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ロシアの科学都市

Day8

Доброе утро
ドーブラエ ウートラ
もう日本に帰っても完全に覚えてる。

ちなみにドーブラエは優しい。ウートラは朝という意味。優しい朝!って挨拶する感じかな。

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この日は9月28日。朝起きた時は船はまだ河を進んでいた。
船はもうヴォルガ河に入っていて、一路モスクワへ向かっていた。この日の朝は晴れていた。
本当に天気に恵まれたクルーズだったように思う。ヴォルガ河は穏やかで、朝日が差し込んでいた。毎日7時に自動的に起きてしまうのはベッドのせいなのか、寒いからなのか分からないが…。ただ、毎朝起きるとカーテンを開けていた。穏やかな運河と、何もないただ広い森や草原が迎えてくれるからだった。なんとも言えない開放感が楽しみだった。田舎で育ったせいか田舎の風景は落ち着くのはわかるけど、田舎がいいとは思っていない。それでも海外の田舎には憧れを抱いてしまう。住みたいと思ってしまう。そんな窓の前を毎日のようにタバコを吸いに、先頭デッキに行く中国人のおじさんが横切るのも日常になっていた。この船旅も明日にはモスクワに着く。

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朝の日差しが差し込むヴォルガ河を様々な船がすれ違っていく。ヴォルガ河はモスクワからモスクワ運河を経てすぐにある河であり、サンクトペテルブルクからモスクワへ向かった際に、この河に差し掛かっているということはこの運河もあと残すところ1日程度しかないという証明になる。そしてすれ違った船たちは、自分たちがかけたのと同じぐらいの時間をかけてサンクトペテルブルクに向かっていく。少し寂しさを感じる朝だった。貨物船も多くここからサンクトペテルブルクを経てバルト海へ物資を運搬していくという。この日はツアーを行うドゥブナに2時ごろ着くという。映画祭の上映カテゴリーも最終まであと1つで、それを見たあとマスタークラスを受講して先頭にあるバーで休憩をした。マスタークラスは毎日あるがアニメーションの大学授業のような形で、自分には少しちんぷんかんぷんだった。ところどころ放映されるアニメは流石にマスタークラスでチョイスされるせいか、ハイクオリティだった。

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貨物船がどんどん横切っていく。
昼食をとりしばらくしたところで船は街に到着した。街の名前はドゥブナ。
モスクワ州にありモスクワ州の直接管轄下の街で政府から科学都市として指定されている。ロシア最大級の科学研究組織であるドゥブナ合同原子核研究所(JINR)の本拠となっていて、ミサイルの製造開発に特化した航空・国防企業であるMKBラドゥガ社(ラドゥガ設計局の後身)の本社がある。つまりはロシアの筑波のようなもの。モスクワからも直通特急があり、科学者たちはそこに向かったりする。

一旦私たちは船を降りることにした。

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ツアーの集まりを待っている広場のような場所。降りた時にこれまでのワクワク感は薄れていた。多分どこにでもあるような街の匂いがしたからだろうと思う。きちんと整備された公園、道路、区画整理されている建物。そこから漂う無機質感。本当に筑波学術都市のように面白みがない。

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ドゥブナ合同原子核研究所(JINR)大出力の加速器などを使って、多くの新元素を創出し、その功績を讃えて原子番号105番の元素はドゥブニウムと名付けられたのだという。

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この街の一番のハイライトはこれだった。すごく味のある車。

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もうまんま筑波ですね。

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小道を抜けて。

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原子力資料館。
原子力について様々な資料や説明があり、ツアーガイドがロシア語で、それを英語に訳する人がいるんだけど、根底の知識がないから英語にならない…。

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お偉い科学者の像を巡って船へ。

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東西冷戦を支えた科学都市。その辺りのことが見ることができるのかと思ったら、ほとんど原子力の話だった理系向けのツアーでした。ドゥブナよりウグリチに行きたかった。

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港に着いたら時間がギリギリだったため、船はすぐドゥブナの街を発った。ヴォルガ河を抜けモスクワ運河に入る。モスクワ運河の横は幹線道路になっておりそのままモスクワへ繋がる。

船旅はこれで終わる。明日の朝にはもうモスクワだ。
モスクワ運河を進む船のデッキから見える夕焼けが、旅の終わりの物寂しさをさらに掻き立てる。


次回はモスクワ。この旅行記も終わりに近い。

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