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離婚して『強い私』になれた

私は結婚をしてから少しだけ『弱い私』になった気がしていた。

『俺が養ってるんだから』
『俺が幸せにする』
『女の子なんだから』

そんな旦那くんからの言葉の節々に小さな違和感を感じていた。

パートナーにそんな言葉をかけられたい女の子は多いかもしれないけれど、

旦那さんと出会う前の私は幸せではなかったのか?
旦那さんがいないと自分は幸せになれないのか?

彼の思考と言葉の意味の理解に苦しんだ。

旦那くんがいなくても生活はできるのに、なんだか彼がいないと生きていけないみたいなレッテルを貼られているような気がした。もちろん頼らせてもらうこともあったが、実際には自分も仕事をしながら彼の会社も支えていたのに『養う』という言葉を投げかけられたことへの違和感がどうしても私の中で拭いきれなかった。

そんな小さな違和感と、『幸せの認識』のずれが積み重なった末に1年10ヶ月で離婚した。

離婚したことでもう一度『強い私』を取りもどせた気がした。

その時に考えたのは『経済的な自立』と『精神的な自立』

これは離婚だけに限らず、今後どんな選択をしていくにも逃げられない課題だと感じた。逆に言えばこの2つさえできていればなんでもできるのではないかと思う。

本質的に自分以外の誰かをコントロールすることは不可能なのに、パートナーや親子関係だと何故だかそれができるような勘違いをしてしまう人は多いと思うんだ。彼とはビジネスパートナーとしての関係性が別れた今も続いていて、定期的に会うこともあるし、新しい彼女にも対面した。これはお互いのコントロール下から抜け出した今だからできている関係性だと感じるの。

幸せはパートナーや友達によって補われるものではないんだよね。

自分で自分を満たして、自分で幸せを感じられる状態になることが先。

パートナーに限らず、人間関係はお互いを弱くするような足の引っ張り合いではなく、強く支え合い、刺激しあえる関係性がいいなと。

社会的に見ても男性が女性に奢ることが、セオリーになっていて『女性はお金を稼げない』ようなレッテルを貼られているように感じる場合もある。相手を大切に思うリスペクトからのご馳走ではなく、『自分が優位に立ちたい』『男の方が強い』みたいなアピールを感じてしまうと『おや!?』と思う。

女性であることを盾にして『自分は社会的に弱い立場なんだ』『守られて当然だ』とアピールする人には同じ女性としても違和感を感じるし、そういう風潮が社会への依存を生み、女性の立場をさらに弱くしていると思う。

これは女性に限らず
『高齢者だから』
『子供だから』
『うちは貧乏だから』
『片親だから』
『自分はたくさん税金を払っているのだから』

社会への不満はあげたらキリがないけれど、何かを理由にして言い訳しているうちは何かに依存していて、自分の人生を生きられないと思っている。どの立場にもそれぞれの主張があり、正義がある。正しさは立場と状況で変わるし、世の中は常に解決策のない問題で溢れている。

性別や年齢で判断される世の中ではなく、個人としてどうあるかをもっと重要視していきたいし、自分のかけている色眼鏡を外していきたい。よりボーダレスで精神的に自立しやすい社会がいい。


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