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【自己紹介】何者でもなかった若者が挫折を乗り越え、月1000万マーケターと出会い起業をする物語

はじめまして、ナガマサと言います。

こちらのプロフィール記事を見ていただきありがとうございます。
まず軽く自己紹介しますね。

現在はインターネット、
主にSNSを利用したマーケティング、
セールスの情報発信をしています。

簡単に言うと「マーケター」という肩書きになりますね。

Xではアカウントを作って2日で5,000円、6日で20,000円を稼ぎました。

事業を進める初速の速さに関しては自信があります。

また過去には、

フリーランスの動画編集者として月30万ほどを稼いでいたり、
せどり(転売)で初月で10万円ほど稼いだり、

といろいろな方法で収入を得てきました。

僕は今でこそ
インターネットビジネスという分野で、
お金を稼ぐことができていますが、


そんな僕も決して
順風満帆な人生を送ってきたわけではありません。

・父親が中小企業の経営者で家にほとんどいない
・高校で1人家を出て寮生活
・大学を4年の春に中退する
・MLMで友だちを全員失う

などなど波乱万丈の人生を送ってきました。

今回はそんな「ナガマサ」の
過去~現在、そして未来の話をさせていただきます。


小学生~父親が家にいない日々を過ごす


僕の父親は、
建設系の中小企業の経営者でした。

「でした。」という言葉を使ったのは、
今はもうその会社はないからですね。

僕が小さいころの父親は、
経営者という立場上、
全国各地を飛び回っていました。

だから1週間の半分以上
家にいないなんてことはザラで。

家にいるのは

・母親
・姉2人
・弟1人
・そして自分

小さい頃の僕は
何か習い事をしていたわけでもなくて、
元気が有り余ってた。

だから弟ともよくケンカしてたっけ。

少しでもイラっとすると
すぐ手を出す足を出す。

しょっちゅう母親に怒られてたな。

自分のパワーをうまく発散することができない。

気持ちの晴れない毎日を過ごしていました。


でもそんな僕にも
唯一ハマっていたものがあって、

それが「テレビゲーム」

当時は、

「ニンテンドー64」とか
「ゲームキューブ」とか
「プレイステーション」とか

家庭用のテレビゲームの全盛期だったかな?

僕は特にプレイステーションが好きで、

親に買ってもらったことをきっかけに
ひたすらゲームに打ち込んでた。

当時は何のソフトやってたかなー。

「龍が如く」とか?

