森雨

ブロガー。エッセイスト。 親子関係をメインにしたブログ『日々考えて生活している。』を2…

森雨

ブロガー。エッセイスト。 親子関係をメインにしたブログ『日々考えて生活している。』を2016年頃から執筆。 日常の「何でもなく面白そうなこと」に目を向けて書き続けます。

マガジン

  • 毒親から遠く離れて

    毒親育ちの悩み・葛藤をつづっています。

  • 日々考える。

最近の記事

彼らを嫌いにならないでほしい。

私は人を嫌いにならない。 基本的に、どんな人であっても嫌いにならない。 嫌いになればなるほど興味がわいて近づいて行ってしまう、危うい嗜好がある。 人から避けられる人、ちょっと嫌なこと言う人だなという人。 感じ悪い人。 そういう人になぜか惹かれてしまうし、なぜかそういう人は私の周りに芝生キノコのように突然現れるのだ。 息子が年中組のころ、同じクラスのある母親の初対面がとても感じが悪かった。同じ歳の子どもを持ち、下の子までうちと同じころに出産していた。産休中で毎日遭遇し、仲良く

    • 遠く遠く離れていても親が私を憎めるように

      こんにちは、森雨です。 noteを書くのは久しぶりですね。 数年前はnoteで書いていたんですが、ブログ『日々、考えて生活している。』に移行し、読者も安定的に増えたのでこっちにも書いていこうとおもいます。 マッキーの名曲『遠く遠く』を聞きながら、親がいまだに私を許していないことに思いをはせています。 私はこの6年かそこら、憎みと悲しみ、出産を経て愛しさとと切なさと心強さを知ったのに!あの二人は未だに怒っているんですよ。すごいですよね。 考えようによっちゃ、これは愛です

      • 突然毒父が家にやってきたので対決してみました。ホント疲れました。ものすごい徒労感です。そのときのことを書きました。(https://hibikan.com)

        • ブログをはじめました。これまで以上に愛着障害、毒親、発達障害のあれこれを綴ります。あと個人的な話も。ぜひご来訪ください。http://hibikan.com

        彼らを嫌いにならないでほしい。

        • 遠く遠く離れていても親が私を憎めるように

        • 突然毒父が家にやってきたので対決してみました。ホント疲れました。ものすごい徒労感です。そのときのことを書きました。(https://hibikan.com)

        • ブログをはじめました。これまで以上に愛着障害、毒親、発達障害のあれこれを綴ります。あと個人的な話も。ぜひご来訪ください。http://hibikan.com

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        • 毒親から遠く離れて
          7本
        • 日々考える。
          7本

        記事

          毒親育ち・愛着障害を知る。

          最近『愛着障害~子供時代をひきずる人々』という本を読んでまさしくコレが私だと思いました。 下手な占いより当たっていてドキドキしながら読みました。笑  今回はページにチェックを入れたところを少しピックアップ。 ☆人とほどよい距離がもてない。 「愛着障害では対人関係において、相手と近すぎたり、または遠すぎたりして極端になってしまう」 確かに。すぐに仲良くなろうとしてしまって自分をさらけ出して後で死ぬほど後悔するんですよね・・・。恋愛も友人関係も。結局クタクタになって離れ

          毒親育ち・愛着障害を知る。

          おもちゃをほとんど買ってもらえなかった私と違い、夫はたくさんおもちゃを持っていたようです。おもちゃの扱い方(プラレールとか?)をよく知ってて感心。夫の昔のおもちゃで私が遊べるのはこれくらい(写真)です。わーいわーいにこにこ、ぷんっ。

          おもちゃをほとんど買ってもらえなかった私と違い、夫はたくさんおもちゃを持っていたようです。おもちゃの扱い方(プラレールとか?)をよく知ってて感心。夫の昔のおもちゃで私が遊べるのはこれくらい(写真)です。わーいわーいにこにこ、ぷんっ。

          「頑張りすぎない」が難しい。

          夫によく言われる言葉で「頑張りすぎないで」というのがあります。 私が義実家で周囲に(義妹とか姑とか)話を合わせながら話を聞いたりしていた帰り。 家事と育児でてんてこまいしているとき。 夫の目から見るとそんなときの私は「死ぬほどイラついているか、もしくは今にも自傷しそう」な状態なんだそうです。 言われて初めて、私は「頑張りすぎ」が原因かも?と気づきます。 それでも「無理してない、楽しい!」と夫に言い返すことが多々あります。 だって、本当に楽しかったこともあるから。で

          「頑張りすぎない」が難しい。

          私が作務衣を嫌う理由。

          母がとある宗教家にはまってもうかなり経つ。 私はいつからか詳しくは知らないが、祖母の時代から商売や娘の結婚で気になることになると大金を包んでいそいそと県外にあるその『占い師』のところへ通っていたそうだ。 実は私も過去に一度、行ったことがある。 そこは山奥にあった。大理石でできた甕が真新しい屋敷の前に置かれていた。家の中に入るのにそこで手を洗えというので、言われるがまま手を洗った。家に入ると、まるで病院みたいに受付をし、予約の旨を伝える。作務衣を着た人のよさそうなおばさん

