見出し画像

大ヒットすると漫画家は孤独になる

【漫画家のパーティー】

漫画家が集まる年末の大パーティー(謝恩会)に来る漫画家にはパターンがある。

アシスタントや取り巻きを沢山引き連れて来る「親分系」
モデルやタレントなんかを連れて全身ハイブランドで固めた「業界系」
自分の漫画に類するコスプレ的格好で独自のスタイルを貫く「カリスマ系」
さっきまで修羅場の仕事場でペン入れとかしてたであろう「抜け出してきた系」は適当な感じの普段着で1人で来る(ベテランに多い)

そんな「いつもの感じのベテラン」の中に初めてやってきた感じの「色紙持ち込み系」の新人漫画家がドキドキしながら混ざっている。


そんな「漫画家パーティー」に最初に連れてってくれたのは江川達也師匠だった。
僕は藤島康介らと「江川一派の若い衆」としてその「漫画業界の奇妙な宴」に乗り込んだ。


【見えてくる孤独】

新人として飛び込んだ漫画家パーティーは、憧れの漫画家が溢れる夢のような世界に見えた。

エレベーターでは石ノ森章太郎先生と一緒になり、紅白ボーダーでキメた楳図かずお先生とすれ違う。
漫画のままの島本和彦先生が大声で喋っている。
ミスマガジン出身のアイドルがステージに上がる。
「去年は斉藤由貴がいたのになあ」とかいう声が聞こえる。
当時は「ただのお客」として入っていただけなので本当に気楽だった。

やがて自分も漫画家として連載を持ち、漫画家の友人も増えてくると、色々と内実もわかってきた。

人間関係であちこちの出版社に嫌われたらしい「ある漫画家」の噂や、打ち切られた漫画家の話を嬉しそうにする漫画家。

中には連載の機会を獲得するために呼ばれてもいないのに紛れ込んでいる必死な漫画家もいる。

数年前には大ヒット作家としてちやほやされていた漫画家が、何本か連載を打ち切られて来なくなるケースも多い。

かくいう僕も打ち切りが連続した時期からパーティーに行きたくなくなった。

昔は「憧れの漫画家たちの夢の宴」に見えた年末のパーティーが「売上競争の地獄を生き抜いたもの達だけが笑っている嫌な場所」に見えてきたのだ。

そして漫画家がいかに孤独な仕事なのだと思い始める。

大ヒットを飛ばしていた漫画家友達の1人が「気がついたら自分の周りに企業関係者ばかりになってて嫌になった」と言っていた。

「売れたら人が寄ってきて、売れなくなると離れていく」
このシンプルな法則に気がついてしまうと「孤独」が始まる。

この国では大ヒット作家に対して「販売数何千万部で凄いですね」という言い方をする。

「生産性の高い人間は偉い」というアホな価値観で自分の価値を測られるわけだ。
これにまんまと乗ってしまうと自分に「売れない」が来たら自分には「価値がない」という事になってしまう。
この虚しさを理解してくれる人は案外少なくて「収入が多くていいね」という話ばかりされる。

もちろん「こんなに売れた俺は凄い」とやってる漫画家もいるのだけど、僕はそういうの全てが嫌になってパーティーにも行かなくなった。


漫画に限らずこの国は「生産性」と「ステイタス」で評価が決まる。
「どう考えてどう生きてきたか」ではない。ホントにくだらない。


とはいえ「どう考えてどう生きてきたか」は自分と接する人達には確実に伝わる。

「優しい生き方」「美しい生き方」ってのは確実にある。
有名無名に関係なくそういう人達を沢山見てきた。

そういう人達が孤独になるとは思えなかった。

僕が見てきた漫画業界は「狭い世界のドッグレース場」だった。
とはいえそんな世界にも「優しい生き方」「美しい生き方」をしている人達はいる。

「それ」は漫画の中に現れ、読者に伝わる。

その「質の問題」に関しては「売上の話」より語られないけど実は何より重要だろう。


【進撃の巨人】

進撃の巨人を読んでいると、作者が強烈に悩んでいるのがわかる。

「自分はどう生きるべきか?」
「正しさとは何か?」
「自分以外のものについて考えているのか?」などなど続いていく。

「問題提起」という読者に向けた容赦のない「刃」は、そのまま作者を襲うだろう。
作者の諫山創は傷だらけになったと思う。

僕はそこに「美しい若者の姿」を見る。

繰り返すが「売上げ」は関係ない。

「作者の誠実さ」が読者に伝わっただけの話。

今ヤンサンで進撃の巨人を解説していますが、こういう人の作品は語りたくなるのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?