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言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(十一)丸山健二

 かつては紅葉よりも黄葉に惹かれたものです。その理由については我ながらよくわかっていません。想像するに、たぶん、明るい未来を表象するかのような見事な黄色に目を射られると、いかにも文学的な厭世気分がいっぺんに吹き飛ばされたかのごとき、そんな錯覚に陥るからでしょう。
 黄葉する樹木で一番好きなのはダンコウバイです。この低木は日陰を好み、森や林のなかでなんとも形のいい大きめの葉を広げて、秋には和風にして上品な黄色に染まるのですが、出会うたびに我が家の庭にも是非と思ったものでした。ところが、どういうわけか植えても根付かないのです。悉く失敗に終わりました。現在残っている、園芸種として購入した斑入りのダンコウバイもただ枯れていないというだけのことで、あれから数年を経たにもかかわらず生長の兆しが一センチも認められません。
 そこで二番目のお気に入りであるイタヤカエデを取り入れました。これがまた異常なまでに生命力に富んでいて、みるみる大木と化し、星の形をした夥しい数の大きな葉を見事な黄色で染め上げてモミジの紅葉を蹂躙するのです。ために、移植した数が圧倒的に過ぎて間引きせざるを得ない状況に追い込まれました。
 モミジ系とカエデ系が織り成す赤と黄のだんだら模様の真下に佇むときの気分をどう表現すべきでしょうか。美徳を養うそれとは正反対の、呪いでもかけられたかのような、かなり危険な陶酔感へと導かれ、この瞬間に寿命が尽きてくれたらどれほど素晴らしい最期になるであろうなどと、心にもない期待感に弄ばれてしまいます。
 そうなると、反骨の精神も、自由の拡大も、真面目の発揮も、無用の長物と化してしまい、残るは官能への道筋のみとなって、胸裏に秘められていた人生への思いの丈が綺麗に滅してしまうありさまです。
 しかし、今この季節のそれらは、芽吹きの溌剌たる若緑と淡い黄色の小花に飾り立てられて、爛漫たる春を謳歌している真っ最中です。ムラサキヤシオやシロヤシオといった亜高山地帯を好むツツジの花の引き立て役に徹し、ボリュウーム感をもってこの三百五十坪の空間を精いっぱい盛り上げています。その時その時の自分の役割をちゃんと心得ているところが、なんと健気でしょう。自分のどこをどう探してみたところで、そんな殊勝な長所など発見できません。
 
 
「物事の始まりは決まって華やかなものだ」とは、けだしカエデの名言。
 
「ここには慨世が蔓延る余地などないぞ」とは、いみじくもモミジの妄言。

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