          私が作務衣を嫌う理由。

          毒親持ち子育て、はきつい。

          カウンセリングって受けてみたいなーとずっと思っています。 最近、ヒプノセラピーっていう催眠療法を知って行きました。たまたま近所でやっていたんです。緊張気味でうまく入れなかったけど、なんとか夢? 妄想?みたいな世界にワープできました。 子どものころの私が夕暮れの実家周りをうろちょろ。大人の私を引っ張って自宅に入り、何か色々と接待していました。 それで自分が『放置子』だったことを思い出して少し泣けました。 いつも一人で、夕飯も10時とかで、両親は常に忙しそうでイライラして

          毒親持ち子育て、はきつい。

          頭の中ぎゃーぎゃーうるさい。

          最近ようやく気づいたことなんですが、頭の中が昔からすごいうるさいんです。 「は?」と思われるかもしれないし、そうでもないかもしれないんですが。 もう何人か自分の中に自分が住み着いていて昔あったこと(特に思い出したくないようなこと)をわざわざ掘り起こして今の私のテーブルにどんと置くような……そういうことがあります。 なので私はときどきひとり言で「すみません」と無意識に謝っていることがあります。笑 これが特に肉体的精神的にもくたびれたころにやってくるんです。 そうすると

          頭の中ぎゃーぎゃーうるさい。

          ペンタブ教室があったら通いたいくらいペンタブがうまく使えなくて泣く。

          ペンタブ教室があったら通いたいくらいペンタブがうまく使えなくて泣く。

          ひとり相撲をする子どもたち。

          毒親育ちは親に対して永遠ひとり相撲だ――。 私は以前(数年前)親と絶縁するかどうか悩んでいたとき、『毒になる親』を読んで思い切って親に手紙を書いた。育ててもらったことに対する感謝と同時に、私の親への気持ちをA4用紙に5枚にしたためた。離れて暮らしていたためそれまでは電話で話していたが、そこでは親は発狂したように私を罵倒。それにより私はすっかり精神を病んでいて親の声を聞くだけで身体ががたがた震えて涙が止まらなかった。 手紙を書いたことで、私は親に対する罪悪感を増したものの、

          ひとり相撲をする子どもたち。

          毒親のバックグラウンド。

          毒親の親は毒親――。 このことを思うと、自分が毒親育ちの親でもあるので考え込んでしまうところではある。 父は田舎の貧乏な家の三人兄弟の次男として生まれ育った。父の父、つまり祖父は無口だが真面目な男気あふれる人だった。口数は少ないものの、昔から地域の中で奉仕活動を続け、信頼を得ていた。祖母は底抜けに明るく、ケラケラとよく笑い、よく喋った。田舎の親戚がよく泊まりに来たり、住んだりするような明るく賑やかな家庭だった。 何も問題はない。なので、祖母や叔母に父の過去を根掘り葉掘り

          毒親のバックグラウンド。

          毒親のもとで育つということ。

          一言でいうと、うちの親は子どもコントロールする親だった。子どもが自分をの意図に反することをしたり、発言したりすると徹底的に攻撃した。頭の中に常に理想の我が子像があり、それに近づけるために「躾」した。 もちろん、被害を受けたのは私だけではなかった。私は姉と兄がおり、その二人も例外なく被害者だった。 6歳離れた姉は要領が悪く、頭の回転も良いほうではなかった。そのため、私が幼いころからだいぶ父の怒りを買っていたらしい。例えば、ピアノの発表会近くになるとピアノの練習をマンツーマン

          毒親のもとで育つということ。

          毒親、うちの場合。(1)

          小さいころ、それこそ小学校に上がったくらいのころからそれは始まった。 5歳までの私は両親に対して本当に油断していた。父は陽気で優しいし、母もいつも疲れていることを気にしなければ普通の母だった――。 しかし小学校に上がり、勉強をしなければいけなくなると両親の私への風当たりは一気に強くなった。私の天真爛漫さを両親は決して許さなかった。算数の宿題で少しでもおかしな点を見つけると徹底的にしごかれた。 父がチラシの裏に書いた紙に問題を書く。一問でも間違うとなぜ間違うのか問い詰めら

          毒親、うちの場合。(1)

          もう親には会わないと決めた日。

          私の結婚式に実親は来なかった――。 子どものころはまさか親が自分の結婚式に出席しないなんてことを想像したことはなかった。きっとあんなに私に冷たい家族でも私のドレス姿を見たら泣くだろうと思っていた。綺麗にお化粧して、誇りに思ってくれる(褒めてくれる)かも……、と。 しかし、母は私が結婚すると知ったとき「今? じいちゃん死んでからにして」と言い、父は「じいさんの墓に砂かけるようなことする」と罵った。じいちゃんは当時、癌が見つかったところだったので両親はとにかく葬式のことばかり

          もう親には会わないと決めた日。