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もう死ぬまで一緒だよ?


noteひさしぶり〜


4月から復学します!!!!!

という報告とともに今の思いをここにちゃんと残したくて、久しぶりにnoteにログインしました。


私は3年前に大学生になった。そして念願で憧れだった関西に住み始めた。大学生として過ごした2年間は私には抱えきれないほどめちゃめちゃ濃密で、毎日が楽しくて幸せでたまらなくて、だけど3年目に差し掛かろうとしたある日、突然休学を決めた。



1年間。あっという間だった。

と言いたいけど全然そんなことなかった。今確認してきたらnoteで最初に投稿した日が3/18だったので、そこから1年とちょっと経ったことになる。どの部分・どの時期を思い出しても濃厚すぎて、とても1年とは思えない。

たくさんの場所に行き、たくさんの人と出会って、その中にはサヨナラしてもう会わない人もいると思う。

でもいちばん思うのは、1年のどこを切り取っても(そしてこれからの人生でもずっと)付き纏ってくるのは"私"だってこと。



やっぱりどう考えても私はいつでも不安で不安でたまらない。(特に今は世界の流れ的にもみんな不安だよね、、、不安なあなた一緒に頑張ろうね、、)

どう考えても出来ることよりできないことの方が多いし。直したい短所、隠したい欠点は数え切れないほどあるし。どう頑張って生きたって数年後の自分がどうなってるかなんて分からないし。知らないことが山ほどあるのに知ろうとするほど知りたくないことまで頭に入ってくるし。

あーあ、ほんと、嫌になっちゃうね。


って、この1年間で何万回も思った。

私は学生だけど学生じゃないし、どこに住んでるのか自分でもよく分かんないし、きっと私はいつでも宙ぶらりんな気持ちだった。


いろんな人が私の休学生活に興味を持ってくれて、「すごい!」って言ってくれて、もっと知ろうとしてくれて、損得なしでただ味方でいてくれて、もちろんその全部が当たり前じゃないことで、

たくさんの出会いと別れと人間関係に疲れちゃって嫌になることも沢山あったんだけど、それも含めたすべてが本当に本当にほんっっとうにありがたくて何度も心が救われたのはきっと1人で宙ぶらりんだったからだろうなあ、

私は宙ぶらりんで1人きりだった。誰かといたってひとり。

だけど休学してから急にそうなったわけなくて、私は最初からそうだった。それに、もしかしたらみんなそうなんじゃないかな。(自分のこともまだよく分かっていない私が他人のことまでよく分かるわけもないので知らんけど。)


"ひとり"で、たまらなくて孤独な時も、"1人"で過ごす時間が幸せな時も、いつだって"私"の存在が私から離れなかった。

なんだか文字にすると変な話みたいだ、、、いや変な話で間違ってないか!(笑)


私は昔からずーっと、考えすぎ頭でっかち赤ちゃんであり、小学生であり中学生であり高校生だった。


他人の頭の中を覗くことなんてできないので比較対象がないから分からないし断言できないけど、それでも間違いなく私は"考えすぎる子"だったと思う。

幼稚園児の頃から友達や大人の言動の裏を考えては一喜一憂したし、小学生になると先生のタイプを分析して「どの先生にはどうやったら褒められるか」に活かしたり、クラスの人間関係を分析して「あの子はなぜクラスの人気者か」とか「陰口を言うあの子は本当はどうなりたいのか」を考えたり、お友達同士の恋バナや交換ノートを資料に「男の子と女の子の好きな子へのアプローチの違い」を考察した。

それで私は、「たくさん頭を使うと問題解決能力は上がるけど、その分リスクもたくさん見えてしまうので行動するのが怖く難しくなる。」ってことをいち早く学んだ。


その頃から私の人生は、考えてばっかりだった。今も相変わらず私は考えてばかりだ。

私の人生はずっと考えてばかりで、本心を伝えることを恐れてばかりだった。自分の中のいちばん真ん中の核の部分だけは絶対に見せられないって思ってた。

そして、自分のそんな部分がいつでも嫌だった。


このしがらみから少しは解放されつつある今なら分かる。

"他人は自分を見る鏡"みたいな言葉があるけど、私はが鏡越しにしか自分を見ようとしてなかったのかもしれない。


人生の早い段階で本心を伝えることを諦めると、アウトプットの必要がない私の心の声たちはどんどん私の心の奥の奥に行ってしまった。そしてそれを自分でもキャッチできなくなり、その事実に気付くチャンスもなかった。

なんとかしなきゃこれ以上は進めないって、それが私にこのタイミングで"休学"が必要だった理由。


20年続けてきた自分の考え方の癖と向き合うのは私にとって簡単じゃなかったけど、たくさんタスクを課していっぱい泣いて頭使って、疲れ果てて泥のように寝た。正直ちょっと寝過ぎた。


ひとり宙ぶらりんになってようやく聞けるようになってきた、自分の奥の奥から湧いてくる本当の心の声。「どっちでもいい」じゃなくて「これがいい」「これは嫌」って思えるようになってきた。これが自分の核に隠してた本心だったんだなって思った。


次のステップの"伝える"って作業も少しずつクリアしつつあると思う。本当はこうやって文章を書くのも怖かった。作文を書くのは好きだったけど発表するのは好きじゃなかった。克服できたのは、間違いなくこのnoteがきっかけ!


この1年で、目に見える変化は少ないと思う。(まあ運動量が減ってむちむちにはなったんだけど。)だけど、相変わらず口下手でうまく説明はできないけど、自分の人生にとってとても大切な土台を作って見つめ直せた時間だったなあと思う。

嫌になるくらい私はバブな私のままで、これからもきっとそう。


考えて考えて考えすぎちゃうのが私だし、でも考えるのをやめられないのが私。こうやって文章にするのが好きなのもまた私。

私のいちばんの理解者は私でありたいし、死ぬまで離れられない私を全力で大切にしてあげたい。やっと聞こえた心の声が聞こえなくなるほど遠くに、私はもう行かないよ。



そして、

1年間、そしてこれまでの人生、私と関わってくれたすべての皆さん!ありがとーーーう!

と、ちゃんと伝えるよ!!!




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