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『Nirapin』 Nirapin

ニラーピンとは…

3人組のバンド。結成、録音は2003年。メンバーはナッカン、イトーくん、私。

Mono/Stereo, White noise/Pink noise時代

通っていた学校で選択した授業、それはある企業とコラボレーションして何かを行うというもので、受講した友人のISAOと私は、その頃ブライアン・イーノのアンビエントをよく聴いていたので、よく集まって、それぞれアンビエントの楽曲を制作し、その企業にアンビエントを提出した(といってもかなり拙い出来)。音源はsc-88proかHalion。私は、公園にあるベンチにプレーヤーが取り付けられており、座ると再生される音楽というアイデアで曲を提出したが、ベンチは公共のものなので何かを取り付けることはできないという話だった。(その後、細野晴臣が海外のフェスティバル?にアンビエントを提供したので作品が設置されている場所を観に行ったらそこに人間はおらず猫しかいなかった、というエピソードを読んでいろいろ考えた…)

確かこの頃か数年前、坂本龍一プロデュースで楽曲をリリースした中谷美紀がインタビューで坂本龍一のアルバムと並べてマイ・フェイヴァリット・アルバムとして雑誌にイーノのアンビエントを挙げていたが、その頃ISAOと私を含めて周りではアンビエントを聴いていたのは3,4人程度で、「今更アンビエント?忘れられたそんな概念、若い人も一般的にも誰も知らないよ?」と世の中はそういう空気だった。

その授業に参加していたナッカンと知り合い友人になり、「きみらウチでライブやってみいひん?」と声をかけてもらった3人でMono/Stereoとしてライブをすることになった場所は"みゅ〜らしあ"というできたばかりのスペースで(…そして今はもうない)アンビエントを提出した企業の担当者の1人が自宅の一部を改装して作った多目的スペースだった。自身もあるバンドのドラマーとしてデビューした経験があり、キング・クリムゾン〜ディーヴォや大量の民族楽器のコレクションをその持つその人はライブ後に「うちの息子もドラムやってるよ」と紹介してくれたのだった。そしてその息子イトーくんを迎えて4人になった私たちはメンバーのISAOによってMono/StereoだとかWhite noise/Pink noiseだとか呼ばれていた。スタジオやイトーくんの自宅でMTVやスペースシャワーなんかをだらだら見ながら、その四人では羅針盤などのカバーに挑戦したはずだが、誰がボーカルをとるのか等いろいろあやふやだった。

周りにいたキーボードが弾ける友人(今は猫とサウナのイラストに力を入れている)やレゲエ好きで後にジャマイカまで遊びに行く友人(今も音楽をやっている)も入れてわいわいやろうかと話したり空想に耽ったが、その大所帯メンバーのセッションは実現しないままMono Stereo(仮称)は、バンドを掛け持ちしていたISAOのスケジュールに合わせてしまうと集まれるタイミングを合わせにくいからとかの理由で3人で集まるようになる。

Nirapin

時間は前後するが大阪フェスティバルゲートにあったライブスペースbridgeで開催されたF.B.I(Festival beyond innocence)を観て特に私とイトーくんは衝撃を受けたようで、ライブイベントを観に行った次の練習でイトーくんの家に行くと、バラバラに解体されて並べられたドラムセットの前に床に座ったイトーくんがいた。こちらもプリペアドギターをノートPCに繋いでDAWでエフェクトをかけたりして応えようとする。Nirapinという名前は九条商店街を通ってイトーくん家に行く間にいつも買っていたヤンキー姐さんたちが売っていたホルモン焼きではなくって、中華まんと一緒に書かれていた謎のメニュー、ニラーピンから採った名前。ニラーピン!?ニラーピン!?と散々盛り上がった後で食べてみれば、なんてことはないニラ饅頭だったのだが。
即興演奏、インプロヴィゼーション。衝撃を受けたわりに足並みが揃わない、展望のない無益なセッションをニラーピンが繰り返している間に、ISAOは平行して活動していたバンドとは別に始めたハウスユニットでリリースした12インチ2枚がクラブでヒットしたそうな。
彼とは最後にMann Chikenというユニットを組んで一曲共作したはず。といってもデータを無くしてしまったけど。それは「マンチキン」という音声読み上げソフトで私が生成したボイスサンプルがしつこくマンチキンマンチキンと繰り返されるテクノ(?)

ニラーピンの録音マスターはだいたいカセットテープで"ma-pa session"のみprotoolsとノートPCでの録音と思われる。ma-paセッションは『ニューエイジミュージックディスクガイド』で久しぶりに名前を見て驚いたのたが、イトーくんの部屋Laboの壁に色褪せたポスターが貼ってあったし、Mono/Stereoとしてライブをしたときの対バン相手の1人は元Mar-paの人だった気がする。その人は私たちのライブの途中で参加してもいいか?と事前に承諾を得た上で参加してくれたのに、若い僕らは「キラキラしただけのシンセをピューピュー鳴らしやがって!」邪魔されたとキレていたけど。だってその上、最後にはちゃんと楽曲の演奏を学んだ方がいいとか言われたから。(その通りだとも思うけれども。)そんなこんなで部屋に集まればマーパマーパと無意味に口にしていた。何もかもが無目的。

数年後にma-pa sessionのみCD-Rで友達が京都四条でやっていた"エロフォンゾーン"という店に置いてもらったことがある。いまこの記事を書いていて、ひどい名前のバンドや店ばかりで、あらためて…自分の人生って……!?とも思うが、ダサい名前を付けるのがThe関西流というか。エロフォンゾーンは東京から逃げてきたらしいマサくんが先輩からもらった名前らしいけど。

カセットテープに録音した音源は小学生から愛用していたaiwaのプレーヤーが壊れて倍速?再生しかできなくなっていたのを自分で面白がって倍速マスターでデジタル化したデータしかなかった(Box!2 disc1 track2)。なので、記憶に基づいて(つまりは曖昧に)「おそらくこれくらいだろう」という速さに変換した。

ちなみにニラーピンはライブは一度もやっていないし、このスペルでいいのかもわからない。Nirarpingだとかしていたような気もする。集まってセッションしかしていないので僕らを知る人はほとんどまったくいない。しかし確かに存在したのであーる。

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