龍が如くって知ってます?笑

なんか任侠ものというか。
簡単に言えばヤ○ザのゲームですね。笑

道端で人と殴り合うみたいな。

そこに出てくる新宿の街並みが
めっちゃリアルなんですよね。

当時はそれがすごい楽しくて。

ひたすら街中を走り回ってた記憶があります


まー当時なんて友だちと呼べるような人もいなかったので。
だからゲーム機が最高の遊び相手だったんです。

そのときの名残で
今でもゲームをすることがありますが、
マジでハマり症なのでなるべく手を付けないように必死です。笑

でもやっぱり、

「本当はリアルの世界で友だちと遊びたい」

って
心の中ではずっと思っていたんですよね。

でも小さい頃の僕は、
自分の感情を表現するのが苦手だった。


だからそんな思いが実現するわけもなく、
ただただゲーム機と遊ぶ
そんな毎日を過ごしていました。


小学5年生~中学3年生 人生の全盛期を迎える


学校から帰ってきてはゲームに没頭する日々。

そんな変わり映えのしない
毎日を送っていた僕に、
人生の転機が訪れます。

それは、
「バスケットボール」との出会いです。


一番上の姉が、
中学校でバスケ部に入ったことをきっかけに
僕はバスケットボールにのめりこむことになります。


それは僕が小学校4年生の時だった。


姉が通っていた中学校の
男子バスケ部の試合を見るために
東京都内の高校に僕はいました。


その時の男子バスケ部というのが

「最強の代」

と言われているほど
とにかく強くて。

ミニバスの時に
全国大会で優勝したメンバーが
ほとんど同じ中学校に入学。

「東京都内では敵なし」

と言われるほど
最強のメンバーがそろっていました。

僕はその男子バスケ部の試合を
見にいったその日、

「おれもこの人たちみたいになりたい」
と心を動かされた。

その日は父親と
試合を見に行っていたので、
その帰りに父親に

「おれバスケやりたいんだけど」

と言ったことを今でも覚えてます。

そして、
父親もスポーツをさせたいと思っていたらしく、
すぐに地元のミニバスケットボールチームに
所属することになりました。

そこから僕は、
バスケットボール漬けの
日々を送ることになります。

週5でバスケ
年末年始もバスケ

ミニバスの練習がない日も
近くの高校に行って
大人に混じってバスケをしてました。


「好きこそものの上手なれ」

とはよく言ったものだなって。

僕は常にバスケに関わることをしていたので、
めきめきとバスケの実力を
伸ばしていったんです。

そして、
チームのメンバーにも恵まれていた。

そのおかげもあって、
小学6年生の最後の東京都の大会。

その大会で優勝することができたんです。


今まで何も頑張ることがなかった
僕の人生において、
それが初めての成功体験になりました。

あの時の喜びは
今でも忘れることはないですね。


そして地元の中学に入学。

ミニバスのメンバーの多くが
同じ中学に入学することが決まってて、
中学校でもメンバーに恵まれた。

そして中学3年生の時、
僕はキャプテンに選ばれることになります。


キャプテンに選ばれたからには、
僕は絶対に結果を出したいと強く思ってて。

そこで、
僕はチームのために
何でもすることを決意。

嫌われ役を買ってでも、
チームが勝つことを優先した。


とにかくがむしゃらに
バスケのことだけを考えて、
中学校生活を過ごしていました。

その甲斐もあってか、
中学3年生の最後の夏の大会。

東京都で3位入賞。
その後の関東大会でも3位入賞。

なんと全国大会に出場することになったんです。


その時の僕はまさに、
ゲームの中の主人公のような気持ちでした。

「おれってやればできんじゃん!」

天狗の鼻もここまで伸びる?
っていうくらいその時は浮かれていましたね。

でもそんな当時の僕のことを
誰も悪く言う人はいなかった。

そこで僕はいい気になって、
どんどん調子に乗ってしまっていたんです。


でもまぁ、
そうなってたのも良かったのかな?

って今は少し思えます。

だってどう考えてみても、


小6での東京都優勝
中3での全国大会出場

この2つの経験は僕の人生の中では
大きな成功体験になってます。

多分この時の経験がなかったら
今こうして情報発信もやれていないと思います。

それくらい、
僕の人生の中では
めちゃくちゃ大きな成功体験になりました。

暗黒の高校時代 初めての挫折を味わう


中3の夏に大きな結果を残した僕は、
茨城県の高校に特待生として
入学することになりました。

そこの高校は
全校生徒が1000人ほどの超マンモス校。

いろいろな部活動が
全国大会に出場していて
スポーツが盛んな学校だった。


あと偏差値もよくて、
国公立に進学する学生も多くいるような
進学校でもあったんです。

その中でも男子バスケットボール部は
名門中の名門。

全国大会でも優勝経験のある高校で、
僕も期待に胸を躍らせて入学しました。

茨城県の高校ということもあって、
僕は高校3年間を
寮で生活することになりました。

ただ、15歳という年齢で
親元を離れて生活をするというのは
すごい勇気のいる決断でした。

でも僕は、

「本気でバスケで成功する」


自分のことを信じていたので
寮生活をすることを決心したんです。

しかし、
そんな僕の自信が

この高校3年間でへし折られることになるとは
当時の僕は1mmたりとも思っていませんでした。

高校入学後、
僕はさっそく全国常連校の洗礼を
浴びることになります。

とにかく練習がキツイ。

その高校の体育館がバカでかくて、
バスケットボールのコート3つ分あったんですよ。


初めて見た時も「広すぎ~」って思ったけど、
いざ実際にその空間に入ってみると
想像していた以上に広くて。

そのバカでかいコートを
ひたすら走らされてましたね。笑

あと朝練。

これもバカみたいに朝が早くて、
朝7時前には体育館にいましたね。

ほぼ毎日。

そこでひたすら筋トレとか
シュートの練習をしてました。


今までバスケは好きでたまらなかったけど、
高校で死ぬほどバスケが嫌いになりました。
(今はちゃんと大好きです。笑)


あんまり詳しい時間は覚えてないけど
学校の授業が終わるのが15時半とか?

んでそこから体育館まで走って移動。

すぐに練習の準備をして、

そして16時から夜の19時まで全体での練習。

そのあと20時までは個人での練習。

夜練が終わったら
急いで寮へ帰宅。

夜ご飯では、
ラーメンどんぶり3杯のお米を食べるのが
毎日のノルマ。

さすがにこのご飯の時間は
鬱になりかけましたね。

そんな生活を冗談抜きで
ほぼ毎日続けてた。

月の休みも1日あるかどうか。

練習が午前中で終わった時が
たまにあったんだけど、

マジで発狂するくらい喜んでたな。笑

あの時の喜びは今でも忘れられない。


まーそんな地獄のような練習の日々が
3年間続いたんですけど、

さらにその当時の僕が本当に暗黒時代で。

僕が高校に入学してからの3年間。

その全国常連校の高校で唯一、
一度も全国大会に出場することが
できなかった3年間
だったんです。

だから当時の僕は、
練習がきつすぎて
バスケのことも嫌いになってたし、

3年間結果も出なくて、
やる気とか希望とかすべて失ってました。

しかも高校3年の最後の大会は
足首のけがで1試合も出ることができずに
終了。

最後の大会で1試合も出れずに引退ですよ?

