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「平均」を出すと全員が不幸になる

メルマガ 4月23日

《思い出し怒り》

「日本人は『年齢』と『体重』の話ばっかしすぎなんだよ!どうでもいいんだ。そんな事は!」

先週の放送で、僕はそんな事を言ったと思う。

きっかけは、おっくんの「きたがわさんもレイジさんも若いじゃないですか」
という他愛ない一言だった。

気の毒なおっくん。
彼は何も悪くないのに。

実はこの時僕が「爆発」したのは、今回のテーマである「フジテレビの件」が原因だった。

それは番組で話していた「とんねるず登場」の80年代半ばの話。

そして「それ」が象徴とするこの国の「排他的流れ」は、僕にとって大きな「何か」なのだ。


以前にも書いたり話したりしているけれど、どうしても「あの頃の怒り」が蘇ってしまうのだ。

《とんねるずの時代》

彼らは「体育会系のやり方」で、「ノリの悪いヤツ」を「排除」、もしくは「ネタ化」していた。

その中にいたのが、見た目でラベリングされた「ガリ勉」や「オタク」や「ゲイ」などだった。
彼らは無邪気に彼らをラベリング(キャラ化)して、笑いの対象(ネタ)にした。

そういう空気は物凄い勢いで当時の若者に浸透し、「あのノリ」に乘れないやつは「遊び場」から排除される、という空気になっていった。
そして、その「遊び場」には、いわいる「イケメン男子」と「可愛い女の子」が含まれていたので、多くの若者は「そこ」から排除されないように必死になった。

かなり前にこのメルマガで書いたかもしれないけど、僕の学生時代の友人は、ずっと「アニメファン」だったけど、当時の空気ではそれを言うと「キモオタ」にされてしまうため、ずっとそれを隠していた。

その当時の僕は「仮面の人格」を演じてなんとかやり過ごしていたけれど、「子供みたいなバカ騒ぎができる」という「ノリ」ができないと排除される人達のことを思うと複雑だった。

なにより嫌だったのは、排除される人の中には「まともに人生について考えている人」も含まれていたことだ。

社会や人生に疑問を抱き、歴史上の人物や海外の人にも「その答え」を求める「求道者」もいたと思うし、何より僕が「そういう人間」だった。

「フジテレビの時代」以降に起きた「インテリ排除」の流れは「考える若者」の排除でもあったと思う。

その背景には「学生運動の敗北」と、団塊世代の「不毛なインテリごっこ」の後遺症があったにしろ、若者に「考えない」ことを押し付けていた「空気」は、後の時代に「深刻な問題」を残していったと思う。

正確に言えば、とんねるずはたまたま時代のアイコンになっただけで、犯人は彼らを選んだ「時代の空気」だったと思う。

要するに「みんなが観る番組」が、「そういうもの」になったので、視聴率の取れない「その他のもの」は切り捨てたという、今の「ポピュリズム」そのものだろう。

《お勉強後遺症》

フジも含めて「知的なテーマ」を模索した番組の挑戦も何度か見かけた。
しかし、それが続かないのは「みんな」が観ないからなのだ。

そして、最終的に支持されたのは、学校のテスト問題みたいな「漢字テスト」や「計算」を「間違いなく答えるゲーム」みたいなショーと、高学歴のタレントと学歴の低いタレントが「難しいテスト問題」を正確に答える、みたいな番組だった。

ここに「自分の哲学」より「事務能力」を試されるという、日本教育の悲惨な末路が露見している。
(多くの)日本人が声高に主張出来ることは、「自分の考え」ではなく、一般に認知された「誤字脱字」や「計算違い」の指摘なのだ。

「私はこう思います」ではなく。
「それは教科書に載っていたのと違います」という声ばかりになった。
これは明らかに「受験後遺症」「お勉強後遺症」だろう。
「暴れるバカ」が「真面目なバカ」に変わったのが0年代だったのだと思う。

そしてここにも「マーケティング」の悲劇があって、「平均的に好まれるもの」がメインステージを奪うと、その他の多くも「似たようなもの」になっていく。

《ラベリングをやっつける漫画》

僕があの当時悲しかったのは、知的水準を下げる事で支持された「メインステージ」は、悪い意味で子供っぽい「排他的な場」になったことだった。

「その場」では、「オタクは気持ち悪い存在」と決められていて、「オタク」とラベリングされた人間の1人1人が「何について熱中しているか」は関係ないし、1人で本ばかり読んでいる「ネガネくん」が「何を思い」「何を考えている」のかも関係ないのだ。

今回「漫画動画」のコーナーで取り上げた、僕の漫画「Bバージン」は、そんな(オタクという)ラベリングをされた男が、「仮の姿」で、とんねるず的な世界に挑んでいくところから始まる。

