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いつ死んでも「だいじょうぶだぁ」と言える人生を送れているだろうか

人間というのは、対極のものを強く認識しやすい生き物です。

光が強いほど影も濃くなり、甘みの中にも微量の塩気があるとより甘味が引き立ち、不良少年がネコに優しくしている姿を見ると実は良いヤツなんじゃないか?と思うようように。

これは人間の「生」と「死」もきっと同じ。

自分の身近な人や、思い入れの強い人が亡くなると、より自分の「生」について考えたりします。

今日本国民の多くが悲しんでいるように、お茶の間の大スター志村けんさんが亡くなるのはとても悲しいことです。


ただ、このコラムにおいては「悲しいですよね」で終わらせては、このコラムの存在意義がない。

なので、「死」から感じたことを書き、共に考えれたらと思います。



■死んだ後に残るもの


今回亡くなってしまった志村けんさんの資産は50億円とも言われています。

豪華な自宅に住み、愛車のロールスロイスに乗り、日々高級料亭に美女を連れて歩くような生活をされていたようです。



ただ、亡くなって多くの方が追悼の意を表明されていますが、

誰ひとり「志村さんはとても豪華な自宅に住まれて凄かったです」とも、「いつも高級料理を召し上がっていて羨ましかったです」とも、「素敵な女性たちに囲まれていい人生を歩まれていました」とも言われていません。


みんな「日本、世界中に笑いを届けてくれた」「〇〇へ連れて行ってくれた」「いつも私たちを笑わせてくれた」「いろんなことを教えてくれた」など、

どれも「してくれたこと」を振り返るわけです。

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当然と言えば当然かもしれませんが、亡くなった人が「得てきたもの」ではなく、亡くなった人が「社会や相手に貢献してきたこと」が死んだあとの世の中には残ります。


きっとここに、「動物」ではなく「人間」としての幸福の源泉があるのではないかと考えています。



■相手の幸せを自分の幸せとして感じれるのが人間


人間の脳は他の動物とは圧倒的に構造が違います。

例えば第三者の幸せを見て、自分も幸せと感じれます。逆に、第三者の悲しみを自分の悲しみのように感じることもできます。

友人が結婚するのを自分のことのように喜べたり、今回のように家族でもない誰かが亡くなって、自分自身も悲しめたりします。


これは人間特有の能力であり、動物にこの思考回路はありません。


もしも第三者に共感して一緒に悲しめる能力があると、ライオンはシマウマが可哀想になって狩りができなくなります。

動物でも自分の子供を敵から守ったり、仲間を縄張り意識で守ることはありますが、意識の範囲は限定的です。


この「幸せを共に喜び、悲しみを共に悲しめる」能力は、幸福に生きる上でとても重要だと思います。



■ファーストクラスに乗っても感動しない?

例えば僕自身のことで言えば、旅のプロとして世界中をファーストクラスで移動したり、5つ星ホテルを普段使いしていますし、その方法をお伝えしてきました。

初めてファーストクラスやビジネスクラスに乗った時はとても感動しましたし、5つ星ホテルに初めて入った時の情景は今でも鮮明に覚えているほど印象的でした。

しかし、ファーストクラス何度も乗り、5つ星ホテルに数百泊するうちに、それが普通になっていき、当初ほどの感動は正直今はありません。(クソ生意気ですみません。だって事実だもん)


もちろん、ファーストクラスやビジネスクラスに乗ることはとても素晴らしい経験だし、多くの人にこの感動を味わって欲しいと思っています。

乗ったことがないなら、絶対に一度は乗った方がいい。それは強く思います。



しかし僕個人でいえば

「MASAさんに教えてもらった方法で、初めてファーストクラスに乗れました!まじで最高でした!」という声や

「両親を連れてリッツカールトンに無料で招待できました!本当にいい親孝行になりました!」と言われた方が、自分でファーストクラスに乗るよりも数十倍嬉しいのです。

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お金稼ぎも同じで、もちろん今後も僕はお金を稼ぎ続ける予定ですし、お金は重要で必要です。