正直、
引退した時は何の感情も
湧いてこなかったですね。

「あー、、、やっと終わる」

何なら少し解放されたような気分になってました。


これが僕の人生の中で初めて経験した挫折です。

高校3年間死ぬ思いで
頑張って得た経験が「挫折」です。

当時の僕は、

「あ-もうバスケとかやってらんねーな」
「この先の人生どうしようかな」

って毎日思ってました。

今までバスケしかやってこなかったんで、
他の選択肢のことなんて
全く頭になかったんですよね。


でも一応高校が日大付属の高校だったから、

「大学は実家の近くの学部にしようかな」

くらいに適当に考えてました。

3年間スポーツクラスだったんで、
とりあえず部活ちゃんとやっておけば
内申点もオール5もらえるし。

だから僕高校3年間の成績オール5なんですよ。

勉強全くしてなかったんですけど。笑

なのでとりあえず
日大の好きな学部を選ぶことはできました。

だから日大の経済学部にしようと思って。

選んだ理由は「家から近いから」
マジでこれだけです。笑

なめすぎですよね?

でも当時の僕はマジでバカだったんで
この選択しかできなかったんです。

ですが、

今思えばこの時の決断が
僕の今後の人生を
大きく変えることになったなと。

これは今でも間違いなく言えることですね。


大学時代~MLMで友だちをすべて失う、そして中退へ


暗黒の高校3年間を終え、
僕は日本大学の経済学部へ入学しました。

経済学部のキャンパスは水道橋にあります。
東京ドームのある場所ですね。

東京出身とはいえ、
高校3年間を茨城県の田舎で過ごしていたので
最初は上京してきたばりに浮かれまくってました。

「これから思いっきり大学生活楽しむぞー!」

って感じでひたすら毎日遊びまくってました。

授業の合間に東京ドームシティに行ったり、
サークルの部室でゲームしたり、
食堂でひたすらしゃべり倒したり。

ほんと授業そっちのけで遊ぶことばっか考えてた。

でもそんな生活も長くは続かなかったですね。


とにかく遊ぶことしか考えてなかったから、
少しずつ授業も休むようになってて。

そうなれば当然単位も足りなくなって。

周りの友だちはみんな
うまくやって単位取ってたのに
僕だけ全く単位がとれてなかった。


そして2年の終わりには
4年で卒業できないことが確定。

でもそのことは
ずっと周りの人には黙ってましたね。

だって恥ずかしいから。

何もできないくせに
プライドだけは異常に高くて。

いわゆる「こじらせ」ってやつです。
完全に。


あと授業に出なくなった原因が
実はもう1つあって、

それが「お金」だったんです。

大学生の月のバイト代なんて
たかが知れてるじゃないですか?