それは「オタク」や「ゲイ」や「変な見た目」をバカにしながら、ろくにモノを考えていない「ノリだけのやつら」にケンカを売ったのが「Bバージン」だったのだ。

《「全員を不幸にする」日本人の価値観》

人生相談や恋愛相談のほとんどは「自分の評価」についての悩みだ。
「私は人からどう見られているのか?」が、悩みの根幹にある。

特に若い女の人は「年令を重ねる事」と「太る事」に怯えている。
男も似たようなもので、「ハゲて」「太って」「年をとった」ら「自分は終わり」みたいに思っている。

逆に言えば、日本人にとって「最高の価値」は「若くて細い美人」と「若くて細いイケメン」という事になる。

あまりに幼稚な価値観でクラクラするが、これも事実だろう。

確かに「若くて細くて魅力のある人」もいる。それはそれで「価値」の1つだろう。
でも僕が魅力を感じる人の多くは「ハゲ」だったり「じいさん」だったりするし、実際、男にモテる女は「若い」とか「細い」で決まってはいない。

そもそもこの価値観はいったい誰を幸せにするのだろう。
全員が必ず年を取るのに、人生のピークが10代後半からのわずか数年で、その後は長い下り坂を必死で誤魔化す価値観でいいのか?

「必死で若作りしている妙齢のタレント」や「美魔女おばさん」なら大丈夫なのか?
いやいや、とても彼らになりたいとは思えない。

若いアイドルを応援している人や、それを仕掛けている人なんかはいいかもしれない。トロフィーワイフを探している成金オヤジもいる。

でも「その人当人」の価値についてはどうなんだ?

《かっこいいって何だ?》

この話はすべて「人に良く思われたい」という煩悩から来ている。
でもその煩悩は簡単に消えるものじゃない。

なので、人は「みんなが素敵」と言っている姿に自分を合わせようとする。
その「みんな」の価値観が「若くて細い」なのだから、みんな必死で「そこ」を目指す。

でもその「みんな」ってのは、本当に全員なのか?
本当に全員が「それだけ」を素敵だと思っているのだろうか?

人は必ず年をとる。

体型は変わるし、代謝が落ちると肉もつく。
全部「当たり前のこと」だ。

その「当たり前」を否定する価値観は「ほぼ全員」を不幸にするだろう。

例えば「ハゲ」に関しても。
「ハゲたらキモい」と言う国と「ハゲはセクシー」と言える国のどちらが豊かだろう。

実際の話、男も女も「若いほど好き」とか「細いほど好き」とか言ってる人ばかりではない。
「ハゲ」が好きな人も「デブ」が好きな人も本当は沢山いるのだ。

「好き嫌い」の根拠は、実のところ「自分」ではなく、その時の「空気」であることが多い。
「男もエステに行くべき」みたいに言われていた時代の女の人は「すね毛は気持ち悪い」とか言っていたが、今の時代「すね毛」を憎悪する女の人は見なくなった。

人の好き嫌いなんてものは、常にいい加減で「確実なもの」ではないのだ。

フジが排除した「マイノリティー」の中に「多様な才能」が存在したのと同様に、「平均」という価値観が排除した「人の好み」には「多様性」が確実にある。

「平均」という「意味のない幻」に引きずられるのは、終わりにしたほうがいい。

まあ、つまり「年齢」も「体重」も、人の価値とは関係ないって話です(笑)

今週も色々あるだろうけど、頑張ってね!

山田玲司

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山田玲司

漫画家です。ツイッター@yamadareiji 絶望に効く薬、ゼブラーマン、アリエネ、非属の才能、CICADA、資本主義卒業試験、キラークエスチョン、Bバージン、agapes、『モテない女は罪である、ニコ生チャンネルヤングサンデー http://yamada-reiji.com/

コメント5件

こちらこそ!ありがとうございます、
不細工は人類進化のチャレンジャーです。イケメン・美女は顔のパーツ配置が平均的でそれは遺伝子の正常さを示す。だからそういう遺伝子の子供を欲すのでモテる。だけど進化は常に遺伝子の異常から始まります。犠牲は多いけど数万年の不細工の歴史からある日突然次世代の人類が生まれて旧イケメンを駆逐する。そうなるのは歴史が証明しています。だから新人類の母になる為に不細工を愛する人も種として常に存在するはず。そこに至るまでの辛く長い道のりを俺たちは歩んでいる最中なのですよ。たぶん。ヤングサンデー見てますよ。では。 あ、もし余裕があればミツバチがネオニコチノイドでヤバいって言ってください。認知が広まらないと規制されないので。
その受け皿となったのが、90年代後半からのインターネットなんですかね。
テキストサイトや掲示板、ブログをはじめとした。
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