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私はこうやって卒論を書いた/卒論を書く前に必要なこと

 
 「卒論ってどうやって書けばいいの?」

 私は、去年まで大学生だったが、「卒論」を書くのは非常に苦労した。とは云え、10万字以上の論文を提出して何とか卒業できた。
 周囲は就活も重なり、卒論を全く執筆できず、渋面でゼミに参加し、3年時よりも明らかに人が来なくなっていた。

 もし、この記事を読んでいる人で、現役の大学生がいるのなら、次のような疑問にぶつかると思う。

 一、「クリティカル・シンキング」って何?
 ニ、「論理的」って何?
 三、「メモの取り方」って何?
 四、「資料収集」って何?
 五、「章立て」って何?
 六、「引用」って何?
 七、「テーマ」って何?

 私は大学を卒業して一年近く経過しているが、改めて振り返ると、日本の学校教育と論文を書くと云う営みは対極に位置していると気付く。

 私が大学時代にテキストとして読んだ、小笠原喜康『新版 大学生のためのレポート・論文術』(第2版)の「はじめに」と「おわりに」で、こんなことを述べている。

 日本の教育は、十九世紀以来の記憶中心から変わっていない。自分で考える、自分の理屈をたてるなどということは、いまだに御法度のようである。(4頁)
 日本は明治以来、近代教育という国民教育の時代に入った。端的にいうと近代教育の最大目的は、工場で働く人間をつくることである。この目的のために重要な学力は、「時間を守る道徳」と「自分で考えない力」の二つである。(略)ここで求められるのは、命令のコトバがなにをさしているのかわかる知識であって創造力ではない。(217~218頁)

 
 今読み返すと、本当に耳が痛い。
 「論文」を書くには、「自分で考えない」と無理だと云うことだ。しかし、学校教育ではまったく教えられていないと、あろうことか大学の先生自らが語っているのだ。
 そして、そんな日本の学校教育を経て大人になった人々が動かしている日本社会はどうなっているのか。
 
 現在、コロナ禍で、政府がハチャメチャな対応をし、感染が拡大しているが、対応にあたっている政治家や官僚に非難の声が上がっている。果たして、彼ら・彼女らは「自分で考えている」だろうか?
 しかし、我が身を振り返ると、「自分で考える」と云うことは絶望的だ。
 今も私は、「自分で考える」のは苦手だ。

 これからのnoteでは、私なりに「考えてきたこと」をしるしていきたい。
 卒論に関するテキストや記事、動画は大量に出回っているが、大学の先生が発信者の場合が多い。
むろん、前述の小笠原氏のテキストのように良質なものは多いが、元・大学生からすると、「自分で考えること」自体の意味がわからないと云う人には一人で考えながら、読むのはキツい。

 そこで、私が学生時代に書いたノートやメモをもとに、卒論の書き方に関する記事を投稿していく。
具体的な事例を上げた方が、わかりやすいと思う。
 あらかじめ断っていくと、私は私大の文系史学科のゼミで卒論を書いたので、投稿内容は歴史学の書き方と思っていただいてよい。

 もし、大学生の方で、参考にしていただければ、幸いである。

最近、熱いですね。