いくら東京都内の賃金とはいえ、
時給は1,000円ちょっと。

もちろんそんな時給で稼いだバイト代で
遊び続けられるわけもなく。


僕は遊ぶお金欲しさに授業を休んで
バイトをするようになってました。

今思えば完全にいかれてますけど。

当時の僕はとにかくお金が欲しかったんですよね。

意味わかんないですけど、
大学生なのに「見栄っ張り」だったんです。

いい服着たりとか
いいとこ行ったりとか
いいもの食べたりとか

「大学生なんだから勉強しとけよ!」
って感じなんですけど。

大学生になって「クレジットカード」を覚えてしまったのも最悪でしたね。

普段の買い物をすべてクレカで払って、
バイト代は全部支払いに消えていく。

大学生ながらにゴリゴリ借金が増えていきました。

借金が増えていけばいくほど
お金のことしか考えられなくなっていって
授業を休んでバイトでお金を稼ぐ。

最悪の悪循環です。

そんなんだから
もちろん単位も取れるわけもなく。

その時の僕の自己肯定感は
どん底まで落ちてました。

冗談抜きに。


だから余計に見栄を張る。
見栄を張るためにお金を使う。
借金が増えてさらに落ちる。


まじでクソみたいな大学生活過ごしてましたね。

でもそんなときに地元の友だちから

「実は稼げそうな話があるんだけど
一緒に聞きにいかない?」

って話を持ち掛けられたんです。

よくあるMLMの誘い文句ですね。

MLMっていうのはネットワークビジネスのことです。

インターネットビジネスとはまた違います。
少し名前はややこしいですが。笑

もちろん当時の僕はそんなビジネスの存在を
知るわけもなく、

「マジ?行く行く!」

って友だちの話に即答でOKしました。


そして当日。

待ち合わせ場所が、
新宿にあるタワーマンションのエントランスでした。

もちろんこんな場所に来たことなんてないので
めちゃくちゃテンション上がってましたね。

「やば、こんなとこに住んでる人いるの?」
「どうやったらこんなとこに住めんだよ」

みたいなことを友だちと話してたらご本人登場。

オーダーメイドのスーツでバシッと決めた
いかにも稼いでいそうな雰囲気の
経営者の方が出てきました。

「なんなんこの人いかつい!マジかっこいい!」

僕は一瞬でその人の虜になりました。

話し方もかっこよかったし、
話もめちゃくちゃ上手かった。

MLMで稼いでいる人って
自分の魅せ方めっちゃ上手いんですよね。

まーでもよくよく話を聞いてみると、
どうやら営業代行の話だと。

そしてとにかく稼げると。


ひたすら理想の未来と再現性を見せられました。

「おれの理想とする未来がここにある!」

僕はその日のうちに
友だちとその営業代行のビジネスをやることを決意。

ほんとその次の日からそのタワーマンションに入り浸るようになってましたね。
あといろいろなセミナーとかに行くようになりました。


でも結局ふたを開けてみたら最終的にMLMの話になってて。

でもとにかく僕はお金が欲しかった。

だからMLMも即決でやることにしました。


最初はSNSでアポを取りまくってました。

当時はmixiが流行ってたのでmixiでアポ取りまくってましたね。


多いときは1日に3人とか会ってました。

1人と1〜2時間話して、その繰り返しで3人。

ひたすらその毎日の繰り返し。


MLMの話は長くなるので全部は話せないんですけど。

そこから次第に友だちとかにも声をかけるようになって。

マジで自分の持っている人脈をフルで活用してました。

でもそんなんやってたら
次第にその友だちの間で
うわさが広まるんですよね。

「あいつなんかヤバいビジネスやってるらしいよ」
「なんか話されても無視した方がいい」

気づいたら僕は
友だち全員から無視されるようになってました。

自分自身でも何となく気づいてましたけど。

「あーおれ避けられてるな」って。


でも止まることができなかった。
とにかくお金のことしか考えてなかった。


結局MLMは1年くらいやってたと思います。

気づいたら自分のグループがけっこうな大きいグループになってて。
40〜50人くらいいたかもしれない。

最終的には月20万円くらいもらってたかな?

当時は「これだけ頑張ってこれかよ」って思ってたんですけど、
MLMでは割と稼いでる方だったらしいです。

でもやっぱりやってて全然気持ちよくなかったんですよね。

なんかよくわからない化粧品の話とかして。

お金のことしか考えてなくて、
相手をだましてる感覚が強かったんです。

「強引なセールス」って感じですかね?

無理に売りつけてるような気がしてて、
ずっとモヤモヤしたままやってました。

そこでなんか違うなって感じた僕は、
その当時の仲間には黙って
急に辞めることにしました。

当時の仲間には
悪いことしたなって気持ちはありました。

でも自分の気持ちが最優先だった。
だからあの時の判断は
間違っていなかったと思います。

それでその時に感じたことが1つあって、
「本気でやるなら気持ちのいいビジネスがいいな」
ってこと。

自分の気持ちに噓をつき続けるのはやっぱりつらい。

そんなこんなでMLMをやめたあとは
大学にも戻れなくなって、
大学は中退することにしました。

それが大学4年の春でしたね。
4月でした。

当時のゼミの先生にだけ、
大学を辞めることを伝えに大学に行きました。

あの時のことは今でも鮮明に覚えています。
大学の友だちには内緒で中退しちゃったんですよね。

今はたまに連絡とったりしますけど。


あと親にはガチでブチ切れられました。

母親はただただ泣いていましたね。

「あなたをこんな子に育てたつもりはない」

って本気で言われました。

ドラマ以外でも
このセリフを聞くことってあるんだなって。

あと借金もその時にバレました。

だから余計にブチギレ。

ほんとあの時ほど親に申し訳ないって思ったことはないです。

それでその時に
「やっぱり周りの人を悲しませるのは違うよな」
って思った。

だからそこからはしっかり仕事をして、
「まず自分の生活をちゃんとできるようにしよう」
って決めたんです。

そういう経験をしてきているのもあって、
僕は失敗の基準値がめちゃくちゃ下がりました。

この時の出来事を超える失敗って
今後ないだろうなって。

だから今ビジネスをやってる時も
いろいろ失敗したりしますけど、

「ま、あの時ほどじゃないよな」

ってマインドになってすぐ切り替えられますね。笑

これは今ビジネスをやる上で
自分の行動の土台になってくれてます。

だから自分の人生において
ムダなことなんてないって。

すべてを自分の経験として
活かすことができるって。

今は強くそう思ってます。

挑戦の芸能マネージャー 〜アーティストを売る力がなく夢を諦めさせてしまう


大学を中退した僕は、

「今の自分が本当にしたいことは何なのか?」

を真剣に考えることにしたんです。

なので今後の目標が定まるまでは、
銀座の焼肉屋でバイトをすることにしました。

何で銀座にしたのかというと、
単純に面白そうだったから。

銀座ってやっぱり
東京の中では特別な街だと思ってて。

その街でバイトしてたら
いろいろ刺激もらえるんじゃないかなとか。

ま、家から遠くないっていうのも理由としてはあったんですけど。
あと時給がいい。笑

なんだかんだで2年くらい
そこで働いてたと思います。

そこの職場の人たちは最高におもしろくていい人たちばかりでしたね。

なぜか社員もバイトも「バンドマン」の人が多くて。

「バンドマン」の人って、いくつになっても自分の夢を追い続けてる人たちなわけじゃないですか?

