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お酒を好きになれる日が一向に来ない

社会人になって4年目に入った自分は、よくよく考えればキャリアの半分以上がコロナ禍で歩んできたキャリアだと気づいた。この2年間でいろいろなものを奪われて来たけど、限られた範囲内で最大限楽しめて来たように思う。

例えば、家で読書をする時間は増えたし、人と外でコミュニケーションを撮る機会が減ったので、ここぞとばかりに社会保険労務士試験の勉強に勤しんだ。試験には受かっていないものの、仕事をする上で困らない程度の知識はついたと考えている。


そんな2年間でこの僕が間違いなく恩恵を受けたと言える出来事が一つ。
今日はそんな話。


飲み会が減ったこと。


僕は飲み会が苦手だ。


これは身体的な理由と精神的な理由の二つの側面で語ることができる。


体質的にお酒NG

まずは、身体的な側面。
そもそも僕の体にはアルコールを効率よく分解する機能は備わっていない。
中ジョッキ半分くらいが閾値になっていて、
ジョッキ一杯分を飲み干すことができたら上出来だ。

加えて、苦手意識があるので日常的にアルコールを取り入れることはない。
すると、時たまお酒を飲む機会(年に5回あればいい方)に遭遇した時
ただでさえ低い僕の許容度がさらに低くなって、もう何をしているのかわからなくなる。笑

じゃあご飯を食べる方に走ればいいじゃないかと思う人もいるかもしれないが、若干摂取したこのアルコールが、僕から食欲すらも奪っていく。

苦痛だ。


この閾値を超えた時、僕は頭の中でシンバルを連続で鳴らしているんじゃないかと思うような、激しい頭痛に苛まれる。
その結果、本来みんなで楽しむはずの場で一人苦しい思いをしながら2時間を過ごしている状況に陥る。

そんなこんなで、そもそも身体的な理由で僕はアルコールが苦手。
(僕が関わって来た多くの人は、僕にお酒を勧めようとしない。みんなありがとう)


群れるのに向いていない自分

次に精神的な理由。
あれだけ体質的にアルコールを受け付けていないと言っておきながらだが、
僕の場合は飲み会が苦手な理由は主にこの理由に帰属する。


「飲み会」というと、複数人での会食を想像する人が多いだろう。
「歓迎会」「お祝い」「慰労会」「お別れ会」

様々な「会」の一環としてお酒を飲み交わすと思うが、僕は圧倒的に「会」と呼ばれるものが苦手だ。


自分の性格に起因しているところが多いのだと思うけど、

「右」と言われたら「左」に行きたい性格だし、学生時代からご飯をみんなで食べていても、脳内では別のことがシミュレーションされていて、話を聞いていないなんてことは多々あった。

一言で言うと、「群れることに向いていない」


集団で会を開くとグループができて、そのグループの中で会話をすることも苦手。相槌を打っているもののいつの間にか話についていけなくなって、会話に入れなくなってしまう。

一旦席を外そうものならそのあとは地獄。戻って来た時にどこに所属していいかわからなくなるんだ。

周りのすごく楽しそうにしている集団が羨ましくて、自分も頑張ろうとしたことはあるんだけど、なかなかうまくいかずその劣等感が津波のように襲いかかってくる。



だから基本的には聞き役に徹する。アルコールがもたらした頭痛も相まって、話をするより聞いている方が楽。時々聞いていないこともあるんだけど。

この人の話を聞いているふりというのが、これまたしんどくて。
三方向から一斉にラジオを流されても頭に入らないのと一緒。
そんなことができるのは聖徳太子くらいだなーと思いながら、相槌を打っている。


めんどくさいし、全部多様性でいいじゃん


ほんとこれに尽きると思っていて。

僕は飲み会に行くと、上記の通り最終的には頭痛と戦いながら、話を聞いて、時々考え事に囚われてしまう。

考え事をしていると走りたくなる(ランニングをすると思考がまとまる)から、人が飲み会をしている間、僕は10km走りに行きたい。


これを見て、やばいやつだと思った人もいると思う。

でも、これが一番win-winなやり方。

楽しみたい人は楽しんで、走りに行きたい人は走りに行く。

矯正は良くない。

多様性!





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