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〈書評〉橋本寿哉『中世イタリア複式簿記生成史』(Kindle版)


「簿記会計」がわからなかった


 私は、以前の記事で、公認会計士の林總氏の『不安な時代の家計管理』を取り上げた。
 私が家計簿に関心を持ったのは、Youtube番組の一月万冊のホスト・清水有高氏と経済学者の安冨歩氏の対談動画で、「簿記会計」の重要性を語っていたからである。現在の資本主義社会では、お金の仕組みを知ることが生きるためには不可欠である、と云う趣旨だった。
 一月万冊では、安冨氏の主著『複雑さを生きる』に付属して、「生きるための簿記会計」と云う、安冨氏が「簿記会計の仕組み」について講義をする有料動画を販売している。(2021年5月11日時点で、動画単品で3万5千円で販売)
 その有料動画で、安冨氏がテキストとして指定しているのが、橋本寿哉『中世イタリア複式簿記生成史』だった。



 同書は、現在の簿記会計の元になった「複式簿記」がどのように成立したのかを叙述した歴史書である。一月万冊で、同書を取り上げたところ、在庫切れになり、一月万冊と視聴者が電凸を行ったところ、電子書籍版がアマゾンで販売されている。

 「簿記会計」については、私自身、学生時代に勉強しようと思って、「さざ波発言」で話題の内閣参与・高橋洋一氏の『バランスシートで考えれば、世界のしくみがわかる』や『みんなが欲しかった簿記の教科書』を手に取ったが、よくわからなかった。前著では、高橋氏個人の経験に依拠した話が多く、後著は、「日商3級商業簿記」の教科書なので、「簿記会計とはそもそも何なのか」については言及されていなかった。もっとも、両著とも「簿記の考え」を理解している前提で、叙述しているので、仕方がない点もあるのだが。

 私が「簿記会計」について改めて、勉強しようと思ったのは、「家計簿」をつける必要に迫られたからだ。収入が少なく、わずかなお金でやりくりしなければならないので、家計管理のために「簿記会計」を勉強しなければならなかったからだ。自分で家計簿をつけて、毎月のお金の流れを記載してわかったが、いくらお金を使ったか、いくらお金が入ったのかをみていただけでは、いくら手元にお金があるのか、わからないことだ。
 だからこそ、林氏の『不安な時代の家計管理』では、家計管理のためには、「家計簿」だけではなく、まず「財産目録」を作ることが重要だ、と述べている。この「財産目録」は「複式簿記」の考えに基づいている。


 みなさんがいまつくっている財産目録は、家計用語でいうところの「複式簿記」の考え方にもとづいたものです。
 「今日は◯◯円使った」「今月の給料が◯◯円だった」という、いわゆる家計簿のような記録は、「単式簿記」です。単式簿記では、単純な収支(お金の出入り)を記録します。
 対して複式簿記は、現金収支と財産、債務の状況を同時に見るためのものです。
 3000万円で家を買った場合、単式簿記では「△3000万円」とマイナスになるだけですが、複式簿記では同時に3000万円の不動産(財産)を手に入れることができたと見るので、財務状況はプラスマイナスゼロになります。
 複式簿記の結果は損益計算書と貸借対照表で要約されますが、家計簿は損益計算書、財産目録は貸借対照表にあたります。
 先ほど、プラスの財産とマイナスの財産の差額で割り出した純資産は、単式簿記では見えてこない正味の財産なのです。(26-28頁)


 この財産目録のおかげで、私は手持ちの資産がいくらなのか、把握することができた。だから、一月万冊の販売している『複雑さを生きる』と有料動画を購入することができた。これぐらいの資産が手元にあるなら、高額な商品を購入しても問題がないと判断できたからだ。

 そして、安冨氏の「複雑さを生きる簿記会計」を視聴した。同動画では、橋本氏の『中世イタリア複式簿記生成史』をもとに作成したパワーポイントが使用されている。なお、パワーポイント自体は閲覧可能だ。



 私は動画を視聴した直後、橋本氏の著作は購入しなかった。
 理由は、Kindle版でも4180円と云う高額な値段だったので、もう少し資金に余裕ができたら、読もうと思ったからだ。

 そして、先日、購入し、読むことにした。


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あらすじ


 先に断っておくと、同書が扱っているのは、「複式簿記が生まれた社会状況」だ。

 だから、具体的に「簿記会計をどう記述するのか」については、自分で手を動かしながら、勉強しなくてはならない。もっとも、本書を読みながら、勉強すれば、みえてくるものは違うと思うが。
 