なんかね、
その姿を見てるとマジでかっこいいんですよね。


自分の夢を誇らしげに語って、
結果はどうであれその夢のためにめっちゃ行動してて。

その人たちのことを見てると
「夢とか目標」の持つ力ってすげーなって。

人をここまで動かすことができるってやべーって思いましたね。

そんな姿を見てると次第に
「音楽の力ってヤバいな」
って思うようになってて。

少しずつ
「音楽の世界に入ってみたい」
って気持ちが湧き始めてきたんです。

でももちろん音楽なんてやったこともないですから。

自分がプレイヤーになる道はまずムリだろうと。

なら裏方は?

アーティストを支えるマネージャーなら
おれにもできるんじゃないかって思って。

それでほんとにたまたまなんですけど、
同じ焼肉屋で「スタイリスト」をやってる人がいて。

そいつにいろいろと話を聞くようになりました。

そうして話を聞いてくうちに
「マネージャーやろう」
って思いが固まっていきました。

そこでまずは就活ですよね。

意外とね、
中途採用でも芸能マネージャーの求人って
多くあるんですよ。

今思えば入れ替わりの激しい業界だからって分かるんですけど。


とりあえず当時の僕は
片っぱしから履歴書送りまくってました。

でもなかなか面接することすらもできない。

芸能マネージャーって未経験者だと意外と採ってくれないんですね。

でもそんな中で1通だけ返事がきた会社があったんです。


守秘義務があるので名前は出せないですけど。

ちゃんとした音楽系の芸能プロダクションからの返事でした。

正直一発目で音楽系をひけるとは思っていなかったので、マジでテンション上がってました。

しかもけっこう大きい芸能プロダクションで、

日本人なら誰もが知ってる大物アーティストが所属していたり、
紅白出場経験のあるアーティストも何人かいたりと。

面接を受ける前からテンション上がりまくってましたね。

そして面接当日、
僕は緊張に震えながら
その芸能プロダクションのオフィスに向かいました。

ガラス張りのビルの4Fにそのオフィスがあって。

今でも覚えてるんですけど、
いろいろなトロフィーが飾られてる部屋に案内されて、

「うわやべー、マジのやつだ。」
「ほんとに芸能事務所きちゃったよ」

みたいなことをずっと思ってました。


その時の面接で話したのが、
人事担当の部長と副社長。

自己紹介とか話してるうちに
気づいたら採用が決まってました。笑

そこから僕の
芸能マネージャーとしての生活がスタートしました。

僕は入社してすぐに、
アイドルの女の子たちのマネージャーになりました。

小学生〜大学生までの女の子たち、
総勢30名はいましたね。

その30人が4つのグループに分かれてて、
僕はそのすべてのグループを見ることになったんです。

最初はほんとにマネージャーとして
その子たちを見ることができなくて、

「こんなかわいい子たちとずっと一緒にいたら
人間として何かがダメになる気がする」

とか浮かれて
よくわからん思考になってました。笑

でもそんな思考もすぐに消え去りましたね。

とにかく忙しい。


土日には事務所の劇場で昼夜の2回公演があって、
平日はテレビや雑誌の撮影があったり、
ライブの衣装の洗濯したり、
レッスンの様子を見に行ったり、

マジで休みは全くなかったです。

でも当時の僕は、
マネージャーとしてのすべての仕事が
新鮮でやりがいしかなかったんですよね。

だから休みがなくても毎日が楽しかった。

少しずつアイドルの女の子たちとも
信頼関係が築けるようになって、

仕事の悩みを聞いたり、
アイドル活動のアドバイスをしてあげたり、

とにかく充実してる毎日だった。

そんな日々を7ヶ月くらい
がむしゃらに過ごしてたある日、
僕に転機が訪れたんです。

「こっちのアーティスト担当してくれない?」

上司からある日突然そう告げられました。

しかもそのアーティストというのが、
絶賛売り出し中のアーティスト。

事務所で1番売れている人だったんです。

僕は即答で
「やらせてください!」
そう答えました。

そこからのマネージャーとしての日々は
忙しいということを忘れてしまうほど
濃密すぎましたね。

担当が変わってから
約2年半ほどそのアーティストを
担当しました。


その2年半で、

全国各地をライブツアーで飛び回ったり、
各TV局を音楽番組の収録でハシゴしたり、
年末は音楽特番で年を越したり、

ふつうの人生では考えられないような
たくさんの経験をすることができました。

でもそんないい思いをする裏で、
自分の力不足を感じることも多くありました。

その担当アーティストは、
セルフプロデュース力が鬼高かったので
正直僕らがやることって何もなかったんですよね。

