距離感の話。

パートナーとのことを考えている時に、割とよく頭を過ぎる人がいる。

人というか、どちらかというと、彼との関係性に思いを馳せているのかも知れない。
ただ一緒にいるだけ、ただ寄り添っているだけ。その距離感がとても心地好くて、随分と甘えていたのを覚えている。
彼の名前は、Nくんという。

付き合っていた頃の僕とNくんの関係性を振り返る時に、僕が意識して使う表現がある。
「とても都合のいい相手」。もちろん、敢えて悪い言い方をすれば、だけれど。

話したい時、一緒にいたい時に連絡して、都合がつけば一緒に過ごして。
いろいろ愚痴も聞いてもらった。アドバイスもいろいろしてもらった。
そんなクソ真面目にやらなくていいんだよ、俺はこんな風に手ぇ抜いてたよ。カリカリしている僕に寄り添いながら、Nくんは優しい声でそんなふうに言ってくれた。
こうして改めて書き出すと、そんな言葉をかけてくれた人は他にも大勢いたなぁと思うのだけど、1番印象に残っているのは不思議とNくんの言葉なのだ。

彼から急に連絡が来ることも多かった。
印象に残っているのは、何かあって落ち込んでいる様子の時。何かあったのかと尋ねても、すぐには教えてくれないことが多かった。
その代わり、Nくんは無言で寄り掛かってくる。体重を僕に預けて、僕はただ彼の重みを感じる。僕も無言で、何も言わずにされるがまま。
そのうちに、Nくんがぽつぽつと話し始めたり、その場では話してくれなかったり。
彼が打ち明けてくれた時は、僕もその時々で僕なりに何か言葉を返していたと思う。何を言ったかは、あまり覚えてないけれど。

都合のいい相手だったなぁ、と思う。僕の人生史上、誰よりも僕にとって都合のいい相手だったなぁ、と。
もちろん、どちらかの都合が合わなければ一緒にはいられない。生活時間帯もずれていたから、すぐには返事がないことも互いに多かった。
それでも、その割に、甘えたい時には傍にいてくれて、応えてくれて。多分、それはお互いに。
すれ違う時間も多かったはずなのに、結局思い出すのはそんな記憶ばっかりなのだ。


都合のいい相手だったな、と思うと同時に、先のない関係だったな、とも思う。
ただ、寄り添う。ただ、耳を傾ける。その時々で自分なりの考えを伝えもする。でも必要以上には踏み込まない。
優しくて心地好い、ある意味、それだけの関係だったかも知れない。ぶつかり合うことはほとんどなかった。こうして欲しい、と欲求を伝え合うことも、あまりなかった。
僕の方は、今思い返しても特に不満はなかったと思う。踏み込むのも踏み込まれるのも苦手で、ただ寄り添っていたいという気持ちはあって。
Nくんは、そういう関係でいることを許してくれていた。深入りせず、ただ傍にいるだけという状況を、Nくんの方が求めていたことも多かったんじゃないのかなぁ、と思いもする。

互いを磨き合えるような、一緒にいることで切磋琢磨し合えるような、そういう関係ではなかった。
そういう意味で、先のない関係だったなぁ、と思う。一緒にいることで成長できる関係ではなかったよなぁ、と。
穏やかに寄り添って過ごす時間を、未来まで続けていける相手だったと思う。それはそれで、間違いなく幸せの形のひとつだ。

それを叶えられる相手を、僕は「都合のいい存在」だと思っているのかもしれないなぁ…と、これを書きながらふと気付いた。
もしかしたらNくんは、単に「僕にとって理想的なパートナーシップを築けていた相手だった」、ということなのかも知れない。
あまりにも理想的すぎたから、都合が良かったと感じてしまっているのではないのだろうか。


不思議なもので、そんなNくんとの関係は、全く以てよく分からない混沌とした状況からスタートしたものだった。
正直言うと、僕は彼とどうやって知り合ったのかも覚えていない。ただどうやら互いに好意は抱いていたらしい。
交際の切欠は、よく分からん状況でふたりから「どちらかを選べ」と迫られた僕が「どっちかなんて選べない」と答えたら、なぜか両方と付き合うことになっていた…とかいう、我ながらだいぶアレな出来事であった。
その時に僕が選べなかった片割れがNくんである。

