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自分 =「オリジナル」

こんにちは。まる。です😊
今回は早速本題へ入っていきたいと思います。
ちょっと前まで自分の中にあったモヤモヤをここで発散させてください😶‍🌫️

皆さんは「誰かになりたいなー」って思ったことはありますか?
私はこれまでで1回だけこのように思ったことはありましたが、それ以降「誰かになりたい」そう思わなくなりました。
そこには、この「1回」に自分の考えの浅はかさや軽い気持ちで発言することの危うさを学ぶきっかけがあったからです。
なぜ、このようなことを書こうと決めたのか。
それは、学生時代にふと同級生から言われた「何気ない言葉」を思い出すことがあったからです。

先ほども書いたとおり、なぜかふと昔(中学生の時)に言われたある何気ない一言が、時々頭にフラッシュバックします。その時の状況や会話の流れはまったく覚えていません。
何気ない一言。
「〇〇はいいなー、〇〇になりたいなー」
ただその一言だけがピンポイントで。
鮮明に。

なんでだろう。


思い返せば、この場合、相手の言い方は私にとっては嫌な言い方という感じではなかったため、相手はそんなに深い意味を持たない、ただの会話の流れで「〇〇になりたいなー」って話してくれてたんだと思います。

ちなみに、前回投稿した「私なりの人との付き合い方に関する考え方」について一緒に見ていただけると、まる。という人はこんな考え方を持っているんだー。へー。そういう人がこの記事を書いているのねー。と少しでも分かっていただけるかもしれないです。
そもそも、内容が分かる・分からない関係なく、見ていただけている時点で私にとっては有難いことですし、とても嬉しいです☺️

話を戻しまして、、、
中学生のその時、私は少しだけ悩んでた時期がありました。
ですが、この悩みは「学校」というエリアとは違う「習い事」というエリア内に限定されたものであった為、学校生活の中ではそれを表立っては出していませんでした。
また、学校生活では習い事の際とは違う、自己形成の比率要素が少し異なる自分で自分自身を表現していました。
今、このように当時の状況をなんとか言語化して語っていますが、当時はこのような考えを持った上での行動だとは思っていませんでした。
後々、大学で学んでゆく過程で、このような考え方をした結果生まれた行動なのかと気がつきました。つまり、当時の中学生の私は無意識的にこのように動いていたんだと思います。

そんな中、同級生、その時いつも一緒にいた いわゆる「いつメン」の子から「〇〇はいいなー、〇〇になりたい」と話されました。

えっ?どうしたの急に?

皆んなから親しまれてるし、楽しそうだし、悩みなさそうだもんって。

うん、そうか。

相手は私の「良いところ」として話題を、また、会話の流れでこのようなことを話してくれたのかもしれません。
純粋に私に対して相手がポジティブな感情を持って良いなと思ってくれていること自体は嬉しいなと思いつつも、だからといって学校という一エリア内だけでの私の自己表現要素のみが判断材料となる中、それだけの情報で何も苦労が無さそうみたいなスタンスで言われると流石に内心ちょっと悲しくなってしまいました。
私だけでなく、その相手も含め、皆んななんだかんだ表立って出してないだけで、楽しいことも苦しいことも色々経験してるのにと。

その時は私も色々悩んでるんだよーって明るく言いましたが、伝わっているかはさておき、、、

別に当時も今もこれを深刻に捉えたり、思い悩んでいるわけではなく、経験談として淡々と話しているだけなのですが、文章で書くとどうしても堅苦しくなってしまいますね😅
でもこうして後々、客観的に見ることができるようにしておくと自身の考えが整理できて頭の中がすっきりできます😄
このような自己満足の投稿に興味を持ってくださり、ありがとうございます。🙏

ちょっと話の視点を変えまして、、、
同級生がこのように言ってくれたということは、「親しみやすい」という自分の良い部分を教えてくれるきっかけにもなったという事実も持ち合わせています。
今までを振り返ってみても、確かによく初対面でも話しやすいと言ってくださる方や道端でも道を尋ねられることが多く、家族にも友達からも私には親しみやすい雰囲気があるからだよーと言われます。

自分がもつ「親しみやすい」とはどのようなものなのか。
自己分析の一環としてこれからゆっくり考えてみようと思います🏃‍♀️


最後までお読みくださりありがとうございます!

ご縁を大切に🌻

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