とりあえず現場でのサポートをしてれば大丈夫って感じで。

ですがもちろん、
事務所に所属しているアーティスト、
全員にそんな力があるわけはないんです。

かわいいんだけど売れない
歌はうまいんだけど売れない
ダンスもうまいんだけど売れない

世の中には商品の質がどんなに良くても、
売る力がなければ世の中に広まっていくことはないんだと。

僕はその芸能マネージャーとして過ごしていく中で、クソほど痛感することになったんです。

その時にいつも僕は

「おれにこの子たちを売る力があれば、、、」

と自分の無力さに嫌気がさすほどでした。


結局、
3年ほど働いたところで
芸能マネージャーの仕事も辞めることとなり、
その子たちのことも諦めることになりました。

そして僕が芸能マネージャーを辞めた後、
その当時の子たちが続々と
芸能界から姿を消していきました。

僕はその時のことを今でも後悔しているんです。

だからそのできごとがあってからですかね、
マーケティングやセールスのことを勉強し始めたのは。

きっとその時の後悔がなければ、
マーケティングやセールスのことを
学ぼうとも思わなかったはずです。

だからやはり
芸能マネージャーとしての経験は
僕のルーツになっているんですよね。

僕は正直、
今でもそのときの後悔を諦めていなくて。

もっと自分のスキルを磨いて、
ネットビジネスとしての収益も安定するようになってからですけど。

アーティストやアイドルのプロデュースをしていきたいと考えてます。

それはやっぱり自分がやりたいことなんですよね。

それが今の夢であり、目標なんです。

焼肉屋でバイトしていた時に見ていた、
あのバンドマンの先輩たちとまったく同じなんです。

だから僕は自分の夢や目標のことはどんどん口に出していきます。

そしてそれに向かって全力で行動していきます。

だってその方がかっこいいじゃん。
何かに向かって努力して行動してる人の方がさ。


芸能マネージャーからアイドルオタクに転生する


芸能マネージャーをやめた後、

3年間の激務の反動もあって
少しの間ゆっくり休もうと決めていました。


一番仲の良い友だちがいるんですけど、
そいつといろいろなところに遊びに行ってましたね。


沖縄に3泊4日で旅行に行ったり、

その時は那覇市内の高級ホテルのスイートに泊まってて。

部屋のテレビで競馬を見ながら
1日ずっと競馬してましたね。笑


沖縄まで行って何してるんだっていう。


でもその日の夜に「まつもと」っていう豚しゃぶのお店に行って、このお店がまー美味い。


人生で一番感動しました。

本当においしかった。


マジでおすすめのお店なので、
沖縄に行った時には必ず行ってください。


絶対です。


多分飛び込みで行っても席取れないんで、
予約はしてくださいね。


あとその友だちとは
「アイドルオタク」
っていう共通の趣味もあって。


2人とも坂道グループのアイドルが好きなんですよ。

あ、坂道グループって言って伝わりますか?笑


「乃木坂46」とか
「櫻坂46」とか
「日向坂46」とか


その中でも特に好きだったのが、
「乃木坂46」


握手会に行ったり、
ライブに行ったり、

ライブを見るためだけに
富士急ハイランドまで行ったこともありましたね。


ちなみにその時アトラクションは1つも乗ってない。


実は元々
芸能マネージャーやってる時から
アイドルは好きだったんですよ。


でも仕事上、
そんな一面を出すことはできないですから。


アイドルの子たちと関わる機会も多かったんですけどね。

だから自分の気持ちをギューッと心の奥に押し込めていたんです。


だからその反動でオタクとしての感情が爆発しちゃって。


オタ活をしている時に、
自分でも振り返ってみて
「これようやったな!」
って思うことがあって。


まず始発に乗って幕張メッセに行くんです。
まだ暗い早朝の時間から。


それで会場に到着したら既に握手会の列ができてて。

その握手会の列に並ぶんです。


それがまだ朝の6時とか6時半とか。


当時グループ内で一番人気だった

「齋藤飛鳥」

っていうちょーかわいい
女の子がいるんですけど。

その子のことを推してて。


その子の顔がマジで小さすぎて、
握りこぶしくらいの大きさしかない。

とにかくめちゃくちゃかわいい。


実は芸能マネージャー時代に
仕事で何度も会ってたんですけどね。


やっぱり仕事中はそんなオタクの一面なんて見せられないですから。

その時は自分の気持ちを抑えるのに必死でした。笑


で握手会の話に戻るんですけど、

朝の6時とかに並び始めて、
その日握手できたのが結局昼の13時過ぎとか。

7時間ですよ?

