見出し画像

教習所で恋の話をきく

教習所は高校生の終わりに通い始めた。
そのときは免許を取りたいからではなく、親からの勧めから取り始めた。
学科も実技も数回受けて受かった。
その時に、ほんのちょっとだけ出会った人との話をかこうと思う。

その人は教習所の待合室で出会った。
実技まちのところだったかな。
今は髪の毛が長かったのか、短かったのかも覚えていない。
覚えているのは、その人は恋をしていて、その恋は苦しいものだったらしい。

彼女は28歳くらいで、私より年上だった。
数回、教習所で出会うことがあり、少しずつ話をして(私は一気に距離を縮めるより、少しずつ話をして友人になることが多い)話をする関係だった。

彼女は話し始めた。その人の恋は、ぼやかされていたけど、妻子のいる人とのものだった。大人になった私は、その類の話をされた側、した側、両方聞くことがありそれぞれの友人が幸せかどうかを基準に話を聞いているが、そのときは、ドラマみたいなことがあるのか、と驚いた。
そして泣き始めた。大人の人が、自分みたいな高校生の前で泣くなんて初めてだった。泣いている大人に、何と声をかけたかも覚えていない。

涙を零しながらその後に言われたのだ。
「うきまちゃんにも大切な、好きな人ができるといいなぁ。どんな人かなぁ」

その言葉は私を縛り、固まらせた。その言葉だけ覚えている。
憧れとしての恋は当時していた(ピーターパンに恋をしたティンカーベル)のだが、その人が自分に向いていないことが分かりながらも恋に恋をしていた。

それきり。その後は、教習所を卒業してからその人とは会わなかった。
彼女の年齢を越してからも、当時の彼女のつらさはわからないし、知り合ったばかりの高校生の前でなぜ泣いたのか、そして「好きな人ができるといいなぁ」と願われたのも、よくわからない。
わからないままだけど、「好きな人ができる」というのは、なんだか難しい。

人の恋の話を聞くと、それぞれの立場でそれぞれの想いが交錯してなんとややこしい、と思う。私は交錯した恋をしたことがなく、平行な恋しかしたことがないんだと思い知る。「好きな人」はできたりできなかったりだけど、「大切な人」はできている人生。私は自分で思っている以上に過去の出会った人に支えられている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?