮れっ毛の人は全てその髪が生まれつきのものかというと案外そうではない。髪の形状や性質は変わることも少なくないからだ。ただ面白いことに髪というものは、真っ直ぐだった人の髪がうねったり曲がったりはするが、美容師として40年以上人の髪を見てきた経験から見ても、くせ毛の人がまっすぐになるように変わることはない。

 かくいう私とて 紅顔の美少年時代の写真を見るとまるで 楳図かずお氏の名作『まことちゃん』』みたいな坊ちゃん刈りなのである。ツヤツヤサラサラのストレートヘアの私はまるで天使である(笑)  だからだろうか、頭頂部には天使の輪まで見える。
 しかし今や私の髪はその中身に合わせたのか、うねりにうねって頭頂部の天使の輪など跡形もなく、その痕跡は白黒写真の中にしか見出せない。

 一般の方はあまりご存知ないだろうが、縮毛矯正というメニューには危険がつきものだ。美容師が施術中にちょっとしたミスをした結果、根本から断毛する事故をサロンワーク時代何度か見た。この技術は通常のパーマ以上に 専門の知識と技術が要求される。頭髪が根本からちぎれると、早い話ハゲになる。抜けるわけではないので時間とともに毛は伸びてはくるのだが、精神的なダメージも大きく、それはそれは大変なことになる。

 にもかかわらず うねった毛を持ってしまった宿命を、起死回生の大逆転である縮毛矯正という技術に夢を託して大金をかけ、美容室側もその思いに応えながら、くせ毛を直毛にする技術は 高収益メニューとしての地位を確立している。

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 コンプレックスというのは、我が身に起きているある事実に対し、嫌だと本人が思っていることから始まる。努力で克服できるものなら努力もしようが、頑張ってもどうしようもないものが多く、だからこそ その悩みは尽きないのである。この悩みはヒトとしての本能であり、抗うことなどできない。なんとなればこんなことに悩むのは、種の保存のために神が仕組んだシステムであり、神は我々の心に 他人と比較し相対的に優劣をつけるという競争心を与えられたのである。多様化多様化と喧しいが、人それぞれが本当にそれぞれありのままでいいという価値観を持っているなら、競争も生まれず、コンプレックスはコンプレックス足りえないだろう。痩せたい、背が高くなりたい、鼻が高くなりたい、シワを取りたい・・・。言い出すとキリがないが、コンプレックスというものは、それを克服したい人々の涙の元となり、そんな思いをビジネスチャンスと捉えた商人の目の付け所となっている。

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 さて薄毛について。中学の時 その頭部が よくいえばブルース・ウィリス、悪くいえばピータンみたいな社会の先生がいた(色が黒かった)。もちろんほぼ毛が無いからこそのたとえだ。私はその先生から よくいえば折に触れて気にしていただき、悪くいえば目を付けられていた。反対に私はといえば よくいえば近づくことを遠慮しており、悪くいえば嫌いだった。

 さてその先生は毛が全くなかった訳ではなく、後頭部にチョロッとだけ申し訳程度の残骸があった。我々生徒はその毛にまつわるある噂を面白がっていた。「◯◯先生は植毛をしていて、その毛の値段は一本200円であるらしい。今はちょっとしかないが 徐々に増やしていって、いつかは全頭植毛でまかなうつもりなのだ」と。日本人の頭毛は平均して約10万本である。仮に植毛でそれを全て補うならざっと2,000万円だ。とにかく中学生だから話に際限はなく、尾鰭がついてバージョンやバリエーションは多種多様に及んでいた。

 ある日いつになく深刻な顔でその先生の授業が始まった。先生は一つ咳ばらいをして「ちょっとみんなに言いたいことがあります」と唐突に話し始めた。なんだなんだと生徒が顔を見合わせていると、「どうも学内では私の頭髪についてアレコレ噂されているようですが、私は脱毛症という病気で若い時分から眉毛やまつ毛も含めて毛が無いことで随分苦しみました。それは今も同じです。でも噂されてる『毛を植える』ということはしていません。そんなことができるなら眉だけはしたいとは思うけどね」というようなことを自虐気味に言われたのだった。
 「厨二」爆進中のガキであった我々も、その日からその先生の髪のことを口にすることは、なんとなくタブーになった。そんな噂が耳に入る度、先生はきっと辛い思いをしておられたのかなぁと、何も考えていなかった自分を恥じ、胸が痛かったことを覚えている。


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