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大きな石から、あなたのビンに入れなさい

今年のカレンダーも、9月の終わりに差し掛かっています。

そろそろ上半期が終了ですね。みなさん、今期の目標の進捗状況はいかがでしょうか?

「大きな石理論」と呼ばれる、人生の教訓めいた話があります。

教授がある日、「クイズの時間だ」と言って、大きなビンを教壇に置きました。
そのビンに、彼はいくつかの大き目な石を詰めました。ビンが一杯になるまで石を詰め、彼は学生に質問をします。
「このビンは満杯か?」
指された学生は「はい」と答えました。
すると教授は、砂利の入ったバケツを教壇の下から取り出しました。
そして砂利をビンの中に流し込みました。ビンの口まで砂利が一杯になりました。

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「このビンは満杯か?」教授はもう一度聞きました。
一人の生徒が、「多分違うのでしょう」と答えました。
教授は「そうだ」と笑い、今度は砂の入ったバケツを取り出しました。その砂をビンに注ぎます。石と砂利の隙間に砂が流し込まれ、ビンの口まで達します。
「これでこのビンは一杯になったか?」教授が三度目の質問をします。
学生は声を揃えて「いや」と答えます。
教授は水差しを取り出し、ビンの縁までなみなみと注ぎました。

「僕が何を言いたいかわかるだろうか?」
一人の学生が手を挙げました。
「どんなにスケジュールがきつい時でも、努力をすれば予定を詰め込むことは可能だということです」
「いや違う」と教授は言いました。

「このビンに大きな石を入れようと思ったら、まず最初に入れなければならない。先に砂利や砂でビンが埋まってしまったら、大きな石が入る余地はその後二度とないということなんだ。
君たちの人生にとって『大きな石』とは何だろう?それは、仕事であったり、夢であったり、家族や愛する人であったりするかもしれない。
それを最初にビンに入れなさい。もし君たちが小さな砂利や砂や、自分にとって重要性の低いものからビンを満たしてしまうと、一番大事なものを失うことになるかもしれない」

この内容を初めて読んだのが、いつだったのかはもう記憶にありません。

多分2ちゃんねるか何かのコピペで見たのだと思います。でも、僕の人生を変えたコピペです。


・経県値を稼ぐ生活

初めましての方もいるかと思うので、まずは自己紹介させていただきます。

円子文佳と申します。色々あって、サッカーの柏レイソルというチームを応援しています。職業は精神科医をしています。

柏は、今季はJ2に降格しました。
そして、今年は意地でもアウェイ全試合見に行こうと、開幕時に誓いました。

結局、ここまでのアウェイ17試合中16試合は現地に行きました。一試合(岡山戦)だけ水曜の開催だったので行けませんでした。行先は下図の通りです。地図を見ていると、何で岡山も黄色く出来なかったのだろう、と悔やまれます。

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いい歳した大人が、毎週のように日本中を旅行して回るのって、実は結構大変です。

ここだけの話、アウェイに行く日程を捻出するため、年間チケットを持っているホームの試合はいくつかサボっています(笑)

別に皆勤賞(でもないし)を誇りたいわけではなく、僕にとっては旅行が「大きな石」なのですよ、という話をしようと思います。


・ブラックだったあの頃

むかしむかし、僕が大学を卒業して医者になったころの話です。

当時は1年のうちほぼ365日、ほとんど休みなく仕事をしていました。

別に研修先がブラックな病院だったわけではありません。土日は病院自体は大体休みでしたが、休日もほとんどの日はアルバイトをしていました。現在の制度だと研修医のアルバイトは原則禁止されていますが、当時は大半の研修医がやる風習になっていました。

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毎日のようにアルバイトをしていたのには、いくつか理由があります。お金のためというのもありますし、職業上の経験を積むためという目的もありました。先輩から頼まれたアルバイトを引き受けると評価が上がる、というしがらみもありました。地方の人手不足の病院に行くと、本当にありがたがられてチヤホヤされるという、使命感と承認欲求がない交ぜになったような理由もありました。

様々な方面に良かれと思って毎日働いていたのですが、いつしか忙しい日常で気持ちが灰色になっていました。そんなある日、バイト先の病院からその日はダブルブッキングだったと連絡があり、アルバイトが当日キャンセルになりました。毎日のように働いていたところ、急に一日半、週末の時間が空きました。

そこでふと、宿も決めずに新幹線に飛び乗り、一日旅行に出かけました。行先としては静岡に、J リーグの清水-市原(当時オシム監督が話題になっていた)の試合を見に行ったのですが、完全に思い付きで出たとこ勝負の旅行でした。

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この旅行で、久しぶりに「俺は生きている!」と実感を得ることが出来ました。

出たとこ勝負の旅行で、日常から離れ、好きなことが出来る。自分の行動というのは、自分で決断するものである。宿も決めずに見知らぬ土地に勢いで行くことも出来るが、そのケツは自分で拭かなければならない。

働き出して一度時間が細切れになってから初めての、「まとまった時間があってこそ大きなことが出来る」という実感でした。そして後に「大きな石」のコピペを見て、このことを指しているんだなと深く納得しました。


・旅行という大きな石

旅行は、社会人にとっての「大きな石」です。
日常的に働いていると、まとまった時間や思考のリソースが仕事に割かれてしまい、なかなか旅行を実行することが出来ません。

旅行の計画という行為は、かなり思考のリソースを喰います。決断とは何かを選ぶこと、そしてその他の選択肢を捨てることを決めるものなのです。旅行においては、移動手段や宿泊先など、細かな予定をいちいち決断するのも疲れてしまいます。そのため、日程をいつにするかなどのレベルで決断しきれず、結局ずるずると旅行自体に行かなくなってしまう、ということになりがちです。

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時間が取れないという事情もありますが、そもそも「今は仕事が大事だから、他のことよりも仕事を優先しよう」と自分に言い訳をしてしまいがちになるのです。本当にその時の仕事が大事ならもちろん優先するべきなのですが、仕事が惰性になってしまっているとき、言い訳に使いがちになるのです。そういう状況に対して、旅行という存在は日常を砂まみれにしないための「大きな石」になります。


・サッカーという大きな石

近年の僕は「ノルマ」として、年に2回海外旅行に行くことを自分に課しています。

何より先に、年2回は海外に行くということを計画として決めてしまいます。そうすると、仕事や予定の調整、旅行の行先や日程は自ずとだんだん決まってくるのです。とにかく「ノルマ」をあらかじめ決めておくことで人は動きやすくなる、ということです。実はこれも他の誰かに聞いた方法なのですが、すごく便利な考え方なので利用させてもらっています。

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