並びすぎだろって。


ディズニーランドでも
こんな並ぶことなんてまずないですからね。


しかも握手の時間は5秒足らず。

5秒足らずの握手の時間のために、
始発で幕張に行って7時間並ぶんです。


ふつーに頭おかしいですよね。


今思うとほんとにすげーなって。
よくやったなって思うんですよ。


でもそれくらい彼女のことを推してた。
オタクの推しへの愛の力ってすごいですよね。


だから僕も今ビジネスしてて思うんですけど、
自分にちょー濃いファンができるって
マジで強いです。


ファン化の方法とか
教育が大事だとか


言われている理由ってまさにこれなんですよね。
僕も身をもって感じてます。


「いかに自分に濃いファンを作るか?」

まじでそこがキモですね。


教育極められたらまーじで強いです。
いくらでも青天井に稼ぐことができるようになりますね。


あと余談なんですけど、

坂道グループのほかにも

「WACK」

っていう事務所のアイドルの子たちも好きで。


その中でも「BiSH」っていうグループの子たちが好きだったんですよ。

この子たちは完全地下アイドルから成り上がっていったアイドルグループで。


もう解散しちゃってるんですけど、

解散ライブが東京ドーム。


エグすぎ。


芸能マネージャーやってたからわかるけど、
地下アイドルからここまで成り上がるのはガチでやばいです。


そしてこの子たちのストーリーが本当に最高なんですよねー。


あとこの「WACK」の社長がめちゃくちゃやり手で。

「渡辺淳之介」って人なんですけど。


熱狂的なファンを作るのが本当にうまい。


ちなみに僕が芸能マネージャーを
始めるきっかけになったのも、

この「渡辺淳之介」さんがキッカケです。


この人に憧れて芸能マネージャーになったんですよ。


「この人マジかっけー」
みたいな。

「おれもこの人みたいになりたい」
みたいな。

小学生の時にバスケットボール始めた時とまったく一緒。笑


男ってほんとにどこまでいっても子どもなのかな。


本当に今でもこの人のことは尊敬してて、
ずっと発信を追ってるし、
今後も追い続けていきたいと思ってます。


あ、ちなみに
「WACK」も僕は就活の時に受けてたんですけど

落ちました。笑


その時はzoom面談で
直接社長との面談だったんですけど、
ふつーに緊張しすぎて何もしゃべれませんでした。


今となってはいい思い出ですね。


月1000万稼ぐマーケターとの出会い


アイドルオタクとして
オタ活を楽しむ毎日を過ごしていた僕は、
心のどこかで


「どっか就職しなきゃなー」

と思いつつも、
実際に行動できていなかったんですよね。


というか就活はしてたんですけど、
落ちまくってたわけですね。


求人に応募しまくって、ガチで50社以上は応募してました。


でもぜんぜん返事がこなかった。


とはいえ生活もしていかなきゃいけないですし。

落ち込んでる暇もありませんでしたね。


で就活に負けまくってるとだんだん、

「別に就職しなくてもよくね?」

みたいなマインドになってくるんですよ。


べつに就職しなくても死なないしな。

みたいな。


だから就活のことは当時、ぜんぜん深く考えてなくて。


その辺りからだんだんと、
個人でいろいろとお金を稼ぐ手段を試すようになっていったんです。


具体的にどんなことをやっていたのかというと、


・乃木坂の生写真転売
・スニーカー転売
・電脳せどり(メルカリ物販)
・動画編集のクライアントワーク


転売系がメインでしたかね。

動画編集はクライアントワークですけど。


当時はとにかく即金で欲しかったんで、
すぐお金になる転売をメインでやってました。


転売に関しては、
2万くらいで情報商材を購入して
勉強実践してましたね。


あ、でも乃木坂の生写真転売は現場でスキルを培いました。笑

意外と儲かりましたね。


動画編集に関しても、
7万くらいの教材を買って勉強しました。


だから当時から割と自己投資マインドは強かったと思います。

昔からスキルをお金で買う感覚は持ってて。


大学生の時も月1~2万払って、
ボイトレ通ってたりもしてましたし。

あまり情報をお金で買うことに抵抗はなかったです。


そんな感じで、

「情報商材を買っては実践する」

みたいなことはいろいろやってましたね。


マッチングアプリの攻略法の商材も買ってましたし。

あとは女性の沼らせ方とか。

スマホでプログラミングみたいなものも買ってましたね。


多分、他人よりも知識欲が強いんだと思います。

ビジネス本もめちゃくちゃ買いますしね。


なんでここまで情報への投資にハマってたかって
いろいろ考えてみたことがあって。

そこで辿り着いた結論が、

【知識は腐らない】

だったんです。

だって考えたらそうじゃないですか?

例えば10万円が手元にあったとして、

それでブランド品を購入しますと。
でもそのブランド品っていつかは壊れたりしますよね。

でも知識だったら?

仮に、
月に10万円稼げる方法を10万で買ったとして。

そしたらその10万って、
1年後には120万に化ける可能性がありますよね?


