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大谷家の節分

ー当たり前ですがフィクションですー

 年が明け 翔平は今年も既に練習を始めていた。しかし野球のトレーニングではない。大リーグがオフとなる2月、帰国し実家に滞在する間、彼の中で最も重要で神経質になっていたのは、節分のイベントを成功裏に終わらせることだった。

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 大谷家の家訓は『常に全力』だった。それは翔平が幼い頃から徹底されている。とにかくどんな内容のことであっても、参加するなら一番を目指し 手抜きは許さない。そんな環境の中で育った翔平は、恵まれた体格と 挫けず精進し続ける向上心で、絵に描いたように文武両道を極め、誰もが認める学校のスターに成長していたのだった。

 他の生徒より頭2つ大きい翔平は、足の速さもダントツだったが、6年生の時に参加した小学校最後の運動会の徒競走でそれは起きた。誰よりも足が速かった翔平は、トラック一周を走る男子200m走の最終組で出場したのだが、第3コーナーに差し掛かった時には、2位との差が既に10メートルは開いていた。そこで後ろを振り返った翔平は、必死の形相ではるか後を走る 同じクラスの菊池君が視界に入って気が緩んだのか、明らかに速度を落としたのである。もちろんゴールテープを切ったのは翔平のままだったのだが、その一部始終を見た父 徹はゴール直後の翔平を大声で呼びつけた。

 『お前はどういうつもりであそこで力を抜いたんだ? 毎日何を習っているのか? ヒーローにでもなったつもりなのか?』と。しかし翔平は父が怒りの感情だけで叱ってはいなかったことを知る。徹の目には涙がにじんでいたからだ。そしてこのことは、それまで父の言いつけをそっくりそのままやってきただけの翔平の心に、はじめて自分の人生の主人公が自分であることを知るきっかけになったのである。

 高校に入る頃の翔平は 体がますます大きくなると同時に、動きにキレ味が加わっていった。周りの誰もが翔平のプロ入りを確信していたし、その後の大リーグでのキャリアを想定していたが、そんな中にあっても大谷家の節分イベントは毎年繰り広げられた。その日は翔平が金切り声をあげながら、玄関の外にいて鬼の装束を身にまとった父 徹に豆を投げつける。もちろん家訓に沿って手抜きなど許されない。右手に握られた煎り豆は 風切り音をあげて父の体にブチ当たり 砕け散る。翔平の雄たけびと父 徹のうめき声。五合升の豆がなくなる頃には、その2人はもちろん家族全員に自然に感動の涙が溢れていた。

 そんな大谷家の年中行事も、翔平が日本ハムファイターズに入団した頃には 豆が皮膚に突き刺さることさえ起きた。それでも父は敢然と息子の投豆に正面から向かい合うのだった。

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 2024年2月3日。今年もとうとうこの日を迎えた。今年度からはロサンジェルス・ドジャースに籍を置くことが決まった翔平が投げる、初速180kmを超える速度で放たれる豆。あまりの破壊力により徹は3年前、全身打撲で数日入院した。いよいよ命の危険も出てきたことで、徹は身を守るためにフルフェイスのヘルメットをかぶり、防弾チョッキを身にまとうに至っている。しかしそれでも翔平の投げた豆は 、内外のTV局をはじめとするメディア各社が見守る中、徹を外の生垣まで吹き飛ばした。まるで少林サッカーである。

 後日談だが、翔平の『鬼はァ外ォ〜‼️』の絶叫と共に放たれたものの 徹の体に当たらなかった今年の豆は、2km先の公民館の駐車場で翌日見つかったという。


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