 そもそも「複式簿記」とは何なのか。
 橋本氏は以下のように述べている。


 複式簿記の計算機構の特徴は、経済主体のすべての経済活動を「取引」として捉え、「勘定」という分類項目を用いて貸借二面的に捉えて記録することにある。そのようなルールにもとづいて記録されているため、貸借残高の一致によって記入に間違いがないことが確認され、もた一部の数値が改竄されても、記録構造の二面性から、直ちにそうした事態が判明するという自己統制機能を内蔵している。また、集積された記録から、財政状態を示す貸借対照表と経営成績を示す損益計算書が同時に作成される、これだけをみても、複式簿記は、事業活動を行う上で確かに大きな効用をもたらすものであると言ってよいであろう。
 しかも、作成された2つの計算書は、一定の期間(「会計期間」とよぶ)に稼得された純利益によって結合されている。期間損益を算定するには2つの方法があり、一方は、期間中に得られた「収益」から、この収益を得るための犠牲として消費された「費用」を差し引いて求める「損益法」であり、他方は、期間の開始時点と終了時点の純資産額の増減から求める「財産法」である。複式簿記は、2つの算定方法によって算出された利益の額が、必ず一致するシステムとして構築されているのである。(13頁)


 では、そんな「複式簿記」は何を表現しているのか。
 橋本氏は、「企業」を「複式簿記」で表現すると、以下のようなると云う。


 ここでは、経済主体の中でも、営利を目的とする企業に限って検討しよう。企業は、一定の資本によって設立され、この資本を最も効率的な方法で運用することによって、利益の獲得という目的を達成する。これは、資本というものに着目して考えれば、図表1-1が示すように、調達、商品の入手(あるいは製品・役務の生産)、販売、そして回収までの循環によって企業が成り立っていることを意味する。(15頁)


 なお、同頁に記載されている図を、安冨氏によれば、マルクスの『資本論』で述べられている「資本の運動」だと云う。マルクスが述べている「資本の運動」とは「商品の交換過程」だ。


 商品の交換過程は、こうしてつぎのような形態変化をなして遂行される。
    商品ー貨幣ー商品
     WーGーW
(マルクス(エンゲルス編、向坂逸郎訳)『資本論(一)』岩波文庫、188頁)



 マルクスが分析している「資本」とは、絶えず「商品」が「貨幣」に変わり、その「貨幣」が「商品」に変わると云う循環を指している。


 貨幣としての貨幣と資本としての貨幣は、まず第一には、ただそのちがった流通形態によって区別されるだけである。
 商品流通の直接の形態はWーGーWである、すなわち、商品の貨幣への転化および貨幣の商品への再転化であり、買うために売ることである。しかしながら、この形態とともに、われわれには、第二の特殊なちがった形態がある。すなわちGーWーGという形態であり、貨幣の商品への転化および商品の貨幣への再転化であって、売るために買うことである。この後の方の流通を描いて運動する貨幣は、資本に転化され、資本となる。そしてすでにその性質からいえば、資本である。
 流通GーWーGをもっと詳しくみよう。この流通は、単純なる商品流通に等しく、二つの対立した段階を通過する。第一の段階GーWすなわち買いにおいては、貨幣は商品に転化される。第二の段階WーGすなわち売りにおいては、商品は貨幣に再転化される。そして、両段階の統一が、貨幣を商品にたいして、また同じ商品を再び貨幣にたいして交換する総運動であって、売るためには商品を買うのである。言いかえれば、もし買いと売りとの形式的な差異を無視すれば、貨幣をもって商品を買い、商品をもって貨幣を買うのである。全過程が消えて残る結果は、貨幣の貨幣にたいする交換GーGである。私が一〇〇ポンドで二〇〇〇封度(ポンド)の綿花を買い、二〇〇〇封度(ポンド)の綿花を、再び一一〇ポンドで売るとすれば、私はけっきょく、一〇〇ポンドを、一一〇ポンドにたいして、交換したことになる。すなわち、貨幣を貨幣にたいして交換したのである。(マルクス、同書、256-257頁)


 つまり、企業の商業経営とは、「G(貨幣)」が「W(商品)」となって、「G'(新貨幣)」になることだ。資金を調達し、商品サービスを売り、利益を獲得する一連のプロセスが企業内での資本の循環となる。会社とは、そう云う資本の運動によって成り立っていると云える。
 その流れを数字で記述しようとすると、複式簿記が必要となるわけだ。