さすがに、当時はこんなこと誰にも話せなかった。
よくよく考えると、あれを告白だと思って良かったのかすら怪しい気がする。僕は押し切られただけだったのではないか?
けれどその後、Nくんとは程好い距離感での付き合いが続いていった。
関係を揺るがすような事件も特になく、穏やかで、きっと幸せな時間だったのだろう。

そんなNくんと別れることになったのは、そうして付き合っているうちに、他に恋心を抱く相手が現れたからだった。
ちょっと面白かったのが、実は当時、Nくんの方も新たな恋が始まっていたらしいということだ。
今の心境を打ち明けた僕に対して「実は俺も…」と告白された時、思わずテンション上がった自分にも驚いた。別れ話を切り出した時に互いの恋バナで盛り上がることになるだなんて、一体誰が予想できただろう。
そのお陰というのもなんだが、Nくんとの交際は、最後まで驚くほど穏やかなものだったのだ。


Nくんから言われたことで、とても印象に残っている言葉がふたつある。
ひとつは、「俺は自分が振られるもんだと思ってた」という言葉。
もうひとつは、別れ話の最後に告げられた、「傍にいさせてくれてありがとう」という言葉だ。

僕は自分からNくんを振るなんて発想はずっとなかった。
別れ話を切り出したのも、そうしなければあまりにも不誠実に過ぎると思ったからだ。
当初迫られたふたりのうち片方を選ぶという発想には、最後までならなかった。なんならNくんが「お前はあいつを選ぶと思ってた」と語ったもうひとりとは、早いうちからちょっとぎこちない事になっていた。

もしかしたら、最初からNくんはあまり期待していなかったのかも知れないなぁ、と思う。
僕との関係はいずれ終わるもので、だから彼の方から深入りしてくることもなかったし、必要以上に僕に打ち明けることもなかったのかな、なんて。今度本人に訊いてみようかな。
結果的に、その距離感は、僕にとってものすごく心地好いものだった。恐らくそれは、Nくんにとっても。

ただ傍にいること。理由もなく隣にいるということ。
Nくんは、僕がそうしたことに救われていたようだったし、きっと僕も同じだったんだろうな、と思う。
深入りもせず、けれど互いを感じられる距離にいるということ。傍にいることを許す、ということ。

理由もなく存在を許容されるということは、きっと僕らにとって救いであって、
僕らが互いに得られた癒しだったんだろうなぁ。

成長には繋がらなかったかも知れない、都合のいい関係だったかも知れないけれど、
あれはあれで得難いものだったなぁ…と、しみじみしている僕である。
もしかしたら、そうして互いに癒されることができたから、ふたりとも新たな恋が始まって別れることになったのかも知れない…というのは、都合良く解釈しすぎだろうか。


そんな元カレの話を、僕は今、新たな恋のお相手ことパートナーであるMさんの隣で長々と打っていたりする。
僕と一緒にいるための努力を惜しまないMさんとの距離感は、Nくんとのそれとは全くの別物だ。
そしてどうも僕は今、そんなMさんに攻め込まれている気分に陥って、大層びびっているらしい。

熱烈な愛情表現と共に、Mさんは時として容赦なく僕の心に踏み込んできてくれる。
凝り固まっていた、手放せば楽になれる思い込みを、Mさんは幾度もぶち壊してくれた。短期間で何度も転機が訪れた。
Mさんと出逢っていなければ今の僕はいないと断言できる。
Nくんとは全く違うベクトルで、Mさんは僕の特別な人だ。

それに、どれだけ怖がって逃げ腰になってしまっても、僕はやっぱりMさんが好きで仕方ないんだと、泣きながら痛感する事態にも何度も陥っている。
踏み込まれるのが怖くても、逃げたくなっても、離れるのはいやなのだ。

Nくんとの優しい距離感が僕にとって癒しであったなら、
踏み込んでくるMさんとの距離感は、変化に繋がるものなのだろう。
Mさんは、僕にとって都合のいい相手ではいてくれない人だ。そんなこと最初から分かっていた。

この距離感を、僕はどうしていきたいのだろう。
こんなにも離れたくなくて、身動きが取れなくなっている現状が、もどかしい。
一緒にいたい。寄り添い合っていたい。その想いは、きっと同じなはず。
じゃあ、どうすればMさんと一緒に幸せに生きていけるだろう?

Mさんと結婚して、今日で1年と1日目。
過去を振り返ることが、より幸せな未来に繋がればいいなぁと願いつつ。

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