これが情報商材のいいところだなって。

例え稼ぐ系じゃなかったとしても、
マッチングアプリで無双するノウハウを買ったら
女の子と出会うのに困ることはなくなるんですよ。


だからほんと大学生の時に自分に伝えたい。


「そのお金を知識に投資しろ!!」
って。

全力で伝えたいですね。


まぁでも今は自己投資の重要性に気づけたので。


そこに関しては、
自分のことを褒めてもいいんじゃないかなって思うところですね。



でそんな感じの生活でも
何とか生きていけてたんですよ。

月20~30万くらいは稼げてたので。


でもその生活も少しずつ苦しくなってきてて。

僕がやってたことって全部「労働収入」だったんですよね。


・自分が動かなきゃお金が入ってこない。
・自分の行動が資産となって積み重なっていかない。
・動きを止めたら収入もピタリと止まってしまう。


結局サラリーマンで働いている時と
何1つ変わりませんでした。


で生活がだんだんと苦しくなっていた時期に
Twitterでとある人物を見つけたんです。



「月1000万稼ぐマーケター」

「マーケティングとライティングの情報を発信」

「月300万を自動化で稼ぐ」


いかにも怪しさ満点のアカウントです。


「なんなんだこの人は?」

「これが本当ならマジで羨ましすぎるんだが?」


とその時はまだ半信半疑でしたね。


でもなんだかその人の発信が気になってしまう。

とりあえずその人の発信を追うことにしました。


「お金を稼ぐならマーケティングとライティングのスキルは必須です」

「正直このスキルさえ身につけてしまえば、実業でもネットでも無双できますね」



そんな発信を追いかけていくうちに少しずつ、


「この人っておれの理想とするような人じゃん」

「モノを売るスキルって、
ずっと身につけたかったスキルだ」

「なんかこの人すげー気になるな」

「おれもこの人みたいになれるのかな。」


と少しずつ憧れの対象に変わっていったんです。


そこでその人の公式LINEに登録。

すると動画が送られてきて、
僕はすぐにその動画を見ることにしました。


正直、
「無料でここまでの情報を聞いてしまっていいのか?」
と思えるほどの濃い情報量の動画でした。


そこで僕の思いが一気に固まり、

「この人からビジネスを学びたい」

そう強く思うようになりました。


するとその2日後、

その方のLINEで


「懇親会を開きます。参加希望の方はLINEください。」


僕は即参加希望と軽い自己紹介のLINEを送りました。


「でもこんなおれが懇親会なんて参加できるわけないよな」

と正直ダメ元ではありました。


すると返信がきて、

「いろいろと面白い経験をされていますね。行動量もすごそうですし、よかったらきてください」


と、まさかの参加OKとの連絡が返ってきたんです。


「きたー!ヤバいめっちゃテンション上がるわ!」

その時は家の中で本気でガッツポーズしましたね。


そして懇親会当日、

僕は月1000万マーケターの方と会って、


このネットビジネス業界のこと、
マーケティングのこと、
ライティングのこと、


たくさんの話をしていただきました。


そこでの話を聞いた僕は、
この世界でやっていくことを決意。


そして今に至るというわけなんです。


そして、
これはその懇親会で語っていたことなんですが、

その人のビジネスをする上での理念の話です。


「ビジネスで豊かな人を増やしたい」

「金銭的にも精神的にも豊かになれば、
身体的にも時間的にも豊かになっていく」

「自分の理想とする未来を
自分の力でつかみ取る。
そんな人を増やしていきたい」


というものでした。


僕はこの理念にも強く共感をしています。


というのも僕自身、
大学時代に金銭的に貧しくなった時に、
精神的にもどんどん落ち込んでいくという経験をしました。


そして金銭的にも精神的にも落ち込んでいくと、
身体の不調も出てくるようになる。

さらに、
「無理にでもお金を稼がなきゃいけない」
という状況から時間的にもどんどん追い詰められていく。


ぼくはあの人生のどん底の時期を
今でも忘れることはありません。


だからこそ、

今実際に同じような状況に陥ってしまっている人の気持ちが痛いほどわかるんです。


そして人生を変えるには、

自分の力で未来を切り拓いていくしかなかった。


その力を僕はたくさんの人からもらうことで、
切り拓いていくことができたんです。


だから僕もその力になりたい。


自分自身ももっともっと豊かになって、
たくさんの人に影響を与えられる人間になりたい。


今はその気持ちを自分の心に掲げて、
ビジネスをしていくことを信念としています。


だから、
僕の発信では、

時には感情が強く出ることもあるかもしれない。


でもそれは僕の本音です。


本気で思っているからこそ、
言葉にして伝えていくべきだと。


言葉にしなければ伝えたいことも伝えられません。


だから僕の発信を追ってくれる方には、
これからも僕の本音と有益な情報と届けていきます。


==========

最後に、
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。

よかったら感想など頂けると嬉しいです。

それでは。

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