 では、そんな複式簿記はどのような経緯で発明されたのか。
 同書はまさに、複式簿記が生成される過程を歴史をさかのぼり描いていると云える。では、なぜ中世イタリアなのか。理由は、多くの歴史学者が複式簿記の起源を中世イタリア社会に求めているからだ。


 十字軍以降の地中海交易の活発化とこれに伴うヨーロッパ内の陸上交易の隆盛、そして通信・交通の発達や貨幣経済の発展等によって、イタリアの主要な商業都市は13世紀から14世紀にかけて経済的繁栄を謳歌した。取引量の拡大や取引の複雑化に対応するために会計記録の重要性が高まる中で、各都市において記帳方法が改善、洗練され、遂に複式簿記が完成・生成したと考えられる。(32頁)


 ちょうどこの時期は、イタリアでルネサンスがはじまった時期と重なる。詩人のダンテや芸術家のダ・ビンチやミケランジェロ、政治思想家・マキャベリなどが活躍したのと同じ時期に複式簿記が生まれたことになる。


 複式簿記が完成されていく13世紀から15世紀にかけての時期には、それが生成したとされるイタリア諸都市において、市民の意識に大きな変化がみられたと考えられている。中世の神の存在を絶対視するキリスト教の教義の束縛から脱し、「人文主義(umanesimo)」とよばれる人間中心の新しい意識が芽生えたのである。(略)ルネサンス(Renaissance)は、もともとフランス語で「再生」を意味し、人間中心、感性の開放等を主眼とした文芸上、思想上の革新運動とされるが、従来、歴史上のルネサンスの評価は、文化的側面からのものがほとんどであった。しかし、経済的な側面からみても、ルネサンスという革新的な動きが全く意味を持たないとはいえない。ルネサンスをもって、近代文化への転換が図られたとされるが、同時に近代社会への転換も図られた。そして、人間の生き方そのものがこの時期に大きく変化したと考えられるのである。そうした点に、中世イタリアにおける飛躍的な経済発展の特殊性を見出すことができるのである。(49頁)


 以後、同書では、中世イタリアの商人たちが使用した帳簿を引用しながら、現在の資本主義社会では不可欠な企業や銀行の発生まで描いていく。複式簿記の思考が現代の資本主義社会の礎を築いたと云える。その思考は中世イタリア商人たちのメンタリティがもとになっていると云える。


 クリスチャン・ベック(Christian Bec)は、中世イタリアの商人達の間で形成された実践道徳規範の中で、「ラジョーネ(ragione)」という言葉が極めて重要な意味を持っていたと指摘している。この語は、イタリア語で「会計(学)」を意味するragioneriaの語源となっているが、15世紀初頭の商人達の間では、帳簿、簿記の他に、公正、数々の出来事の理由・原因、あるいは知恵等の意味で使われていた。これは、過去を理解し、現状を把握し、更には未来を予測する真に合理的な能力も指す。商人達は、運命の力を排除することはできないとしても、少なくとも人間の力の及ぶ範囲の秩序を構築することの必要性を認識していた。世界はたとえ直ちに明白な形でそうならなくても、最終的には合理的な法則に従っており、また、その世界において、人間は努力によって己の願うところを実現できるという2つの信念が商人達を支配していたと指摘される。そのため、商人達は「熟慮」等をもって、個人の繁栄と幸福を目指したのである。簿記・会計実務の発達は、まさにそうした思考を顕著に示すものであったといえるであろう。(320頁)

 

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感想


 本書は、橋本氏の博士論文を加筆・修正したものである。
 だから、学術書の文体に慣れていない人間にとっては、若干読みづらいかもしれない。また、扱っているのは、中世イタリア史なので、中世ヨーロッパ史の知識がないとなかなか内容が頭に入ってきづらいかもしれない。
 ただ、それでもいくつか読んでみると、発見がある。

 例えば、現在、「現金」を意味している「クレジット」は貸借対照表の「貸方」を指し、デビットカードの語源である「デビット」は「借方」のことを指していることだ。
 あるいは、現在の私たちが日常的に行っている「契約」の起源は、中世イタリアの商人たちが行っていたことの延長線にあることがわかる。

 私たちが生きるために必要なお金の知識。しかし、調べてみると、さっぱりわからないと云う不思議。その理由の一端がみえてくると思う。もっとも、本書だけではなく、現在の会計に関する本も読むべきだと思った。

 

最近、熱いですね。