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言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(三)丸山健二

 妙に生暖かい雨が降っています。春の前触れのそれとして受け止めたいのはやまやまなのですが、どこかに不気味なものが感じられて、素直に喜べません。
 残雪の八割方が消えて、朽ち葉で覆われた庭の面が剥き出しになっています。そのまだら模様を三階の窓から眺めているうちに、いよいよ季節の混乱が本格化したのではないかといささか心配になり、そう長い寿命を与えられているわけでもないのに、青春時代に覚えたような安っぽい焦燥感に駆られます。
 しかしまあ、一瞬たりとも同じ空間に留まっていない、すべての存在の端くれとしては「さあ、殺せ」とでもうそぶいて居直るほか術がありません。
 因みに、一介の凡夫としての私は、生きても生きても悟りの境地とやらに迫ることができず、それどころか、不安と怯えの数が増すばかりで、救いようがない体たらくです。
 愚痴をこぼしたところでどうにもならないと承知しながら、口をついて出るのはぼやきのあれこれと、〈限界高齢者〉に特有の遣る瀬ないおくびのみです。
 とはいえ、いつしか知らず魂に限りなく近いところまで肉薄した精神性はと言いますと、いやに溌剌としており、年寄りの冷や水のひと言では片づけられない何かを秘めていそうに思えてしまうのは虚勢の変形なのでしょうか。
 午前二時半から三時のあいだに二階の寝室を離れて三階の書斎に籠もり、あたかもひと昔前の宇宙食に似た二種類と数種類のサプリメントを手早く白湯で流しこんでから、現在進行中の新作を押し進めるために、気負いのかけらもなしにパソコンを開きます。
 そこからが実に不思議なのですが、右脳と左脳が瞬時にしてフル回転を始め、一時間半から二時間の没頭へとのめりこみ、書き言葉との格闘の醍醐味を存分に味わった後、少しばかりぐったりして一階の居間に降りて、寝起きの悪いタイハクオウムのバロン君に声をかけます。妻は爆睡中です。
 そうした暮らしが一年中ほぼ休みなくくり返され、すでに長い歳月が流れ、私にとっては生真面目で堅苦しいそのサイクルが、好き嫌いは別にして、生きる証にまで昇華されていることは間違いありません。
 
「何が面白くて生きているのか?」とバロン君が毎朝仏頂面で尋ねてきます。
 
 それに対して私の返事は、「おまえこそどうなんだ?」と決まっています。

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