【LUNA SEA】セルフカヴァ―アルバム『MOTHER』全曲レビュー⑨TRUE BLUE⑩MOTHER
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◆TRUE BLUE
このアルバムの中で、最も原曲に忠実かもしれない。
表情を増したRYUICHIの歌を中心とする冒頭からの一体感で、有無を言わさず目の前の景色が塗りつぶされる。
ただ、歌の表情が豊かになっただけではなく、一体感の中のそれぞれの楽器の解像度の高さに眩暈がしそうになる。
音の一粒一粒が存在感をもって曲を構成していると強く感じる。
サビの象徴的なメロディーに重ねて秒針のように刻まれるシンバル。
象徴的なギターリフに重ねられる原曲より色が強まった水の揺らめきのようなギター。
球体のような丸みを帯びた重さのある丁寧なドラム。
それに重なるベースは、ワンフレーズごとの言葉の意味を確かめて頷いているようだ。
ギターソロの具体性と透明感と開放感。
ギターソロになると、中央に存在する主題が歌からギターへと自然に変遷するのを感じる。
広い場所、例えば夜空を見上げている中の光のような音の情景。
それは重ねられるもう一本のギターの描く揺らめきがあればこその景色だと思う。
それぞれの楽器の表情と解像度が増したこと、RYUICHIの歌の表現力が上がったことで、高校生の頃に死ぬほど聴いたソリッドで孤独で孤高だったTRUE BLUEは、当時よりもはるかに優しい音楽として、大人になった私と再会した。
一方、この曲に限ったことではないが、MOTHERに収録された曲たちは、当時20代中盤のLUNA SEAでなければ書けなかった曲群だとも思う。特にTRUE BLUEのこの歌詞は自負と自信のある若者でないと書けない。
彼らが30年近く前に書いて、当時の少年少女を夢中にさせたソリッドなTRUE BLUE。
それを50代の大人になったLUNA SEAが、丁寧に作り直す意味を改めて深く感じた。
「古い曲だけど、今やると、たまらないほど新しいんだよ」とツアー初日のMOTHER横浜公演で言ったのはRYUICHIだっただろうか。
一番変わったのはアウトロだと思う。
水の揺らめきのような象徴的なギターと、ちらちらと差し込む光のようなまぶしい音。
それを一体に仕上げるドラムとベース。
この曲に歌詞が与えられず、このワンフレーズだけを聴かされたとしても、私は目を見張って動けなくなっていたと思う。
ゆっくり聞き返してみると、Bメロの構成のシンプルさが改めて胸に刺さる。
歌を中心にした構成。それを華やかに取り巻く様々な音。それらは全てRYUICHIの歌を信じて核にしているからこそ、それをTRUE BLUEという曲に昇華させるための演出に徹していると感じる。
サビ前の「ダッダッ ダッダッダッ」の息の合い方と一体感。
よそ見なんてする余地もなく、心臓の音と同期するように聴いている私自身までが曲の中に取り込まれて、息をするのも忘れて拳を振り上げたい衝動に駆られる。
これが曲の説得力というものなんだと、あとになって我に返ってから、やっと気づく。
私は思春期に、LUNA SEAと出会っていてよかったな。
こんな素敵な未来が来るとは思っていなかった。
◆MOTHER
ぼやけた闇のような音像から一息に広がるイントロの情景の美しさに、息を呑んだ。
霧の雨粒のように爪弾かれるアコースティックギター。
雄大な背景を描くようなゆったりとしたドラミング。
冷たい風のような軋みを含んだSUGIZOのヴァイオリンソロ。
そこから続くサビは、灰色の雲が割れて、光が海に注がれている情景のようだ。
魂からの祈りのようなRYUICHIの叫びを許容する音楽として
なんて美しい曲を作ったんだろうと思う。
原曲を聴きなおしてみると、RYUICHIの声のおぼつかなさが孤独や心細さを表すように思えた。
本当に歌が上手くなったなあ、と素で思ってしまった、ごめんなさい。
当時は、神経質そうな表情の彼のキャラクターを背骨にして、気を張って歌の表現を行っていたように見えるけれど、現在のRYUICHIの気負わなさ、素直さが、歌に対しての力みを抜いて、歌そのものの安定感と表情の豊かさを引き出したんじゃないかと思う。
原曲から、大きく変わったのは、「愛して欲しい」の後の曲の幕引きだ。
冷たさを残した空気のまま、景色が遠ざかるように静かに収束していった原曲に対し、新録は暖かみのあるシンフォニーが加えられ、静かに爪弾かれるアコースティックギターとシンバルも日の当たる昼下がりのような音像となって大団円の収束へ至る。
不安さを吐露し、届かないことを知りながらも孤独に天に祈りを捧げた原曲に対し、新しいMOTHERには優しさ、というのが正しいのかわからないけれど、慈愛のようなぬくもりが加えられたと感じる。
私は、今までの人生で、どんな時にLUNA SEAのMOTHERを聴いてきただろうか、と思い返す。
十代の頃、自慢できることなど何もなくて、自信もなくて、明日なんてただ与えられるのを待つしかないと思っていた頃に、MOTHERを繰り返し聴いたことを思い出す。
今になって思うけれど、明日や不確定な未来は、訪れるのを待つものではなくて、自分のやりたいようにつかみ取っていいものだ。
そう思えたのは「やっていける」と世界に安堵し、自分を信頼できた大人だからこそだ。
自分も世界も信じられなかった頃は、努力するべきとわかっていても、何を信じて目指せばいいのかもわからないため身動きが取れず、何かが訪れるのをひたすら待っていたように思う。
この曲は、そんな田舎の中学生の味方で居てくれた。
LUNA SEAの格好良さに憧れたと思っていたが、彼らの描く世界も深く私の内面を支えてくれていたと思う。
子供の頃に繰り返し読んだ本のようだ。
*
明日は、名古屋のMOTHER公演に行く。
それまでにMOTHERの全曲レビューが間に合わせられてよかった。
今作を聴きこんだ今、生演奏で前回見つけられなかったことを見つけて帰ってこれたらいいなと思っている。
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