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再考ーアダルトチルドレン

 AC(アダルトチルドレンの略称)と自己認知して25年になる。生きていてわくわくとおちこみの両方を体験してきた。

 事の始めは仕事をやりすぎてしまうという症状だったが、父の事業の手伝いで、専務をしていて、ほかにキリスト教系の宗教で戸別伝道の責任者だった。

 週5日、父の手伝い。土日は宗教活動。1か月に1日休めたらいい方。それを11年続けた。自分のことが分からないのがACであり、その生き方の時はACを知らなかった。

 ついに寝込んで、実家で天井を眺めるのが続く。弟が心療内科に通っていて、弟が調子悪いので助けようとして、その生き方がACと知り、本を読んで明確になった。すいません、もう6回くらい書いています。

 通院しつつも、恋愛などのイベントで、自分がおかしいことに気づかされ、女性に依存し、けんかが絶えないということに気づき、うつの悪化を自認して、えいやっと、別れました。

これが境界線を引くということで、一気に負担が無くなり、依存もされていたのだなと気づきました。

 自分を持つということ。自分で自分のことを知り、自分のニーズを自分で満たす。以前はできていませんでしたが、今は大体できています。訪問看護や作業所で、ケアしてくれる専門家がいるので、ぐっとらくになっています。

 自立と応援の二軸がACの回復には必要です。人は一人じゃ生きていけれないと言いますが、言い得て妙です。自分の世話を自分でするのですが、家事など自己流なので下手な点もあります。

たとえば、裁縫とかチラシをしばるとか。あじふらいをあげるとか。作業所では愚痴を相談員に聴いてもらうとか。そんなケアを受けながら生きています。

 25年前に比べて強くなりました。でも、弱い面は必ず残ります。そこをサポートしてもらい、生きる負担を軽くしてもらいます。

 今回は、ACについてリライト(書き直し)させていただきました。AC入門者の方に参考になれば幸いです。

note作家
masa

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