徒然なるままに#6

今日は身近なはなし。
自宅の近くにある「靭公園」について

「靭公園」は大阪市西区にある公園でバラ園や桜が有名な公園である。
「靭(うつぼ)」の由来は、実は豊臣秀吉が命名をしたことがきっかけだと言われています。
靭とは矢を入れる道具(矢巣:やす)の別名で豊臣秀吉が町の商人が魚を「やすい!やすい!」と言っているのをみて「やすい→やす:矢巣=靭」だといったことがきっかけなんだとか。
※「やすとは靭(矢巣)のことだ」といったとか...

もともとこの地域は鮮魚を扱っていた「雑喉場魚市場」と海部堀川(1951年埋め立て)のそばに全国から干物や干鰯など海産物が集まり「靭塩干魚市場」があり魚市場として繁盛していました。

その後、月日がたち大阪大空襲で焼け野原になったのち占領軍が常用の飛行場として利用されていた(靭飛行場)。1952年のサンフランシスコ講和条約が発効されたのち、返還された。
※当時はなにわ筋が整備されていなかったため「靭公園」は一つの公園になっていました。(現在は東西に分かれています。)

そして戦災復興土地区画整理事業の一環として1955年に靭公園が開園し、現在に至る。現在は靭テニスセンターがあり国際大会なども実施される会場となっている。(大坂なおみが出たりもしている。)

...写真がないとなかなか伝えるのが難しい笑

おしまい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?