こうのまりこ

こんにちは。 生きるとは、人間とは、私とは、善悪とはー、日々ぐるぐる考えて詩や文章にし…

こうのまりこ

こんにちは。 生きるとは、人間とは、私とは、善悪とはー、日々ぐるぐる考えて詩や文章にしています。光と影、両面をみつめていたい。あまりふれませんが手編みのアクセサリーを作っている人です。どうぞよろしくお願いします。 https://maryk.stores.jp/

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  • また読みたい note

    私がまた読みたい記事をあつめていきます。心とらえられた言葉や記事ばかりです。

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詩「白昼夢」

 愛 まちがわないように知恵を貸すよりも 転ばないように手を貸すよりも まちがえることを、転ぶことを、 負けることを、忘れることを、 ただ手を広げて見ている とびらはずっと鍵をかけないままで 愛にできることは ただそのくらい  恋 あなたの恋がさめるときが来るなら わたしの恋もきっとさめるでしょう だから何も心配はしない あなたの恋がさめても わたしの恋がさめなかったとしたら それはきっとわたしからわたしへの こんがらがった愛なのでしょう だからやっぱり何も心配は

    • こんばんは。とってもお久しぶりです。 とってもお久しぶりなのにお知らせで恐縮なのですが、手編みアクセサリーのブランドのほうのnoteを新しくはじめました! https://note.com/maryk_knitting/ まだ記事ひとつではありますが、よかったらのぞいてみてくださいませ〜

      • お店ではじめたお店じゃない活動 〈二人でお話しする会〉

        こんにちは。 例によってお久しぶりです。 最近はすっかりお店に夢中になっています。 アクセサリーの制作販売はもちろんですが、アクセサリーとも編み物とも関係のない活動をお店で始めました。 名付けて〈二人でお話しする会〉です。 何か資格があるわけでもない私と ただお話しする会です。 需要があるかしら…とドキドキしつつも インスタとツイッターでご案内したところ 4回目までは続くことになりました。 なぜか私のライフワークになりそうな気がしている活動です。 もし気

        • 探しながら、2022。

          固定記事にしてる 「わたしの世界のほんとう探し」 から、2年弱。 やっとわかってきたのです。 生きていることをすばらしいと思えるとき 私は通り道になっている そうでないときは 入口か 出口か あるいはその両方が ふさがっている ということ。 何かに心惹かれること 何かに違和感を感じること それは自分の意思ではなくて 理由をつけてみてもいいけど まずは受け入れてあげないと。 たとえるなら〈足のついた花〉 どんな花が咲くのかは 受けとったもの次第だけど 水と光と土

        • 固定された記事

        詩「白昼夢」

        • こんばんは。とってもお久しぶりです。 とってもお久しぶりなのにお知らせで恐縮なのですが、手編みアクセサリーのブランドのほうのnoteを新しくはじめました! https://note.com/maryk_knitting/ まだ記事ひとつではありますが、よかったらのぞいてみてくださいませ〜

        • お店ではじめたお店じゃない活動 〈二人でお話しする会〉

        • 探しながら、2022。

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          17本

        記事

          詩「午睡」

          白い箱の底 目を閉じる まぶたの内側はまぶしく 鈍く 雲の移ろいに連動する 正午の光は祝福 9月の風は愛 この世界にやさしく包まれ 赤子のように眠る 車が透明な空気を引く音 遠くで鳥が鳴いた 冷たい二の腕に熱いてのひらを載せて ただ待てばいい 満ちてくるまで 今は何よりも眠ることだ 考えることを止めて 祝福を受け入れて 洗濯機が奏でるのは子守唄 私と私の世界が修復されていく

          詩「午睡」

          人のなかの鏡について

          「子どもは社会を映す鏡」と言われたりするけれど、いつの間にか「他人は自分を映す鏡」と言われる大人になる。 きっと、もちろん、大人になってもそれぞれが社会を映す鏡でもあるのだと思うけれど、そこだけにとどまってはいられない。 人間というのは、他人から反射してきた自分で作られる世界で生きていくことになる不思議な生き物。 知らずに「社会を映す鏡」であった自分が、他人の中の鏡に気づき、同時に他人を映す鏡でもあることを自覚していくことが、大人になっていくということなのかもしれない。

          人のなかの鏡について

          微かでも光っていれば内側に影はできない

          今日の気づきです。 この4、5年でしょうか、「強すぎる輝きはまわりに濃い影も与える」という考え方をもっていました。 だから、すごく明るく輝いていることもいい面ばかりではないし、微かな明かりだからこそいい面もあると。 こんな風に書いたことも。 まぶしすぎる人や出来事を目にすると自分の中に影ができる感覚があったんです。現在形で、あるんです、と言った方がいいかもしれません。 でも今日、そこにタイトルの気づきがありました。 すごく強い輝きの下でも、自らも光であれば内側は影

          微かでも光っていれば内側に影はできない

          詩「gift」

          必要なときに届くようにと 祈りのリボンが掛かった小箱 狂いなく届きました 指定日時は空白のままで “そのとき”の少し前に リボンは風が解いたのかしら もう右の手のひらに星たちが踊っています 見えはしないけれど 熱を帯びた振動 心まで きみが付いてるから大丈夫なんだ 確信のインクが走る便箋 ポケットに折りたたまれています 消印もないままに どの服を着ていてもカサリと音を立て まだ届いてないなんて嘘になりますね 見えはしないけれど 太陽色の文字が染

