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老人だからそうなのか、そうだから老人なのか。

 歳をとると思考が固まってしまうのは仕方ないことなのだろうか。ビジネスにおいても、頑固で短気で自己中な特性を遺憾なく発揮してしまうベテランは、いつの時代にもどんな組織にもいる。経験や知識だけはあるものだから、細かいところにも気づくのだが、その危機回避能力は自分にとって損か得かということだけに使用する。さらに組織の水面下に存在している権力構造のトップに君臨していたりするから、『お局様』や『ウラ番』みたいな 誰もが一目おいた、特に新人から見たら恐怖でしかないような、また全員から煙たがられるような存在と化すのである。

 もちろんこのカテゴリーにあてはまらない、慈愛に満ちたような方もいるので全員がそうなるわけでないが、なぜかベテランは少なくない確率で自分でも気づかない内に、そちらの方向に緩やかに進んでいくことが多いと感じる。そして残念ながらそのタイプの多くは 本人に悪気はなく、またそれが『老害』と揶揄される理由なのだと思う。

 今回はそんな年代の人たちからさらに20年ほど経った年代、要するに老人という人生における枠に棲息している人々の話だ。私は老人たちの身に起きる様々な現象については、ある共通点があることに気づいた。なぜそうなるのか 理由はわからない。

あるある1《自転車のブレーキが鳴る》
 年寄りの自転車はどうしてあんなにキーキー鳴くんだろう。場合によって音が出ることを都合よく利用して、それを進路を邪魔する人々を蹴散らすためのベル代わりにしていると思える時もある。
 ウチのすぐ近くに 電車の線路を坂になって越えるようになっている国道があるのだが、ある夜そっちの方から キャーーーーーーと女性の叫び声がした。その人は長らく(10秒近く)叫び続けたから、(絶対事件だ!)と思った私はヤジ馬根性で見に行ったのだ。しかしその声の主は 坂道を下るジイさんの自転車のブレーキだったというオチである。
 ところで私の経験上、自転車に乗りながらブレーキを握るジイさんは真顔であることが多いが、バアさんはほぼ必死の形相をしている。偏見だろうか。

あるある2《常に眠たい》
 ある日午前4時前に目が覚めた。トイレにでも行ってからまた寝ようと思ったのだが、外で何となく人が話しているような声が聞こえたから 私は玄関から出て下を見下ろした(私は9階に住んでいる)。するとバアさん2人がしゃべりながら散歩中(ウォーキングと呼ぶようなスピードではない)だったのである。しかしこの時間は、もはや朝というより深夜である。さらによく見るとそのコンビの他に 別のバアさんがもう1人歩いているではないか。
 年寄りの朝は早い。これは不動の定理であるのは間違いないものの 年寄りは若者に比べ、1日24時間という時間の設定が随分前倒しになっている。何もかもが5~6時間早いのだ。そして朝以外の時間は常に眠たい。特に夜9時以降は母の子宮に泳ぐが如く 異世界に漂っているかのようである。

あるある3《届いた荷物には愛と笑いがある》
 私宛に田舎の祖母からごくたま〜に荷物が届いた。若い時は嬉しかったものだ。しかし果物や私の郷里である五島のソウルフードだけではなく、なんで? という笑うしかないものが高い確率で入っている。寒かろうということで冬用の下着(その手のものはこっちの服屋の方が明らかに充実している)やお菓子類(同じく)、下手すると菓子類は開封しているものさえあって苦笑いしか出ない。
 しかしその中でも秀逸は、祖母から送られた小包に入っていたセーターのことである。そのセーターは、私が着なくなったということで、もったいないからと私の母が自分の部屋着にしたものだった。母は自分で着るには体が横に成長してしまい、さらにその母である祖母の手に渡った いわく付きのモノだったのだ。それをまた私に送ってくる祖母。もらった私にそれをどうしろというのか(笑)

あるある4《順番に並べない》
 順番や列というものの感覚が希薄であることは 年寄りの特性だと言えば怒る人は多かろうが、車を運転していても電車の駅でも特売コーナーでも、年寄り特有の じわじわと寄ってきたり じわじわと自分の都合のいいように動いたりする あの『ジワジワ攻撃』は年寄り特有のものだろう。信号待ちでは停止線や前の車から妙に距離を取って止まったかと思えば、まだ赤なのにじわじわと前進が始まるし、ホームでは入線してきた電車が止まる時、元々自分が待っていた位置から電車を迎えに行くようにまず動き、扉の位置に合わせてジワジワ横移動する。結局はじめに立っていた場所あたりに戻る。
 しかし年寄りの年寄りたる最も典型的な行動は『早い者勝ち』という習性が身についていることなのではないかと思っている。何故そうなるのかといえば、彼ら以下の世代では、どんな場合であっても順番に並んだら必ず手に入ることが約束されている。しかし年寄りは子供の頃や若い頃、必ずしもそうはならなかった経験を持っているのだ。並んでも貰えない理不尽を知っているから、限定数があったり時間的な期限に弱いのかなぁなどと私は勝手に思ったりする。

あるある5《邪魔になっていることに気づかない》
 駅で。通路で。店で。果ては家の中で。どうして年寄りは通り道にいてしまうのか? 『なんでわざわざそこに座るんだよ!?』という声は彼らには聞こえず、下手したらそこで自分が買ってきたものを御開帳したりするものだから、さらに邪魔指数は上がるのだ。
 しかし もしかしたら最も怖いのは、自分の存在が邪魔になっていることに自身が気づけなくなることかもしれない。冒頭の例のように、ビジネスの現場において、知らない間にチームにとって有益どころかマイナスになってしまうということは珍しいことではない。時間の流れというものは容赦がなく残酷だが、頑固ジジイやお局様といった老害と呼ばれる存在には絶対なりたくないものだとつくづく思う。

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