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母の一周忌に思うこと

母の一周忌、外は雨
一周忌の後はお墓参りの予定
なんとなくどんよりとした気持ちでお寺さんに向かう

少し早めに着いて、本堂の仏様たちを拝見しながら
母も仏様になったんだよな、などと呟く
始まるまでの間、兄と同い年のお坊さんと桜の話で盛り上がる
母は誕生日に亡くなった
母の亡くなった時には桜は咲いていなかった
今年はこんなに早く咲いて・・・などとしんみりしたり
花見客の賑わいや、おすすめの花見スポットを情報交換したりした
そうこうしているうちに、兄家も到着

一瞬にして僧侶の顔になったお坊さん
法要が始まる
目を閉じながら美しい旋律のお経を聞いていたら
ふわっと脳裏に今の私と同じ歳のころの母親の顔が出てきた
母の隣には父がいて、二人で何やら楽しそうに話している
びっくりして目を開け、そして再び目を閉じたけど
2度とその光景は浮かんでこなかった
涙が出た

母はとても真面目で厳しい人だった
例外を認めない人でもあった
私は母に褒められた記憶がない
褒められるのはいつも兄だった

同じ学級委員を3年連続でしても、
テストの成績が上がっても
先に兄が同じことをもっと上のレベルでしているから
比較すると、褒めるまでもないことなんだろう
どこかで諦めを感じながら過ごしていた

就職し、家を出て別々に暮らした
しばらくは全く問題なかった
私がうつ病に罹患するまでは・・・・
実家に戻って暮らした
休職し、ただ実家にいた
復帰初日、帰り道で見たのは警察官と酔い潰れた父の姿だった
父が酔ってひっくり返ったのを周りの人が見て
救急車を呼んだらしい
慌ててその中に飛び込み父を確認し、救急車に乗り病院に向かった
途中母も拾って行ったけど、手続きや支払いは私がやっていた
この頃から母は依存傾向に変化してくる

父と母はいつも二人で行動していた
母の文句を受け流しながらも、買い物や病院全ての外出が二人だった
ある日父に相談される
「お母さんにデイサービスに通ってもらおうと思うんだ」
とても共感できた
このままでは父の時間が全くない、人には一人の時間が必要だ
賛成し、そのまま母に説明する
母は全面拒否した
母の中では、自分はまだシャキシャキことを運んでいると思っている
ケアマネージャーや施設に人にも説明してもらい
施設に見学も行ったりして、なんとか1日、2日と増やしていった
友達もできて順調に思えた頃、父に癌が見つかった
父がいない家にいること自体が不安でたまらない母
父の病気のことを何度説明しても理解できない母
いつか戻ってきてくれると思い込んでいた母

父が亡くなったとの知らせを受け、会社から早退し、母を迎えにいって
病院へタクシーを飛ばす
この頃には、一人で歩くこともおぼつかず、介助が必要だった
母の表情は虚で、何も言えなかった
この頃から「死にたい」が口癖になる

父が亡くなり、父の代わりは私に回ってきた
行政手続き、ケアマネとの計画書作成、介助器具の設置、
介助ベッドの設置、やることはやまほどあった
病院の付き添い、食事などなど
毎週末に詰め込んだ
この頃から被害妄想がひどくなり、幻聴幻覚が酷くなってきた
レビー小体型認知症
母は最後まで自分がなんで忘れちゃうのか、なんで自分が見えているものが
みんなに見えないのか、わからずにいってしまった
何度も何度も説明したけれど、

ボヤ騒ぎを起こした
デイサービスの送り迎えの方に、室内までの誘導を頼んでいた
もう寝るだけ状態になっていたはずだった
なぜか母は料理を始めてしまったらしい
この状態の母を一人暮らしさせる限界だと感じた

父が亡くなってから毎朝、毎晩電話をかけて
母の気持ちに寄り添った
母からもわからないことや不安になると、時間関係なくかかってきた
でもボヤ騒はどうしようもない

兄に相談した
もう私一人では安全に見守りができないと
当初ヘルパーさんを検討したが、母が「絶対に家に入って欲しくない」
と言って実現できなかった
そこから老人ホームの手配をし、居を移した
断固実家を離れることを拒否していた母には「見学に行くだけだから」と
嘘をついて引っ越した
施設で杖を振り回して暴力的になった母
何度も箪笥に収めた服をバックに詰め替えて帰ろうとする母
私がタンスに服を詰め替えていると、苦々しく文句を言う母
面会に行くたびに文句を言う母、でも実家に一人でいる頃より格段に元気だ

施設にも慣れ、歩く時の介助がいらないくらい回復した母は
年明け早々に急変してしまった
そこからは話をすることも、目を合わせることもできなかった
一方的に話しかける内容は面白くもなんともないけれど
何か刺激になればいいなと話しかける

でも逝ってしまった
認知症になってからは、理不尽に怒鳴られたり詰られたり
他の人には絶対に向かわない黒い部分を私にむけていた
でも毎週末介護するのは私だった
自分の気持ちに蓋をして、役割をこなしていた
きっと母に対する愛情ではなく、義務だったのかもしれない

そして今日脳裏に浮かんだ母
私の記憶には全くない母の顔、穏やかで楽しそうで
父と楽しそうに話している
全く見たことのない二人の姿
どう表現していいかわからないけれど
なんかよかったなって思った

多分、これで完全に一区切りできたんだと思う

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