しかし、自分で生涯使いきれないほどのお金を貯めて預金通帳を眺めて感じる幸福よりも、

「MASAさんの教えてもらった方法で先月は月収100万円超えました!」

「ビジネスを仕組み化して自由な時間が増えて家族とゆっくりする生活が手に入りました!」

と言われ、人生を変化させる小さなきっかけになれるのがとても嬉しいのです。



■幸福とはシャンパンタワーのようなもの


僕はビジネスをスタートさせて、4年ぐらい全然稼げなくて貧乏な時がありました。


その頃にあらゆる成功者の本を読むと「もっと世の中の人の役に立ちたい」みたいな発言をする人を多く見かけました。


当時の自分は「またまた〜〜そんな聖人君子なこと言っちゃって!金稼ぎたいだけだろ」みたいなことを、わずかながらも思っていました。

しかし今考えてみると、確かに周りの人を幸せにした方が、結果として幸福の総量が上がるというのが、少しですが理解できます。


僕は幸福とはシャンパンタワーのようなものだと考えています。

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一番トップの自分(のグラス)をまずは満たす。現実社会でいえば金銭的にも、幸福度的にも自分で自分を満たす。

すると、次にその下のグラス、そのさらに先のグラスにも、どんどん満たすことができます。

そのシャンパンタワーで満たされたグラスの総量が自分の幸福に繋がっているのではないか。


なので、自分のシャンパングラスをいかにデカいバケツにして独り占めするか?を考えるよりも、いかに多くのグラスにシャンパンが注がれるようになるか?を考えた方が、長期的には幸福なはずです。


「人間、ひとりでできることなんてほんの少し」というのは、人生の幸福度を高めることにおいても言えるかもしれない。

自分1人で富を独り占めするよりも、多くの人とシェアした方が、結果として幸福もお金も総量が多くなり自分に返ってくる。



■今自分ができることを積み重ねると、思いもよらないところへ到達する

僕の好きなオーケストラの曲に「ボレロ」があります。


単調な音楽の繰り返しなのですが、初めはたった一つのフルートから演奏が始まり、演奏が進むに連れて、ピッコロ、オーボエ、クラリネット、、、と、どんどん楽器が増えていき、最後は壮大なオーケストラの演奏になる。という曲です。


これは人生やビジネスでも同じだと考えています。


いきなり壮大なオーケストラのような凄いことはできない。

だけど、今の自分でできることを小さくスタートし、やがで少しづつ大きくなっていき、当初の自分では思っていなかった規模になっていく。

まるでボレロのように。


僕のビジネスのスタートは、友人に「ネットで5万稼ぐ方法教えるから焼肉奢って!」という方法で、叙々苑ランチ1800円がコンサルティングフィーの初報酬です(笑)

当時の叙々苑ランチの報酬で喜んでいた自分では想像していなかった現在になったのは、それぞれその時できる範囲で、人に役の立つことをコツコツ小さくやっていたからでした。

小さくコツコツやっていき、やがて叙々苑ランチの何百倍の報酬を得るようになっていきました。

常に最良の未来は思い描いてはいましたが、それよりも「今できることは何か?」を考え、ひたすらにやってきて積み重ねました。



■もしも自分が100日後に死ぬとしたら

世界が新型コロナウィルスで生き方を変えるのを余儀されなくなっている今、僕ができることはなんだろうか。と考えるわけです。


僕の経験を踏まえてると、インターネットを使い多くの人に影響を与え、富を生み出す方法や考え方をお伝えする。

これが今の僕にできることであり、社会が必要としていて役に立つことだなと実感しています。


この先、いづれは新型コロナウィルスの脅威も落ち着く時がくるでしょう。

しかし、3.11の時と同じく、今回の恐怖が人の深層心理までに影響を与え、生活や働き方が変わるだろうと感じています。


その時に、必要以上に出歩かなくてもできるビジネスが今以上に求められるだろうと。


そうなると僕が得意とする、全てをインターネットで完結するビジネスの構築のお手伝いをする。というのはこれからの時代に求められることだと考えています。


なので多くの人が働き方や生き方を見直す今、変化するきっかけの一つに僕はなりたいと思っています。



もしもあなたがあと100日で死ぬとしたら、、、


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100日後にあなた自身の葬式を空から眺め、弔辞で何と言われたいでしょうか。


僕はそう考えた時に、もっとやれること、やるべきことがあるな。と思いました。



自分がいつ死んでも「だいじょうぶだぁ」と言えるように、もっと濃密に、もっと視野を広く生きようと思いました。


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ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

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