          もうすぐ1年、アトリエショップのいま。

          こんにちは! 東京・蔵前にアトリエショップをオープンしたのが2020年の9月10日。あと1ヵ月ほどで1年が経とうとしています。 今日、蔵前のことを紹介されている記事が「注目記事」になっているのを発見し、なんとなんとアトリエショップのある「ウグイスビル」についても触れてくださっていました。 蔵前は、私がお店を始めてからも次々と新しいショップがオープンしている活気のあるエリアです。 せっかくなので、今日は私もお店のいまを書くことにしました。 ・・・ アトリエショップ

          もうすぐ1年、アトリエショップのいま。

          詩「かえりみち」

          夜の入り口 畑の真ん中 ぷかり取り残された低層の雲 ・・・ 遊んだ帰り、学校の帰り、会社からの帰り、旅行からの帰り、実家への帰り道―― 歩いていたり、走っていたり、車、電車、自転車、飛行機―― あなたはどんな「かえりみち」を描いたでしょうか。 寂しいとも悲しいとも名残惜しいとも言えるような、ぜんぜん違うような、気持ち自体をあらわす言葉がないなかで、景色に共感したのでした。 それでは、また~。

          詩「かえりみち」

          メモのような言葉―できること

          自分のなかの神聖な場所と手をつなぐこと以上に大切なことはない だけどその場所や方法を見つけるまでの時間に、そんなことを他人から言われてもまるで腑に落ちない だから自分にできることといえば、自分のなかの神様とつながりつづけて、思うままに生きることしかないのだ 妙に人にアドバイスをしたい気持ちが募ってくるときは、だいたい神聖な場所から離れてしまっている 妙に人にアドバイスをしたい時はまだまだ波のようにやってくるから、私はもっと神聖な場所を探検したほうがいい ・・・ n

          メモのような言葉―できること

          自分を大切にすることとトイレ掃除

          こんにちは。 とてもお久しぶりです。 今朝ゆめうつつで急に腑に落ちた、タイトルのことを書こうと思います。 ・・・ 自分を大切にすることが大事、と聞くことがよくあります。 一方で、他人を優先することが美談になることもよくあります。 でも自分より他人を大切にしすぎていると、いろいろなことがうまくいかなくなってくる気がします。 つまり、自分を大切にすることが、回りまわって他人を大切にすることになると思っているのですが、それはトイレ掃除と同じだ、と考えると腑に落ちたのです

          自分を大切にすることとトイレ掃除

          映画「Fukushima 50」を見て

          録画していた映画「Fukushima 50」を見ました。 知らなかったこと、知っていたけど忘れていること、考えたことのなかった視点がたくさんあって、見てよかったです。 原子炉の格納容器がなぜあのとき爆発しなかったのか、その理由は今もわかっていないということに驚きました。 現場にいた人、その家族、その地域に暮らす人、暮らす人は現場で奮闘する人の知り合いでもあったこと、本部、本店、政府、ほかの国、たくさんの視点を体験しました。 描かれていたことそのものへの一つ一つの心の動き

          映画「Fukushima 50」を見て

          詩「さようならの手紙」

          遠い日々に傷つけた人から 手紙をもらった夢の中  きみはもうすぐ  行かなきゃいけないから 手違いと場違いを受けとめて 受け入れなかったやさしさのままで あの手紙には何を書いてくれたの わたしはどこへ行くのでしょうか もうきっと永遠に ひらけないままのあの手紙 そうきっとじきに もらったことさえ忘れる手紙 夢から覚めてもわたしたち そうやって生きている 読めない手紙を携えたまま 今日もすれ違っては笑い合う あなた わたし 誰かと誰か 読みたかったと願いながら

          詩「さようならの手紙」

          詩「ひとりごとの歌」

          春の匂いのくろねこがゆく しめった落ち葉を踏みしめて なぜという問いに ほとんど答えられないの なぜここに いるのかも知れないぼく あぁ、あー 春の色した あくびが浮いた 遠くの山で 黄色い花が咲いた あぁ、あー 1000年前の誰かの悩みが 海の底で泡を立てた 春の匂いのくろねこがゆく 夕暮れの噴水を閉じ込めた絵は どこに 描いたことを思い出しても その顔はもうおぼつかない あぁ、あー 卵を買い忘れたんだ あしたの朝は目玉焼きなしだ

          詩「ひとりごとの歌」

          古びていくこと

          きのうぼーっと見ていたテレビで隈研吾さんが「いつまでもつるつるピカピカというのが工業製品の美学だったけど、それはけっこうストレスになっている」というようなことを言われていました。 木を使った建築の経年変化について語られるなかでのお話しだったように思います。 それを聞いていて、自分の感覚を言葉にしてもらえたような気がしました。 私は糸を編んでアクセサリーを作っているわけなのですが、金属みたいにつるっと汚れをふき取ることもできないので、丁寧に使っていても時間が経てばだんだん

          古びていくこと